第121話 代理死契約

「到着したぜ! おらっ! 偽もんと愛玩魔獣! おまえらさっさと降りろや!」

「えぇ、今降りるわ。あんまり急かさないでくれるかしら」

「ふんっ! 偽もんの分際で私に口答えしてんじゃねえ!」


 いけ好かない笑みがティザーの両頬を嫌らしく持ち上げる。にたぁっとした、その表情を保ったままヤツはこう言った。


「一応言っとくけどよぉ、どっちかが消滅するまでこの罰は終わらねえからな。まぁ適当に見に来てやるからよぉ。せいぜいがんばれや」

「おい、彼女はユピテル本人ではないにしろ、正式な代理人だ。余り調子に乗っているとあとでどうなるか、少しは考えておくんだな」

「あぁ!? 何言ってやがる! 元はと言えばてめえらが最初にうちらとの誓約を破ったのが悪いんだろうがぁ! これでも十分譲歩してるんだよこっちはぁ!」

「ユピテル、もういいの。私達もう行くの。ねっ、メラニアちゃん」

「え、あ、うん、行こっか……」

「ギャハハッ! それじゃあお楽しみの始まりだあ!」


 僕達は馬車から降ろされ、青々とした緑が広がる丘陵地帯に立ちつくす。

 小高い丘が波のように連なり、所々には木々が青々と生い茂っている。少し離れたところにひと際背の高い木々が群生している箇所があった。


「分かりやすいだろ? あそこだ。あそこにヤツがいる。まぁ健闘を祈ってやるぜ! 私たちはもう行くからな! じゃあな!」


 ティザーがそう吐き捨てると馬車は元来た道へと走り去っていった。


「はぁ、ふたりぼっちになっちゃったね。とりあえず相手がどんなヤツか、先に見るだけ見に行ってみる?」

「ねぇ、メラニアちゃん、その前にひとつやっておきたいことがあるの」


 ――やっておきたいこと?


 僕がそのことについて質問する前に、彼女は突然ワンピースを捲り上げた。突然露わになる彼女の下腹部。当然最初は彼女の下着に目が行ったが、それよりもさらに凝視せざるを得ない異質なものがそこにはあった。


「え、なにそれ? なんかの紋様? 刻印? それとなにその手形は?」

「これね、ルーペとユピテルとの契約の証なの。この刻印で私は私でいられるの」

「ご、ごめん、よくわかんないや。あっ!?」


 彼女の下腹部を眺めていて僕は何かが足りないと感じていた。その時初めてその違和感の正体に気づいた。


 ――彼女にはへそがなかった。


 本来へそがある箇所には直径10センチ程度の円が描かれており、その周りになんて書いてあるのか、全く判読できない紋様がびっしり描かれている。そしてその横にふたつの手形。


「ねっ? 私おかしいでしょ? 普通の人ならあるものがないの。私は塵芥から作られた肉人形なの。だから私のことは気にしなくていいの。メラニアちゃんだけ逃げ出しても誰も文句は言わないの」


 なんでそんなこと言うんだよ? 逃げ出すならもっと早く逃げてたって……

 なんだか彼女の言葉に心が揺さぶられる。きっと彼女の今の言葉は本心じゃない。じゃなかったらアルテラ大教会で薄っすら涙を流すなんてことするはずがない。


「ハイドラ! 次そういうこと言ったら怒るからね! 僕は君を助けるって決めた。どうやって助けるのかまではまだわかんないけど、とにかく君を助けるって決めたんだから!」


 僕は精一杯の強がりで彼女にそう宣言した。彼女は僕に優しく微笑んで『ありがとね』と言ってくれた。


「うーん、それにしてもティザーたちがてこずるような魔獣を、どうやって討伐したもんかなぁ。全く打開策が思いつかないや」


 そりゃそうだ。僕には攻撃手段がないし、ハイドラも死にはしないものの、戦闘スキルは何もないときた。こりゃ詰んでるな、そんなことを考えているとハイドラが何かを思い出したかのように大声を出した。


「忘れてたの! さっきの続きなの! メラニアちゃんここに口づけして」

「は!?」


 彼女はそう言いながら再びスカートを捲り上げ、下腹部を露わにした。


「ここ! この丸の中に口をつけて。永続的な契約はできないけど期間を定めた限定的な契約なら結べるの! 早く口づけしてなの!」


 彼女の言ってる意味が分からない。本来へそがある位置に刻まれている円の中に口づけする? それをしたらどうなるんだ? それに契約? 彼女の言ってる意味は分からないけどこれだけ彼女がせがんでくるんだ。きっと有用なことに違いない。


「はい! 早く! おなか冷えちゃうの!」

「うん、分かった。分かったんだけどさ、あの、ちょっといいかな?」

「うん? メラニアちゃんどうしたの?」


 ――いや、背が届かないんだけど……


「あ、ごめんなの、気づかなかったの」


 彼女は照れ笑いをしながらしゃがんでくれた。僕はしゃがんでいる彼女の膝に乗り、円の中心へ口づけをした。

 

 その瞬間――


「えっ!? なにこれ!? 体が、光ってる!?」


 突然僕の体が光りだし、しばらくして光が消失したかと思うと、彼女の下腹部、紋様がない箇所に僕の手形が現れた。


「よしっ! これで契約完了なの。多分これで数日は持つと思うの」

「えっ? 持つってなにが? 契約ってなんなの?」


 僕の問いへの彼女の返答は思いもよらぬものだった。


 ――あなたがもし死んだ時、私が代わりに死ぬの。代理死の契約が完了したの。


 意味が分からなかった。代理死? そんな言葉聞いたことがない。


「だ、代理死ってなんなの? ごめん、全く意味が分からないよ」

「えっとね、あなたが致命傷を受けて死んだとしても私があなたの代わりに死ぬの。私は死ねないからふたりとも無事なの。この説明で分かってくれた?」


 いや、言ってることは分かったけれど、その契約の理屈も分からなければ、こんなことをした意味も分からない。でも彼女は笑顔で僕に微笑み続ける。

 あぁ、分かった。彼女は僕に死んでほしくないんだ。だから彼女はこんな契約までして……

 きっとこれは彼女の優しさなのだろう。彼女は特別だけど特別じゃない僕は簡単に死んでしまう。彼女はそんな僕の為にここまでしてくれたんだ。


「ありがとうハイドラ。でもこの契約が必要ないように僕は精一杯頑張るよ。そんな簡単に死んでたまるかってんだ!」

「だよね! メラニアちゃんの活躍に期待してるの!」


 後ろ向きで下を向いていた僕らはほんの少しだけ笑顔になれた。この状況は決していいとは言えない、いや、どっちかって言ったらどん底だ。でもティザーたちに一泡吹かせてやりたい。きっとあいつらは僕達なんかに魔獣を討伐なんてできやしないと高を括ってる。絶対あいつらの思いどおりにはさせない。あいつらの吠え面を拝んでやる!


 そんな思いを胸に、僕らはひと際高い木々が生い茂る森へと歩を進めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る