第26話 守護天使・綾見沙羅って、こんな女

 午後の授業の休み時間は10分しかない。さすがに図書館に行って山藤……シャント・コウの安否を確かめる余裕はなかった。

 授業を受けながらチラチラと見ていた窓の外は、降りしきる雪で真っ白だった。それを背景にしてくっきりと浮かび上がっているのは、端正な姿勢で真剣に授業を受けている沙羅の姿だった。

 こうして見ると、普通の女子生徒だ。ちょっと近寄りがたいような厳しく冷たい雰囲気をまとう、いわゆるクールビューティだ。

 そりゃ、お姫様だから当然といえば当然だろう。

 もっとも、それだけは彼女に群がってくる他クラスの生徒は知る由もない、俺と沙羅だけの秘密だったが。

 放課後が来るとすぐ、俺は教室を出てバス停で沙羅を待った。どうせあの男子生徒たちがやってくるだろうし、連中に愛想を振りまく彼女を見るのは何となく嫌だった。

 どっちみち、沙羅はこっちへやってくるのだ。ファンタジーRPGオタクの山藤耕哉が、自分で望んだ異世界で、「ぼくがかんがえたさいきょうのせってい」シャント・コウとして右往左往する姿をお互いのスマホで確認するために。

 それもまた、誰も知らない俺と沙羅だけの勝負だった。

 降りしきる雪の中で、俺はスマホを取り出すこともなく、冷たい曇り空を見つめていた。考えてみれば、あと1週間もすれば冬休みがやってくるのだった。雪はもっと深くなるだろうか。もし、そうなったら、俺はわざわざバスに乗って街中へ出てくる必要はなくなるのだ。むしろ、家の前の雪かきをやらされる毎日になるだろう。

 その間、沙羅はどうしているだろうか? 俺とのやりとりは、メールだけになるだろうが。

 あれやこれやと取り留めもないことを考えていると、雪にやんわりと吸い込まれていく談笑が背中から途切れ途切れに聞こえてきた。振り向いてみると、沙羅が、男子たちに囲まれてやってきた。何人もがいっぺんに話しかけているので、言葉は全く聞き取れない。だが、沙羅は要領よく、ひとりひとりにリアクションを返していた。

 それでも、俺の背後まで来れば連中に別れを告げて、こっちにちょっかいを出してくるだろうと思っていた。ところが沙羅は、紺色のコートの首の辺りから口元までをすっぽり覆ったエメラルドグリーンのマフラーから顔を出すこともなく、俺の後ろを素通りした。

 別にそんなことをしなくても済むのに、俺はつい、自分から声をかけていた。

「おい……」 

 沙羅は振り向きもしないで囁いた。

「また月曜日ね、八十島君」

 そこへバスがやって来たので、俺は慌てて乗り込んだ。タラップを上がったところで発車の揺れが来たので、ポールを掴んで身体を支えた。雪のせいで街道を行く車という車はやたらと安全運転に努め、それを避けようとするバスはスピードを上げたり落としたり、ハンドルを微妙に切ったりする。

 その度に身体を振り回された俺は停車の瞬間、混んだ車内にやっとの思いで空席を見つけ出すことができた。ちょこまかと歩いて座り込んだ辺りの窓から見ると、バスはそんなに進んでいなかった。

 沙羅は、まだ男子連中に取り巻かれたまま、垂直に降る無数の雪の中をゆったりと歩いている。俺は、その姿が後ろへ遠ざかっていくのをバスの中から呆然と見送るしかなかった。 

 バスが何度か車線変更をして川沿いの道を曲がり、もう沙羅の姿が見えなくなったところで、俺はスマホを取り出した。例の異世界アプリの画面を眺めてみると、例のシャント・コウは男たちに取り巻かれてボコボコに殴られている。

 ……何だ? 何だ?

 俺の疑問に答えるかのように、画面の中をいくつもの吹き出しが飛び交う。

《何てことしやがる、相手は女だぞ!》

《このケダモノが!》

《恥を知れ、恥を!》

 男たちは雄叫びを上げて、羽交い絞めにした山藤……シャント・コウの腹やら顔やらに、拳や足を思いのままに叩き込んでいる。

 リューナが止めに入った。男たちにもみくちゃにされながら、何とかしてシャントを助け出そうともがく。

 だが、男たちはその細い身体を弾き飛ばさんばかりの勢いで突き飛ばした。よろけて倒れそうになるリューナを、周りで見ていた女たちが抱き留めた。

《何すんだい、ケダモノはあんたらも同じだろ!》

 その非難を、男たちは聞き逃さなかった。シャントを殴る手を止めて言い返す。

《お前らだろ、俺らを呼びに来たの》

《言っただろうが、助けてって》

 シャント・コウこと山藤にそんな殴られるほどのケダモノ行為ができるとは到底思えなかった。せいぜいネット上できわどいアニメ絵を眺めているのがせいぜいの、身体のひょろっとしたうつむき加減の小男だ。

 だが、頭に血が上った男たちは、もう手段が目的とすり替わっていた。悪者とみなした圧倒的に弱い相手を袋叩きにできれば、それでいいのだ。 

《かばうこたあねえ、こんなヤツは!》 

 大勢で1人をぶちのめそうとする男たちの乱暴狼藉ぶりを見かねたのか、女たちも非難の声を上げる。

《やめな! もういいだろ!》

《そのへんにしときなよ、いい大人がさあ!》

 それが通じたのか、男が1人、振り上げた拳をすごすごと下ろした。

 ……今だ!

