第81話 どこにもいません!

 翌日、昨日のことがまるで嘘だったかのように静かな朝。昨日起きたことは夢だったのか? いや、あの天地がひっくり返っても敵いっこない存在を目の当たりにしたのは確かに現実だった。手のひらには嫌な汗の感覚が未だに残っている。

 あの場で同じ光景を見ていたロベリアもあの時起きた現象が現実なのか、はたまた白昼夢だったのか、未だに計り知れていない様子だった。


「ねぇ、レット、あれって実際に起こったんだよね? 私未だに信じられないんだけど。でもこれだけは覚えてる。アレは邪悪そのものだったわ。だってバアルってたしか悪魔の名前よね? あんなものを復活させようとしてるなんて、やっぱりバールって集団は碌でもない奴らなのね」


 悪魔か…… たしかにあの禍々しさは只事じゃない。できることならギザ歯の男、リタに話を聞きたいところだが、でもバールのヤツなんかに話しかけたくないな。


 ――にぇ~にぇ~


 そんなことを考えていると、後ろから突然声を掛けられた。少し前に聞いたことのある、一度聞いたら忘れられない特徴的な話し方をする少女。


「昨日しゅごかったにぇ。じゅっと見てたけどしゃあ、君たちよく連れてかれなかったにぇ。やっぱ君たちは特別みたいにぇ」


「な、なんでお前が知ってるんだよ? どこから見てたんだよ?」

「ふふんっ、あたちは結界のにゃかの事にゃら全部分かっちゃうんだよん。しょんでさぁ、もう1回聞きたいんだけどぉ、君たちが転生者なんでちょ?」


 こ、こいつなんでこんなに僕らが転生者かどうかに拘ってんだ? なにを企んでる? こいつの考えは全くわからないけど、やっぱりここで僕らが転生者ってことをバラすのは悪手な気がする。


「しつこいな。僕らは転生者じゃないっての! そ、そもそも転生者ってなんなのさ?」


 そう告げると彼女はなにか思索に耽っているかと思うと、足元に転がっていた誰かが投げ捨てたゴミを軽く蹴り、ゆっくりと言葉を紡ぎだした。


「しょっか~、わかったぁ。もし転生者ならあたちたちの仲間に入れたかったんだけどぉ、そこまで言うんにゃらこれ以上はなんも言わにゃいよぉ。じゃあ……」


 ――バイバイ~


 彼女はそう言うと踵を返し客室へと帰っていった。仲間? あいつは転生者を集めてるのか? 一体なんの目的で? 

 いや、考えても仕方ない。あいつの思惑がなんにせよ、あまり深入りするのは得策じゃない。僕は直観でそう思った。なんの根拠もないのだけれど。



    ◇



 定期船が出航してから19日目、順調に行けば明日にもアリスミゼラルの北端にある港町ノーステイルに到着する。この街の入り江はかなり複雑で、いわゆるリアス式海岸と言われる地形。なので船を接岸するのもかなり難しいらしく、船員たちはもうすぐ迎える難ミッションを控えてピリピリしている様子だ。


「はぁ、でもこんだけ長期の船旅でバアルとの一件はあったけどさ、大きなトラブルもなく来れたのは奇跡だったよね」


 ですな。


 ロベリアがしみじみと船旅の感想を述べている。たしかにまだ港町へ到着していないから油断はできないけど、ここまでは順調に来ている。まぁ本番、ルーナ達を助けるという旅の目的はまだ入り口にすら達していないんだけどな。

 船のボードについている手すりに肘をついて海上を眺めながら物思いに耽る。まだアリスミゼラルの陸地は見えていないけど、明日の今頃には港町の船着き場から新しい街へ一歩踏み出しているだろう。


 ――右舷から魔獣の群れが接近中!


