第74話 慢心の代償

「キルスティア! 強化魔法お願い!」

「わ、わかりました!」


 ――アタックインクリース! ディフェンスインクリース!


 キルスティアが強化魔法を唱えると僕の体が光に包まれる。よ、よし! こうなったら気合と根性だ! やるしかねえ!


「おらあ! 死にさらせやぁ!!」


メガアンガーは図体はデカいが、そこまで機敏には動かない。何故か前回の試験の時に遭遇した奴らよりも動きが緩慢そうだ。これならなんとかいけるか!?

 メガアンガーの攻撃を寸でのところで掻い潜り、亡骸をぶち込む。4体目に強烈な一撃を入れたところで一瞬気を抜いてしまった。


「レ、レット様! 後ろ! ウォーウルフがぁ!」


 あ、ヤバい。や、やられる……

 なんとか体を反転させてウォーウルフの正面に相対したものの、ヤツの素早い攻撃に対処できない。ウォーウルフの鋭い爪が僕の顔面を捉えようとしたその瞬間……


 世界は静止した――


 い、いや、これは静止したわけじゃない。そうだ! あの時の! ホウライとの稽古の時のアレだ!

 死の危機に直面した状態で世界がスローモーションになる。僕の顔面寸前に迫りくるウォーウルフの爪を躱す。あぁ、心臓が痛い、少し体を動かす度に全身に激痛が走る。でも死ぬよりか何倍もマシだ!

 なんとか攻撃を躱すと世界は以前の状態へと戻る。すかさずヤツの首元へ亡骸の一撃をブチかました。遠吠えを上げながら絶命する魔獣。

 目下の危機は脱したけれど事態はなんにも好転していない。くっそ、どうする? もう1回3ピースを使うか? いや、でもこの後何が起こるかわからない。できることなら切り札はとっておきたい……

 そんな一瞬の気の迷いが致命的なミスになった。


「レット様! う、後ろ!」


 ――えっ?


 完全に虚を突かれた。あの球体の力が発動した直後だったからなのか、今度は世界がスローモーションにならずに、僕の左手にウォーウルフの鋭い牙が思いっきり食い込む。


 ――あ、あぁぁぁぁぁ! がぁぁぁああぁあぁ!!


 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。

 僕の左手に食いついたまま離れないウォーウルフ。ヤバい。これはマジで…… 耐えがたい痛み。僕の左手に食いついて離れないウォーウルフ。クソっ、血が、血が……

 僕の血で顔が深紅に染まる魔獣。ヤツが力任せに咬合する度、鮮血が辺りにまき散らされる。な、なんとかしてこいつを手から離さないと……

 耐えがたい痛みの中、力を振り絞り右手に持った亡骸をウォーウルフの下腹部へ突き刺す。ウォーウルフはしばらく耐えた後、僕の左手を噛みしめていた物凄い力をゆっくりとほどいていった。

 あぁ、痛い、灼けるような痛み。クッソ、噛まれたところを見たくない。どうなってんだ? 恐る恐る左手を見てみる。


 ち、ちくしょう…… ひ、左手がねぇ……


 魔獣に食いちぎられた、あったはずの左手。絶命したウォーウルフの口元付近には僕の左手だった肉片が転がっている。

 くそ、こんなことになるなんて。アドレナリンが過剰分泌されているせいか、痛みは何故だか耐えられそうだけど、傷口が物凄く、灼けるように熱い。燃え盛る炎の中に手を突っ込んでるみたいだ。

 あぁ! こんなことになるんなら最初から使っておけばよかった。後悔しても遅いけどこんなところで死にたくない! 仕方ない、使うしかない!


 Purple peony punish sinner(紫の芍薬は罪びとを罰する)――

 ――パチンッ!


 カードを折ると同時に詠唱する。詠唱すると同時に紫色の神秘が辺り一帯にいた魔獣達を駆逐する。

 一瞬の迷いがこんな結果を引き起こしてしまった。自分はこんな絶望的な状況でも事態を好転できるって軽く考えていた。そんなことはなかった。僕は強くなった気がしてただけで、結局父ちゃんの力に頼ってただけだった。


「レット様! とにかく左手の治療を。今の状況では難しいですが、状況が落ち着いたら本格的な治療を施しますのでしばしのご辛抱を!」


 キルスティアに止血をしてもらい、痛みを軽減する魔法を施してもらう。とりあえず眼前の敵は排除した。デカ達が待つ崖下まであともう少し。



    ◇



「レット君、すまない、君にそんな傷を負わせてしまうとは。従者失格だ」

「レット様! 私のせいで、私のせいで、こんな、こんなことに……」


 ふ、ふたりとも気にすんな。僕が弱くて、判断が曖昧で、自分の力を過信してた結果がこれなだけ。ふたりともなんにも悪くねえ。ピコの頭を撫でてあげる。泣きじゃくる彼女の体は震えていた。


