第58話 匍匐前進

 ホウライが父ちゃんに話をつけて、僕の稽古をホウライが全て見ることが決まった。最初はうれしかったけど、あの怪しい微笑みを見たあとでは不安しかない。


「ええと、とりあえず体力を増強しよう。まずは手始めに……」


 ――これを使おう


 そう言って彼女が取り出したのは球体だった。

その球体、なんつーんだ、玉虫色? いや、青紫色って言ったらいいのか、とにかく得体のしれない禍々しさの漂う球体。

 なにそれ? なんかめっちゃ怖いんだけど。それ使ってなにすんの? マッサージかなんかの道具か?


「レット君、服を捲りなさい。胸を出して」


 え、は、恥ずかしいんですけどぉ! この人一体なにする気だよ!

 ホウライに言われ渋々服を上まで捲る。僕は起伏の余りない平野を露わにされ、彼女の指示を待つ。なんかすごい嫌な予感がしてきた……


「大丈夫、心配いらないよ。痛くしないからね。最初にチクっとするかもしれないけれど」


 え、怖っ! なんなのこの人、すんごい嫌らしい笑みを浮かべてるんですけどぉ!

 彼女はそういうとその球体を僕の胸に押し当ててくる。

 すると不思議なことにその球体は、少しの抵抗もなく僕の体の中へ入っていく。まるで水面にゆっくりと手を入れるみたいな滑らかさで。

 球体が完全に僕の体へ入った瞬間とてつもない違和感を感じた。


「え、え、え、お、おもっ! 体おもっ! なにこれ、ちょ、ちょっと、ホウライ! 何したんだよ! ちょ、ま、まともに立ってられないんだけど……」


 自身の重さに耐えきれず、思わず両膝を地面についてしまった。


「よし、成功だ。今君に使用したアイテムはとても貴重なものだから有難く思ってくれ給え。まぁ礼はいらないよ」


 質問の答えになってねぇ! ヤバい、今まで体に重さなんて感じたことなかったのに、自分の体が自分のものじゃないみたいだ。


「いいかい、とりあえずこのまま1週間暮らすんだ。最初はつらいだろうけどそのうち慣れてくる。これがレッスン1だ。いいかい?」


 おい! レッスン1からすでにムリゲーなんですけどぉ! やべえ、立ってるのさえつらい。これ病み上がりの人間にやっていい所業じゃねえぞ!

 文句を言おうとしたが、ホウライは用事があるから行くねぇ、と言ってすぐにどこかへ行ってしまった。え、どうすんのこれ? ここから動けないんですけど……

 このままここにいても埒が明かないので、父ちゃんがいる森の中心か、ロベリアのいる屋敷へ行くかで迷う。うーん、どちらも距離はそんなにかわんないけど、まだロベリアの屋敷でベッドで寝てたほうがよさそうだ。


 僕はロベリアの屋敷へ戻ることに決めた。



    ◇



 2時間経った。僕は匍匐前進でロベリアの屋敷へ向かったのだが、多分まだ半分も進んでいない。通常だったら15分も歩けば着ける距離。あかん、死んでまう。ホウライめ! なんつうことをしてくれたんだよ! 稽古のイメージが僕とホウライでめちゃくちゃかけ離れとるやんけ! 僕の中ではマンガ「ケ〇ジ」でじいちゃんが修行つけてくれるみたいなのをイメージしてたのにぃ!こんなん稽古ちゃう!


 その後の匍匐前進は過酷を極めた。途中で野犬に小便を掛けられそうになったり、道のど真ん中に野犬のう〇こが落ちていて回避するのに苦労したり、鳥の大群が糞を縦断爆撃してきたりと、大体が下系の攻撃だったが、つらく過酷な道のりであった。

 それからさらに2時間かけて、なんとかロベリアの屋敷の近くまでたどり着いた。匍匐前進で来たので服はボロボロ、肘や膝も擦り傷だらけだ。僕は一体なにをやってるんだ?自衛隊にでも入るのか?


「ちょ、ちょっと! レットってばなにやってるのよ!」


 屋敷まであと50メートル近辺のところで運よくロベリアが僕を発見してくれた。まぁ欲を言えばもっと早く発見してほしかった。できたら中間くらいのところで。


 ロベリアの肩を借りてなんとか屋敷の中へ入る。僕に肩を貸すロベリアも何故か死にそうな顔をしている。よほど重いんだろうか? 一体僕の体重は今何キロになっているんだろう。


「ちょ、ちょっと、レット、一体どうしたっていうの? 尋常じゃない重さなんです、けど…… なに食べたらこう、なるのよ、あ、肩が、もげそう……」


 ごめんロベリア、僕にもてんで理解できてないんだわ。とりあえずホウライになにかされたことを伝えて、風呂へ行くことに決めた。



    ◇



 なんとか服を脱ぎ風呂へ入る。

 僕は忘れていた。ロベリアの屋敷の風呂はデカい。上級貴族の屋敷の風呂だから当然と言えば当然なんだが、その風呂はやたら深い。通常時であれば潜って泳いだりしてキャッキャウフフできる最高の風呂なんだが、今の僕には確実に只の拷問装置でしかなかった。

 なにも考えずに風呂へ入った僕は思いっきり風呂の底へ沈んでしまった。え、浮力とかで浮くと思ってたのに、沈んじゃうの!? 僕ここで死んじゃうかんじ? こんな死に方は嫌じゃぁ! そんなことを考えていると、心配して見にきてくれたロベリアに寸でのところで助け出され、九死に一生を得たのだった。

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