第80話 バアル降臨

 は? 絶対的支配者? バアル? なんだそれ。こいつの言ってる意味が分からない。


「おらっ! 答えてやったんだ、早くこっから離れろや。てかそのまんまそこにいてもいいけどよぉ、どうなっても知らねえからなぁ!」


 離れろって言われても、今から起こるなにかが気になって離れられない。で、でもロベリアを巻き込みたくはない。


「ロベリア、君は客室へ避難してて。僕はこいつらがなにをしでかすのか見定める」

「だぁかぁらぁ! あなたがここにいるのなら私もここにいるっつーの! もうあなたと私は一蓮托生なのよ! 少しは私のことも信頼して!」


 あぁ。またやっちまった。そうだよな、ここまで一緒に来てくれたロベリアはもう僕の半身みたいなもんだ。もう野暮なことは言わねえぜ!


「ごめん、ロベリア、これからなにが起こるのか一緒に見定めよう! もしこいつらが本当に僕らの敵だったらここでこいつらをやる!」


 隣に立つロベリアが僕の手をギュッと掴んでくる。少し汗ばんだ緊張した手の平。彼女の気持ちが僕の中へ溶け込んでいく。


「ふんっ! 引っ張られても知らねえからなぁ! おらっ! バアル! 受け取れやぁ!」


 ギザ歯の男が叫ぶと突然捧げられた魔獣の頭上に、まるで3ピースパンデモニウムを詠唱した時に出現する異空間が広がった。

だがパンデモニウムとは規模が違う。デカい、とにかくデカい異空間。


「な、なんだんだよ、あれ。あ、な、何かが、落ちてくる」


「来るぞ! クソガキ共! もう後悔したっておせえからなぁ!」


 異空間から垂れ下がる鎖。1本、2本、3本、4本……

 数えるのも嫌になるほどの無数の鎖が、捧げられた魔獣に向かって垂れ下がる。

 そしてその鎖を掻きわけるかのように顕現してきたのは……


 ――あれは…… 腕?


 それはとても巨大な1本の腕。紫色の腕には所々に文字なのか、なにかの紋様なのか、入れ墨らしきものが描かれている。そしてその腕に繋がる指先には禍々しい指輪が3つ、人差し指、中指、薬指にそれぞれ嵌められている。

 その巨大で、横暴で、禍々しく、陰鬱な気分をより戻すかのような錯覚を与える手は、捧げられた供物を無造作に掴み、元来た異空間へ帰っていく。


「えっ? あっ、や、ヤバい、かっ、体が、持ってかれ、る……」


 異空間から物凄い力で体を持っていかれそうになる。こ、これがギザ歯の言ってたヤツなのか? ミスった、選択を間違えた。安っぽい好奇心でこんなことになるとは。

 近くにあった柱にしがみつき、なんとか堪えようと必死で耐えたが、もう数十秒も持ちそうにない。くっそ、こんなとこで……

 もうダメだ。諦めかけた時、突然異空間から僕らを引っ張っていた力が止み、どこからともなく声が、悍ましく、不快な、感情を沈めさせるような声が聞こえてきた。


 ――くせぇ、くせぇ、くせぇ、くせぇ……


 ――くせえ!!


 え? くせえ? な、なに言ってんだ? わけが分からない。


 ――なぁんであいつの臭いがするんだぁ? あぁ? てめえか? 元凶はぁ……


 いつの間にか巨大な腕と鎖は異空間に引っ込み、代わりに異空間からふたつの瞳がこちらを凝視している。

 その瞳に睨まれて体が動かない。一体なんなんだ? 理解が追い付かない。


 ――あぁぁ、そういうことか。お前が今のあいつのおもちゃか。本当にあいつも懲りねえやつだなぁ。


 あ、あいつ? 誰のことだ? おもちゃってのも…… くそ、分かるように説明しやがれよ! だがふたつの瞳に睨まれて声が出せない。


 ――おもしれぇ。てめえは食わねえでいてやんよぉ。まぁせいぜいあいつの手のひらで遊んでな。


 ――クソルシフェルのよぉ!


 え? クソルシフェル? 誰だ? 初めて聞いた名前だぞ。クソルシフェル、僕からそいつの臭いがするってことなのか? 会ったこともないヤツなのに……


 分からないことばかりだけど、とりあえずの危機は去ったみたいだ。巨大な異空間は徐々に縮まり、終いには完全に消失した。


「まさかおめえら引っ張られずに生き残るとはなぁ! てめえら何もんだぁ? 俄然お前らに興味が沸いてきたぜ」


 腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった僕らを見て、ゲラゲラとあざ笑うギザ歯の男。彼は最後にこう告げた。


 ――俺の名前はリタ。第四位柱ダレットサメフのリタだ! 


 じゃあな! と言って彼は客室へと帰っていった。

 思考が追い付かず、呆然自失となった僕らは何もできず、ただその場に突っ伏したままだった。

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