第118話 彼女の体温

 死なないの――


 彼女の発した言葉。僕には彼女が何を言っているのか理解できなかった。

 死なない? そのまま言葉通り? ていうかそんな生物が存在するのか? いや、ここは異世界、そう言うことも…… いやでも、おかしいだろ、女神だって死ぬ可能性がある世界だろ? 女神って神様だろ? 神様だって死ぬのに、こんな見た目からして弱々しそうな少女が不死だなんて…… にわかには信じられない。


「メラニアちゃん~ どうしたの? 大丈夫~?」

「あ? あぁ、ちょっと目の前で起こったことが信じられなくて」

「変なメラニアちゃん~! あのね、私は人じゃないから死なないの。魔女と神の為の器だから」

「あぁ、そう……」


 なんだろう、彼女に対して感じるこの憤りは…… 自分のことを魔女と神のストックだとか、器だとか言って、死すら軽いものとして扱っている。

 そうだ、多分僕は彼女が自分のことを、物か道具くらいにしか思ってないのが嫌なんだ。でもこんなこと、こんな僕の気持ちを彼女に伝えたところで何かが変わるのか……


「ハイドラ、そうそう気安く死ぬんじゃない。何処で誰が見ているか分からん」

「は~い、わかったの。なんか怒られちゃったの」


 一番の忠告にしょぼくれるハイドラ。一番は彼女が死を軽く扱っていることに怒ってるんじゃなくて、誰かに知られるような軽率な行為を咎めているのだ。

 結局ユピテル達にとっても彼女は只のお人形さんなのだろう。


「ところで今回はケセドじゃなくてアルテラに行けばよかったのよね?」

「あぁ、今回のホストはケセド大教会の司祭じゃないらしい。アルテラのあの司祭だ。それにあの神葬体もいる。ラヴァ、すまんがよろしく頼む」


 あの? なんだその曰く付きみたいな言い方は? そんなヤバそうなヤツなのか?


「ねぇ、なんか訳ありげな言い方してたけど、今から会いに行く相手ってそんなヤバい奴なの?」

「あぁ、3人の司祭、3人の神葬体の内、一番たちの悪い奴らだ。レット、お前はメラニアだから問題ないと思うが、まぁ不測の事態が起きることも考慮しておかないとな」


 不測の事態? そ、そんな緊迫した現場に僕なんか連れてって大丈夫なのか? うぅ、めちゃくちゃ心配になってきた。


「まぁそんなことは君が心配することじゃない。君は黙って見ていればいいだけだ」

「あ、あぁ、分かったよ」


 それからは特になにも起こらず、2時間後、アイジタニア天命国の中堅都市アルテラに無事到着した。



    ◇



 ――着いたぞ。



 スカーレットドラゴンのラヴァがゆっくりと草原へと降り立つ。周りにはなにもない。ここのどこが中堅都市なんだ?


「我々の姿を一般市民に見られるとまずいからな。街とは少し離れた人里離れた場所が待ち合わせ場所だ。多分もうすぐ迎えの馬車が来るはずだが」


 二番は周りを見渡しながらそう呟く。


「ねぇ、見られるとまずいってどゆこと?」

「ん? あぁ、我々は人為らざるものだ。普通の人間が我々の存在を認識すれば何らかの影響が出る。まぁ死ぬことはないが、精神に異常をきたす可能性があるからな」


 マ、マジかよ、あっ、そういえばルーペが言ってたな。僕をユピテルに会わせるのは止めといたほうがいいって。


「レット、ママはここで待機してるけど、あなたも行くの? あなたもここで私と一緒に待ってたほうがいいんじゃないの?」


 うーん、確かに。僕が言っても邪魔にこそなれ、状況がプラスに働くなんてことはない気がするしな。

 『うん! やめとこっかな!』その言葉を言おうとした瞬間……


「いや、この子は連れていく。この子は現在ユピテルの所有物だ。ユピテルの所有物がいることで、ハイドラの存在がユピテルにより近づく。この子はいたほうがいい」


 あ、あぁ、なるほど、ハイドラはユピテルの代わりだから相手に彼女がユピテルだって思わせておかないとまずいわけだな。それで僕がいることによって、その効果が強まると。

 そうこうしている内に迎えの馬車が到着した。


「大変お待たせしました。アルテラ大教会の司祭マキシミリアの遣いの者です。皆様、馬車へお乗りください」


 遣いの人に促され馬車へ乗る。座席が対面で二列ある室内で、1番と2番の間にハイドラが座り、ハイドラの膝の上に僕が鎮座した。


「あの、そのメラニアは一体?」


 アルテラ大教会の司祭マキシミリアの遣いの人が僕のことを訝し気に見ている。まぁそりゃそうだ。この場に余りにも似つかわしくないメラニアがいるんだ。怪しまれてもしょうがないだろう。


「なんだ? 何か問題でもあるのか? このメラニアはユピテルの愛玩動物。連れてきて何か不都合でもあるのか? あるならユピテルに直接言え」

「い、いえ、そ、そんなことは…… 大変失礼いたしました。今のわたくしの言動はどうかお忘れください……」


 二番がそう一蹴すると、遣いの人は額に大粒の汗を流しだし、それ以降黙りこくってしまった。

 やっぱりユピテルの権能を知っているのだろう。下手に彼女の機嫌を損ねれば大変なことになる。彼はそれを知っているのだ。

 馬車へ荷物を乗せ出発の準備を整える。ラヴァとはしばしの別れだ。人化したラヴァは僕のことをこれでもかと抱きしめてきた。


「そ、それでは出発いたします。アルテラ大教会まではここから1時間ほどで着きますので、皆様しばしのご辛抱を」

「あぁ、分かった」


 一番が代表して答える。そして馬車はゆっくりと、来賓客達に粗相のない様、慎重に、慎重に進み出した。



    ◇




「レット、少しいいか?」


 ゆっくりと走る馬車の中で、ついさっき起こった出来事について考えていた。

 

 馬車に乗り込む直前、一番から呼び止められ言われた一言。


「今からあちらさんのホストと会うが、絶対にハイドラという名前を出すな。あの子はユピテルだ。代理人ではない。ユピテル本人だ。いいな?」

「え? あ、あぁ、もちろん分かってるさ。ちゃんとわかってる」


 分かってるとは言ったものの、本当はその時彼の意図が正確に読めていなかった。もちろん僕はアイテイル教の奴らと対峙した時にはハイドラのことはちゃんとユピテルとして扱うつもりでいる。

 だけどしばらく経ってから、ふと彼の言わんとする本当の意図に気づいた。

 要は代理人では奴らは納得しないということだ。ということは相手方はユピテルと直接会ったことはなくて、ハイドラのことをユピテルと認識してるわけだ。なるほど。僕がなにかヘマをすればこちらの立場が悪くなる。一番はそう言いたいわけだ。


 そんなことを考えながら馬車に揺られ続ける。馬車の窓にはカーテンがしてあり、外の景色は見えないけれど、ハイドラの膝の上からふと彼女の顔を見ると、彼女は微笑んでいた。とても可愛らしい笑顔。何故彼女はこんな境遇に立たされているんだ? こんな境遇なのに笑顔でいられるんだ?

 考えても答えなんて出ない。唯々彼女の体温は冷たく、まるで本当の人形の膝の上に乗っているような感覚に陥ったのだった。

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