第79話 ギザ歯の男

 体調もよくなり、なんとなく船旅にも飽きだした10日目。

 午前中に魔獣の群れに遭遇したものの、何時のも如く結界の力で突破し、海に平穏が戻った頃、船首甲板の辺りで異様な風体をした男性が定期船の男と立ち話をしていた。



 な、なんだ!? あの男、黒い海パン1枚しか履いてねえ。そして腰まである長髪。長髪で隠れた背中からは色とりどりのインクで彫られた入れ墨がチラホラ見える。

 あれは…… なんの絵だ? 角が生えた、如何にも禍々しい魔物? なんなのかは分からないが、とにかく悍ましい怪物が彫られていた。


 ――……かってんだろうな……


 数メートル離れた甲板で海を眺めていた僕らからは彼らが話している内容はうまく聞き取れない。だが入れ墨の男が船の職員になにか詰め寄っている様子だった。


「ロベリア、なんかやばそうなヤツがいるよ。できるだけ関わらないようにしようね。絶対アイツ普通じゃないよ。見てよ、あの格好。変態かな?」

「うわっ、ろ、露出狂かしら? たしかにあれには近づかないほうがよさそうね」


 ロベリアと認識が共通していることを確かめて、できるだけ船首から離れたところへ行こうとした、その時……


「えぇ、当定期船は今から3時間ほどこの海域で停船いたします。お客様にはご迷惑をおかけいたしますが、今しばらくお待ちください」


 あ? 停船? なんでこんななんにもないところで止まるんだよ? なにか船にトラブルでもあったのか?


 ――ドバァァァン!


 そんなことを考えていると、先程の海パン変態男が突然船首から海に向かって飛び込んだ。

 はぁ!? あ、あいつなにやってんだ? この辺の海域は大型の海棲魔獣が多く出没する危険地帯だぞ! 死ぬ気か!?


 だがヤツはどうやら自殺するつもりで海へ飛び込んだわけではないようだ。すぐ隣で雑談している定期船の会話が耳に入ってくる。


「あれってさ、バールの第四位柱ダレットサメフでしょ? なんであんなのが乗船してるんだよ?」

「あぁ、なんでもこの辺りの海域でしか捕獲できない魔獣がいるらしいぜ。そいつが目当てなんだろ」


 マジかよ…… こんなところまで希少魔獣を狩りに来たってことか? 本当にとんでもねえ奴らだな。くそっ、どうする? 力ずくで止めるか? でも…… 時と場合によっちゃあ定期船の人間全員を敵に回すことになるぞ。そうなるとロベリアまで危険に晒すことになる……


 頭の中で答えのでない押し問答が続く。定期船の乗客達は甲板にでて、水面を眺めている。皆バールのヤロウの行動が気になるようだ。


 ヤツが海へ潜って1時間が経過した。あいつ海に潜ってから一度も水面に顔を出してないけど、どうなってんだ? 息継ぎを全くしてないぞ。もしかしてそのまま魔獣に返り討ちにあって死んだのか?

 そんな僕の願望の入り混じった憶測は突然の水しぶきによって打ち消された。


「おらぁ! 網を下ろせやあ! サッサとしやがれぇ!」


 水面から叫ぶ男の声。定期船の船員達が急いでドでかい網を海へ投げ入れる。え? あんなでけぇ網が必要な魔獣なのか? てっきり可愛らしい、それこそメラニア系の魔獣を捕まえるのかと思ってたぞ。


 海上で男がなにかを網へ入れようと四苦八苦している。そしてなにやら船上にいる船員へ叫んでいる。


「おい! ダニはなにしてやがんだ! サッサと呼んできやがれ!」


 ダニ? こいつの仲間の名前か? そういやこいつらバールはふたり乗ってるって言ってたよな。


「い、いえ、あの人寝てて…… 起こしたら殺すぞって言われたんですよ」


 な、なんつーヤツだ。やっぱこいつら碌でもねえ集まりだな。


「クソがぁ! あいつあとでブチ殺してやる!」


 文句を垂れながらひとりせっせと魔獣に網をかけるバールの男。30分程度の格闘の末どうやら網に魔獣を捕獲することに成功したようだ。


 ――おらっ! ひっぱれ!


 男の掛け声を受けて船員たちは大型のリールで網に繋がったワイヤーを巻き上げていく。ガタイのいい海の男数人掛かりでなんとか引き上げられる程度にデカい得物らしい。


 ゆっくりと海面から姿を現しだした魔獣。そいつは僕が想像していた可愛らしい魔獣とは大きくかけ離れた代物だった。


「な、なんだよあれ? で、デカすぎだろ……」


 まだそいつは海面から半分もでていない。全貌の見えないその魔獣、すでにもう3メートルは海上にでているだろうか? え? あれをアイツひとりで狩ったっていうんか?


 海の男達と魔獣の攻防は数十分続き、ようやくそいつの正体が明らかになった。

 全長は8メートル、いやそれ以上あるのか? とにかくでかい、なんなんだ? あれは。見た目はアザラシのようだが、全身には鱗があり、顔の部分はサメに似ていて、物凄く強大な牙がむき出しになっている。ヒレの部分にはドでかい爪が見え隠れしている。

 おい、あんな見るからにヤバそうな魔獣をあいつひとりで狩ったっていうのかよ? にわかには信じられねえ。


 甲板へ上がってきた海パン一丁の男。ヤツの体から、あれはなんだ? 黒っぽい霧のようなものが出ている。ヤツはこちらの方を向き突然声を荒げた。


「今からこいつを主に供える! 引っ張られたくねえヤツは消えろ! 死にてえヤツはそのまんまでもいいけどなぁ!」


 は? 主に、供える? 何言ってんだ? 男の言ってることの意味が分からず、ボーっと突っ立っているとこちらに向かってまたもや男が叫びだした。


「おらぁ! クソガキども! 俺が言ったこと聞いてなかったんかよ! てめえらも死にたくなかったら失せろや!」


 な、なんだアイツ、て、てかあいつの歯、なんだありゃ? サメみたいにギザギザの見るからに鋭そうな歯。やっぱ普通の人間じゃねえぞ。


「お、おい! 一体今からなにやるつもりなんだよ!? 主ってなんだよ、引っ張られるってなんだよ!」


 思わず好奇心がまさってしまい、ギザ歯の男に今から行われる事象について尋ねてしまった。あぁ、あんまり関わり合いになるのは避けたかったのに…… なにしてんだ僕は。


 僕の問いはきっと無下にされる、そう思っていたのだが、意外にもギザ歯の男は文句を言いながらも僕の問いに答えてくれた。


「あぁ!? んだクソガキがぁ! てめえには関係ねぇだろうがぁ! あぁ、まぁいいや! 今は気分がいいからよぉ! 特別に教えてやるよぉ! 


 ヤツから放たれた言葉は僕の想像を遙かに超えるものだった。


 ――俺らの主に捧げる供物! 俺らの絶対的支配者『バアル』へのな!

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