第55話 担任、侮り難し

 俺の視線に気付いたらしい沙羅と目が合った。怪訝そうに首を傾げるのにどぎまぎして、俺は境内の外へと歩き出した。

「こいつが勝てると思うか?」

 俺のスマホの中では、シャントが男たちを相手に長い棒をめったやたらに振り回している。

「無理でもないんじゃない?」

 すぐ後ろで、沙羅が気のない返事をした。歩きながらスマホを見ているのだろうが、同じことをしている俺は、そのイラつく物言いをどうこう言える立場にはない。

「いらんことを」

 長柄の武器を取ってやろうとしたのは、大きなお節介というものだ。だが、沙羅は軽い口調で受け流した。

「ヒーローにご都合主義は付き物だし」

 確かにスマホの中では、村の男たちがシャントの棒に打たれて散り散りに逃げ回っている。だが、現実から逃げ出したネトゲ廃人の、何を以て英雄的と評価すればいいのか。

「誰がヒーローだって?」

 皮肉たっぷりに聞いてやると、背後の沙羅はあっさりと答えた。

「八十島君」

「……え?」

 どう答えていいのか分からなかった。

 出会ってから10日も経っていないし、異世界にいる山藤の運命を巡っては敵同士だ。やることと言えばスマホ画面でモブを操るのぐらいだし、呼ばれもしないのに沙羅の家までやってきて、自分が家でやってもいない雪かきの邪魔をする。

 全くいいとこなしなんだが、そんな俺のどこがヒーローなのやら。

 いきなり持ち上げられてくすぐったくもあり、また何を企んでいるのかと気味悪くもあった。だが、そう言われて悪い気はしない。その辺は、俺も沙羅を取り巻くあの男子連中と大差なかった。

 戸惑う俺への、沙羅の答えは単純だった。

「心配してくれたじゃない」

「いや、その……」

 そんなことでヒーロー扱いされても困る。

 ……待てよ。

 ……異世界転生した連中も、この手でいい気にさせてるんじゃないか?

 俺はそれ以上は話さないことにして、スマホの中の異世界に集中した。戸口の向こうでは、棒を構えたシャントが素手のテヒブを背中にかばっている。

 同じ光景を見ているのかどうか分からなかったが、気のない口調で沙羅は続けた。

「だって、こっち来てから八十島君しかいなかったんだよ、そういう人」

 言いようはともかく、話は真面目だった。そう来られると、あまりひねくれた勘繰りもできない。

「悪かった」

 そう謝るしかなかったが、よく考えると何を言ったわけでもない。そんなワケのわからない受け答えをした俺に戸惑ったのか、背中からためらいがちな声が聞こえた。

「会って話せてよかった、八十島君と……」

 どう答えていいのか分からずに、俺はひたすらシャント…山藤の行動を追った。もっとも、もう出番はなかったが。

 そこはテヒブの独壇場だった。さっきまでシャント…山藤の身体に合わせた長さに見えた短い方の棒は、テヒブの手に掛かると変幻自在の武器と化していた。

 右手から左手へと絶え間なく移っては、突いては引き、引けば消えて、思いもよらない方向から薙ぎ払う。俺は思わず立ち止まって見とれた。

 沙羅が背中をちょんちょんと突っついたのがくすぐったくて、俺は我に返った。

「分かった、先行くから」

 そう言いながら振り向くと、沙羅が俺を急かした人差し指をそのまま上げた。

「そうじゃなくて」

 つられてぐるっと首を横に捻ると、そこには顔の長い初老の男がいて唖然とした。

「あ……先生」

 担任が、白髪頭の下に掛けた眼鏡の奥から、冷たい眼差しで俺を見つめていた。

 ……俺、なにかやったっけ?

 心当たりがない。

 無言の圧力に耐えかねて逸らした視線はあちこちをさまよったが、背中に沙羅がいたことは最後に気づいた。

 うろたえて、聞かれてもいないことをつい答えてしまった。

「彼女とは何でもないです」

 眼鏡をちょいと直して、担任は面白くもなさそうに言った。

「まだ何も言ってませんが」

 そう言われると、逆に何か説教でもされるのではないかと気になって仕方がない。沙羅も同じ気持ちだったのか、慌てて割り込んだ。

「いろいろと話聞いてもらってるうちに」

「そうそう、別にやましいことは」

 同調する俺の言葉を、沙羅が囁き声で遮った。 

「言うと余計に……」

 俺たちがうろたえるのなど気にも留めず、担任は言った。

「今度はジョウジュツですか」

 聞きなれない言葉に、二人してきょとんとしていると、ご丁寧に解説が返ってきた。

「杖の術、と書いて杖術じょうじゅつです」

 へえ、と沙羅が調子よく相槌を打って尋ねた。

「どんな技なんですか?」

 そこまで目上に媚びることもない気がするが、どうやらこれが沙羅の流儀らしい。いかに異世界から来たといっても、お姫様とはとても思えない。担任は、抑揚のない声で淡々と答えた。

「肩ぐらいの高さの棒は、だいたい両手を広げた幅になります。あとは、持つ手を滑らせて間合いを詰めたり広げたりすれば、突いたり払ったり打ったりは自由自在です」

 その辺りで俺もようやく平常心を取り戻して、何とかこの場を取り繕うことを考え始めた

「最近、いろんなことに興味が広がっちゃってその……」

 もともと口から出まかせだから、上手い答えが出てこない。言葉もしどろもどろだったせいか、担任は面倒臭そうになだめた。

「学校では電源さえ切っていればいいですよ、スマホはね」

 小言も何もなく、それっきりだった。

 俺たちの脇をすり抜けて学校の方へと歩いていく担任の背中を見ながら、俺たちは聞こえないようにひそひそと話した。

「……牽制か? これって」

 わざわざ言わなくたって、気が付いているなら没収すれば済むことだ。現場を発見したら、今度は保護者にスマホの契約を切らせるということだろうか。

「バレてるってこと?」

 言葉とは裏腹に、そんなヘマは絶対にしない、という自信たっぷりのニュアンスがあった。その一方で、ついと横に滑った目は疑わしげに俺を見ている。

「お……俺だってな」

 声が少し裏返っていたのは、確信が持てなかったからだ。もしかすると、図書館の隅でシャント…山藤の様子を見ていたとき、やっぱり本棚の向こう側からでも覗いていたのかもしれない。

 沙羅は諦めのため息をついて、寒々とした冬の曇り空を仰いだ。

「遠回しでやらしいね」

 また、雪が降ってきそうだった。

 俺はまた、スマホに目を遣った。担任の登場でごちゃごちゃしたが、片付いていない疑問が一つあった。

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