 俺はその男をタップして止めた。その頭上で小さな逆三角錐のマーカーがくるくる回転し始めたのを確かめて、男の手を地面へとドラッグする。それにつれて、男は屈みこんだ。

 更に画面上で指を広げて、男の手元の地面を拡大する。さらに、男の指を動かして、日本語のメッセージをしたためた。もちろん、この場が治まらなければシャント・コウこと山藤にはこれを読む余裕なんかない。残念ながら、俺はモブを動かすのが限界で、助けてはやれないのだ。

 やがて、男たちはシャントをその場に放り出して、その場を離れていった。まだ石垣を築く作業が残っているというのもあるだろうが、人を思うままにぶちのめして不機嫌そうにしている男たちの様子を見る限り、殴るのに飽きたり、また疲れたりしているというのが本音だろう。

 顔をあざだらけにして横たわる山藤に、リューナは駆け寄ろうとする。だが、女たちがそれを許さなかった。

《かまうんじゃないよ!》

《立場わきまえな、色気づいちまってまあ……》

 リューナが引きずられるようにして畑仕事に戻っていったところで、山藤……シャント・コウはひとり、西日の照りつける土の上に転がされたまま残された。

 すまない、山藤。日が暮れる前に、俺のメッセージに気付いてくれ。

 因みに、ステータスはこうだった。


  生命力…2

  精神力…2

  身体…2

  賢さ…2 

  頑丈さ…2

  身軽さ…2

  格好よさ…2

  辛抱強さ…1

  階級…ケダモノ

 

 留年寸前のヤツの通知表か! 

 なんとか生きて、正気を辛うじて保っているといった状態だろう。シャントはぐったりと手足を地面に投げ出しており、しばらくは動けもしないことは見れば分かった。俺はスマホをカバンにしまいこんだ。

 バスターミナルへと続く川沿いの道は、ますます吹雪いてきた。無数の牡丹雪が、窓の外を水平に飛び過ぎていく。それはバスが終点のターミナルに到着するまで続いた。

 やがてバスが停まって、俺が降りたその場所は、薄汚れたトタン壁の塗装がところどころ剥げて、コンクリートの床にもあちこちひびが入っている。いつもはそれほど利用客もないのだが、今日はわりと混雑していた。雪が急激に降り積もったせいでバスが遅れているのだ。

 俺はスマホを見る余裕もなく、帰宅する方角へのバス乗り場に立った。順番を取っておかないと、1時間はバスを待つ羽目になる。すでに待っている乗客はいたが、乗る順番が早かったおかげで、少なくともバス2台分の人数が乗るバスでも座席は確保できた。

 そこで、やっとスマホを見る余裕ができたのだった。再び異世界アプリを開くと、見慣れないボックスが開いてメッセージが入る。

〔ごめんね、つきあってるなんて思われたらいやでしょ?〕

 沙羅からだった。同じSNSを使っているのだから、そんなものが届くのも当然といえば当然なのだが、俺は、そんなことを沙羅が気にしているのに、妙に新鮮な気分を感じた。

 それでも、できるだけ気持ちを落ち着かせて、素っ気ない返信をする。

〔あいつら何か言ってきたのか?〕

〔連絡先は教えなかったから〕

 逆に解釈すれば、相当しつこくアプローチされたということだ。

〔ついてこなかったか?〕

〔町の中ちょっと歩いて、途中で巻いちゃった〕

 沙羅もご苦労なことだ、この雪の中では、男連中の方もさぞかし寒い思いをしただろう。

 そこで、ふと思いついたことがあった。

 しつこく付きまとう相手を巻くのに、わざわざ自宅に近づくことはない。他クラスの男子たちが帰ってしまうまで、沙羅はあの橋を渡ることができないのだ。

 俺はちょっと聞いてみた。

〔バスターミナル来たか?〕

 もし俺に用があったら、男子たちを巻いたあとに、あるいは巻くために顔を出していても不思議はない。正直なことを言えば、もしそうだったらという気持ちが心のどこかにあった。

 それを見抜いたかのように、沙羅のメッセージが尋ねた。

〔待ってた?〕

 待っていればよかったという気がした。もう1時間、バスを遅らせていれば沙羅がやってきたかもしれない。だからどうだと言われても、スマホでシャント・コウ……山藤のやることにツッコミ入れるより他は何をするわけでもないが。

 だが、そこでハタと気付いたことがある。

 ……待てよ。

 俺は、明らかに沙羅との接触を待っている。さっきのメッセージにしても、バス停でのやりとりにしても、俺は沙羅がやって来るものと思っていた。

 ……何で?

 何があっても、沙羅は転校してきてからこっち、いつもすぐ近くにいた。それどころか、心の中のいちばんヤバい秘密に踏み込もうとした俺への怒りはその日のうちに解けたのだ。その時は、意外にも寛大なところがあると思った。見直したり済まないと思ったりもしたものだ。

 だが、俺の頭の中に一瞬、閃いた疑いがあった。

 ……都合が良すぎる。

 沙羅は確かに異世界の姫君の記憶を持っているが、この世界で普通の女の子としての人生を歩んできたのだ。知られたくないこともあれば、誰か男を好きになることもあるだろう。それは、沙羅の勝手だ。

 そこで、俺の思考は停止した。

 ……あ。


 沙羅は許してくれたんじゃなくて、許してみせたんじゃないのか?

 そうだとしたら、何のために?

 対戦相手に負い目やプレッシャーを感じさせて、意のままに操るためだ。

 いきなり他クラスの男子たちと仲良くなりはじめた沙羅が、楽しそうに笑っている姿が思い出された。これも、俺をからかってのことかもしれない。

 何だかひとりで舞い上がっていたことを思うと、顔から火が出る思いがした。

 ……つまり、俺はハメられた?

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