第75話 見殺し

 ――あんだけいた魔獣がねぇ、あ~あ、面倒くさ~い。


 僕達が走ってきた方向から迫りくる得体のしれない恐怖。


「やはりあいつだ。レット君! 迷ってる暇はない! 早くここから逃げるんだ!」


  ――く、くそっ!


 デカに背中を押され、思わず思考を停止してしまう。焚火の近くで暖を取っていたロベリアとピオを急かして馬車を動かす準備をする。


「ど、どうしたっていうのよ!? あ、え!? レ、レット! そ、その手、一体なにがあったの……」


 ここを出ていく前にはあったはずの、今はない左手を見てロベリアが狼狽ろうばいしている。そりゃこんなの見れば狼狽うろたえちゃうのもしょうがないよな。


「と、とりあえず理由はあとで話すから! 今はここを急いで出発しないと!」


 馬にハーネスを取り付け荷車に乗り込む。

 くっそ、本当にこれでいいんかよ? デカをここへ置いてって、こんな見殺しにするようなこと…… でも彼女は迷ってる暇はないっていう。僕は残酷な決断をしてしまった。


「いいんだよ、それで。ホウライ様を頼むね。彼女は強いが一方ではとても脆い。君が助けてやってくれ」

 


    ◇



「あ~あ、逃げられちゃった。でもまぁいいや。ここでお前だけでも足止めできれば御の字だしねぇ。そんであのガキにもダメージを与えられた。万々歳だね」

「なんでおまえがここにいる? 誰に言われて来た?」


 ――アーテー


「そんなこと言うわけないだろ。んだぁ? ホウライのヤツが見てんのか? まぁいいや。いつかあのブスもぶっ殺してやるからさぁ。今回はお前だけで我慢しておいてやるよぉ!」


 デカの右目を通して見える相手。デカが『アーテー』と呼んだ女性。背はデカよりもかなり低い。150センチ程度と言ったところか。焚火の炎に紅く照らされた彼女の顔、仮面を被っているのか、ふたつの瞳しか見えないが、片方の目から忌々しい雰囲気が漂っているのが、デカの視覚越しからも伝わる。白目のない、全てを飲み込むかのような真っ黒な瞳。


「どうやって甚振いたぶろうかなぁ。どっからいでほしい? 腕? 脚? それとも頭かな?」

「いくら分が悪いからと言ってそう易々とやられるわけにはいかないんでね。連戦で悪いけど、お願い」


 ――やれ、虹蛇。


 先程ウォーウルフ達を蹂躙した虹色の蛇がアーテーと呼ばれた女に襲い掛かる。


「はぁ、舐めてんのかよ。そんな畜生なんかに私がやられるわけないじゃん。面倒くせぇ。全部落ちちゃえ」


 ――ダウンフォール


 魔法なのか? なんなのか分からないが、女がその言葉を唱えると無数にいた蛇達が地面へめり込んでいく。

 あれだけいた蛇達はあっという間にその場から消え去った。


「お前が使役してる畜生共なんて私の敵じゃないんだよ。あっ! ははぁん、ホウライと体を代えないとこを見るとあのブスは大分離れたとこにいるみたいね。うふふ、じゃあ蹂躙を開始しちゃうよ~ん!」


 ――まずは手だ!


 アーテーと呼ばれた女が叫ぶと、デカの右腕が不自然な方向へと捻じ曲がる。そしてまるでアルミ缶を無造作に潰すように、デカの右腕がメキメキと潰されていく。れられてもいないのに。


 その一部始終を右目で見ていると、デカから僕の脳内へ直接声が届く。


「いいかい? レット君、よく見とくんだよ。あいつはアーテー。ホウライ様と同じく元女神だ。あいつの右目に捕らえられた物体は私の右腕のようになる。もしヤツと対峙した時は気を付けるんだ。多分もうあまりもたないけど、君たちがここから離れる時間は稼ぐから、できるだけ遠くへ逃げるんだよ」