「よ、よし。とりあえず野営地へ戻るぞ。キルスティア、デカの足を治療してやってくれるか?」

「もちろんです! デカさん、いきますよ…… ハイヒール!」


 明後日の方向へねじ曲がっていたデカの右足がみるみる元の状態へ戻っていく。やっぱキルスティアってすごい人なんだな。


「ありがとうございます。ここからは私が対処する。皆さんは自分の身を守ることだけに専念してください。レット君、私の荷物は持ってきてくれたかな?」


 あ、あぁ。持ってきた荷物をデカに渡し、デカはその中から丸い、ボールのようなものを取り出した。


「今回は私のミスだ。少しのことなら大丈夫だろうと、これを持って野営地を離れなかった私の落ち度だった」


 話しながら野営地までの道のりを歩く。すぐ近くでウォーウルフの遠吠えが聞こえる。くそ! まだいやがるのか。

 キルスティアに治療してもらった左手、痛みは引いたけど燃えるような熱さは依然として続いている。

 野営地まであとどれくらいだ? てかロベリア達は無事か? 野営地まで魔獣に襲われていたら…… 嫌な予感が頭を過る。


「いよいよお出ましだね。皆、気を付けて」


 デカの一言で魔獣達に囲まれているのに気付いた。メガアンガーはどうやら全部倒したみたいだけど、ウォーウルフがまだ10体以上はいるのか? 暗闇にいくつもの怪しく光る瞳が蠢いている。


「この程度ならこの子で大丈夫だな」


 デカがそう言うと持っていたボールのようなものを握りつぶし、地面に向けて落とした。


 ――息の根を止めろ『虹蛇』


 地面に落ちたボールのようなものの残骸から無数の蛇のような物体が一斉にウォーウルフに向かって進みだす。

 キラキラと光る蛇の群れ。一体何匹いるのか、無数の蛇達はウォーウルフに絡みつき、奴らの動きを止める。でもいくらたくさんいるっていってもあんな小さい蛇の群れでウォーウルフなんて倒せるのか? だがそんな心配はすぐに杞憂だったと理解した。

 な、なにが起こってるの!?

 蛇達に絡みつかれたウォーウルフ達は、いつの間にかデカい水塊の中に閉じ込められていた。まるでスライムの中に閉じ込められたエサのようだ。

 ジタバタと前足を動かして苦しむウォーウルフ達。数分の後、水を飲み過ぎたのか、呼吸ができずに限界に達したのか、魔獣達はゆっくりと動きを止めていく。


「よし、ひとまず安心だね。皆戻っていいよ」


 デカの一声で一斉にデカの体に撒き付く蛇達。う、うわっ、なんつー悍ましい光景なんだよ。だがその惨憺たる有様は一瞬の内に消失した。

 あ、あれ? あの蛇達はどこに行ったんだ?


「あぁ、彼らは元の場所に帰っていった。可愛い子達だっただろ?」


 う、うん、そだね……


「よし、野営地まではあと少しだ。急ごう」


 う、うん! デカに言われ足を早める。しばらく走ると遠くのほうで火の明かりが見える。よし! あともうちょっとで野営地に着く! ロベリア、ピオ待っててくれよ!

 だが最後の最後で最悪の事態が待ち受けていた。僕はこの場にくるまでそのことに全く気付いていなかった。

 しんがりを走っていたデカが僕の脳内に直接語り掛けてきた。


「いいかい? レット君、後ろからヤバいヤツが来ている。多分だけどそいつは私達より強い。だから私がここでそいつを食い止めておくから、君たちは今すぐ馬車で出発したまえ。いいね? そいつを倒したらすぐに君たちに合流するから」

「え!? な、なんだよ、それ。一緒に戦えばいいだろ!? なんでデカだけ置いてかなくちゃいけないんだよ!」

「こちらにはピコとピオがいるじゃないか。あんな子どもたちを戦闘に巻き込むのかい? それにキルスティアは部外者だ。彼女をこれ以上危険に巻き込むのもおかしな話だろ? レット君、頼むからお姉さんの言うことを聞いてくれ」


 そ、そんな……


 行くか、残るか、僕は唐突に究極の選択を迫られることになったのだった。

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