 艦橋で周囲を監視している船員が大声で注意を促す。

 まぁそんなこと言われても言われなくても、結界が僕らの、いやこの船の安全を守ってくれるだろう。

 その時はそう思っていた。完全に結界に頼りきっていた。


 しばらくして魔獣『テラーフィッシュ』の大群が肉眼ではっきり見える程度の距離まで近づいてきた。相変わらずすごい大群だ。空の一部が真っ黒に覆われている。

 もうそろそろ結界に触れて魔獣達が消滅するくらいの距離だな。のほほんと手すりに肘をついたまま魔獣が消滅するとこでも拝もうと、テラーフィッシュ達を眺めていた。


 あれ?


 おかしくない? いつもならあれくらい近づいたらあいつら消滅してたのに……

消えてなくない? ていうかだんだん近づいてきてるような。


 え、え、え、や、ヤバいんじゃないこれ?


 テラーフィッシュの群れの先頭にいたヤツが船首まであと10メートルくらいまで接近している。こ、これってもうすでに結界の内側まで入ってきてるんじゃないの!?

 結界は肉眼では目視できず、結界の状態がどうなっているのか分からない。熟練の魔術師とかだったら分かるのかもしれないけど、僕みたいなヒヨッこには確認する術がない。

 艦橋で監視していた船員も異変に気付いたらしく、緊急事態を告げる鐘を力いっぱい打ち鳴らして船全体へ危険が迫っていることを告げる。


「お、おい、船首のとこで作業してるあの人…… お、襲われてるぞ!」


 船首でモップ掛けをしていた船員のひとりがテラーフィッシュに囲まれて身動きが取れなくなっている。

 早く助けないと、手遅れになる前に!


「だ、誰か! 甲板に水撒いてくれ! 早く!」

「はぁ!? なにする気だ嬢ちゃん!?」

「いいからつべこべ言ってないでさっさとお願い!」

 いきなり水撒けなんて言われても困惑するだろう、でも今はそんなこと言ってる場合じゃねえ! 船員のケツを叩いて大量の水で甲板を湿らせる。

 とりあえずこんなもんでいいか。


 Purple peony punish sinner(紫の芍薬は罪びとを罰する)――

 perceptual expansion(知覚拡張)――

 ――パチンッ!


 ぐぅぅっ! 頭がっ…… いてぇ……

 世界が歪む、そして魔獣の動きが明らかに緩慢に見える。でもそれはまやかし、実際奴らの動きが遅くなったわけじゃない。

 ホウライから教わったこのPEのおかげで僕の思考が加速される。


 よしっ、ファイアボール――


 一度に5つのファイアボールを頭上へ顕現させる。


「いくぞ、魔獣共。軌跡100本だ」


 相手は大群、固まって移動してくるデカい的だ。軌跡を設定するのもそう困難なことではない。ある程度軌道を決めて一斉に打ち下ろす。


 ――ファイアレイン!


 100個に分かれた火の雨が敵陣目がけて飛んでいく。船の被害が最小限になるよう、確実に魔獣の群れへ攻撃を当てる。1匹1匹は小さいが、塊になって移動してくるおかげで大量の焼き魚が完成する。


「ロベリア、お願い! 今のうちにあのおじさん助けてやって!」

「わ、分かったわ!」


 テラーフィッシュの第1波をファイアレインでなんとか一掃し、その隙をついて船首にいた船員を助け出す。

 だがファイアレインの攻撃をなんとか切り抜けたテラーフィッシュ、そして元々船員を切り刻もうとしていた奴らがロベリアの行く手を遮ろうとする。


「なんなのよ、あんたら! 私の行く手を遮るのなら全部死んじゃって!」


 ロベリアに危害を加えようとして逆に鯖折り状態になったテラーフィッシュ達がボトボトと甲板上へ落ちていく。


「おじさん! 大丈夫!? 早く後ろへ!」


 よし、とりあえずおじさんは大丈夫だ。でもすぐに第2波が来る。

 でもなんでだ? なんで結界が急に無くなったんだ? あの結界を張った女はなにしてるんだ?

 そんなことを考えていると、後ろのほうから船員のひとりが息を切らしながら駆け寄ってきてこう叫んだ。


「はぁはぁ! あ、あの人が! 結界を構築したあの人が……」


 嫌な予感が頭を過る。


 ――どこにも、どこにもいません!


 嫌な予感は絶望に変わった。


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