 彼女はそう言うと袋からさっき見せたのと同じようなボールのようなものを取り出した。


「あぁ、もっとたくさん持ってこればよかったな。あの子も忘れたし。まぁ嘆いても仕方ない。今できる最善を尽くすとしよう」


 彼女は左手に持ったボールを握りつぶし地面へ叩きつける。


 ――ヤツを殺せ、『相柳そうりゅう


 突如として現れた大蛇。10メートルはあろうか? メガアンガーなんてメじゃないくらいの大きさだ。大蛇の顔の部分は…… なんだ? あれは…… 人の顔か? 人の顔らしきものがひぃ、ふぅ、みぃ、9つもついている。まさに異形の化け物。


「なんだよぉ、そんな毒蛇だしてよぉ、私にそんなんが効くとでも思ってんの? なんでださないんだよぉ? あっ、もしかして持ってきてないんか? そうかそうか……」


あんなドでかい蛇にも全然ビビッてないぞ。だ、大丈夫なんか? デカ……


「ふん、ホウライの腰巾着の骸人形風情がよぉ、粋がってるからこんなことになるんだぜ? ん? てかお前の眼から誰かこっちを見てんな? ホウライじゃないとしたら…… 誰だ?」


 えっ!? 僕のことに気づいたのか?


「レット君、すまない。気づかれた。ヤツの眼が君に危害を及ぼす可能性がある。ここで視覚共有を遮断する。なんとか足止めするから君たちは逃げるんだよ。いいね?」


 な、なんで…… 僕がデカに言葉を掛けようとした瞬間、彼女と繋がっていた共有意識が途切れた。そして右目で見えていた彼女の視覚もそれから見えなくなってしまった。


 くそっ! どうなったんだ!? 大丈夫なのか? デカ…… 結局僕は彼女を見殺しにしてしまった。一緒に戦っていたらもっと違う結果になったかもしれないのに。


 ピオに無理を言って、夜通し馬車を走らせる。どうやら追っ手はきていないようだ。時刻は午前5時くらいだろうか? 朝日が僕らが来た方向からゆっくりと昇っていく。

 荒れた街道を抜けて、ようやくオセミタの街へとたどり着いた。


「ここまでこれば一安心なはずです。レット様、一刻も早く左手の治療を早く開始しましょう。あまり時間が経つと元に戻らなくなる可能性が出て参りますので」


 えっ? この手が治るのか? もう手が欠損しちゃってるのに……

 オセミタの街へ入り、まだ人もほとんどいない広場で馬車を止める。外にでるとキルスティアが魔法の準備なのか、ロウソクや鏡などを地面に配置している。これは…… 簡易的な祭壇かなにかだろうか?


「準備が整いました。レット様、この魔法陣の中心に来てください」


 言われたとおり地面に青いインクで書かれた魔法陣の上に立つ。


「いきますよ」


 ――慈悲深き光の女神よ、我が求めに応じ、彼の者の朽ちたる魂の寄る辺を神の奇跡により彼の者の疵瑕しかとなり給え。骨は骨へ、血は血へ、股は股へ、接合せしめよ!


 ――エクストラヒール!


 彼女が詠唱を唱え終わると、無くなったはずの僕の左手部分がまばゆい光に包まれる。眩しすぎて直視できない。でもその輝きが次第に治まって、光が完全に消えたころ僕の左手が……


 ――も、元に戻ってる!!


「ふぅ、よかったです。なんとか間に合いましたねぇ。これあんまり時間が経つと戻らない可能性が高かったんで、本当に欠損した部位が元通りになってよかったです」


 ありがとう、本当にありがとう! キルスティアの顔を見ると汗でびっしょりだ。こんな欠損まで元通りに戻せる魔法なんてあるのか、初めて知った。

 大仕事を終えたキルスティアは街の中なのもお構いなしに、袋から酒瓶を取り出し、徐に飲みだす。いや、もう今はなにも言いません。どうぞ飲んでください。


 僕の左手は元に戻ったけど…… デカは……

 うれしさともどかしさと自分へのやるせなさで僕の頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。

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