第108話 東の森の魔女

「しかしホウライ様もお忙しいですな」


 そう語る白髪の老人。彼はテラという魔女の弟子のひとりらしい。身長は多分170センチ程度だろうか。白髪交じりの長髪に、整えられた長い髭を生やし、かなりの高齢に見える。優しそうな、温和そうな瞳はまるで全てを包み込むかのよう。


「ホウライ様! このメラニアなんなんですか!? 可愛いの! 抱っこしてもよろしいですか?」

「久しぶりだね、ハイドラ。もちろんかまわんよ、あ、いや、本人に一応聞いてみてくれ」


 僕のことを抱っこしたがる女性。彼女も魔女の弟子なのか? 名前はハイドランジア。通称ハイドラ。銀髪に銀色の瞳、白いワンピースを着ていて、背はテラよりかなり低い。


「ねぇ、メラニアちゃん、抱っこしてもい~い?」


 屈託のない笑顔、手を後ろ手に結んで首を傾げ、可愛らしく懇願される。そんなふうにお願いされればいいですよと言わざるを得ない。


 ホウライにオーケイと伝えると、嬉しそうに彼女は僕のことを持ち上げる。あぁ、こんな美少女に抱っこされるとは…… メラニアに転生して初めてよかったと思った瞬間だった。

 彼女の美しい銀色の髪の毛からは軽やかな花の香りが…… しなかった。髪の毛に鼻を近づけたらいい匂いがするのかなぁと思ったのだが、なんの匂いもしない。ていうか体臭が全くない。メラニアの嗅覚は人間の1万倍はあると聞いたのだが、この女性からは匂いが全くしない。どんな人間にも体臭は絶対あるはずなのに……


「はぁ、モフモフ充電完了~! ありがとね~、メラニアちゃん!」


 彼女はそう言って僕のことを地面に降ろし、今度はホウライのほうを向いて背筋を伸ばして新たな来訪者がここへ到着したことを告げた。


「ホウライ様、先生がお越しになられました」

「あぁ、ありがとう」


 ホウライのすぐ横、いや、真下か、そこで彼女、東の森の魔女を出迎える。

 お越しになられたと言われたので、辺りを見渡してみてもそれらしき姿はいない。ん? どういうこと? 遠くから歩いてきているのか? 焦点を遠くの方へ合わす。やっぱりなにもない。ホウライにどういうことか尋ねようとして、ホウライの方を向いた。


「なんじゃい? ホウライ、昨日の今日で、えらく忙しないの」


 (え!? い、いつの間に…… )


 ホウライの目の前に彼女はいた。

 彼女? いや、彼女なのだろう。確かに女性だ。そこにいたのは……


 ――獣人、そう、ペルルと同じ、獣人だった。


「あぁ、ホウライ、皆まで言うな。別に儂に会いに来たのではないのであろう? あいつに用が在って来たのであろう? 皆まで言うな。言わなくても分かる。先程までそのことで話していたから分かる。ではあいつのとこまで行くとしようか」

「すまないね、ルーペ」


 ルーペと呼ばれたその女性、金色の毛、頭に生えたふたつの耳、顔は犬を可愛らしく擬人化したような、まるでアニメにでもでてきそうな顔つき、そして顔だけを晒して全てを隠す緑色のローブ、彼女は確かに魔女らしい恰好をしていた。まさか魔女が獣人だとは思わなかったけれど。

 ペルルはメラニア特有の耳とか尻尾とか、あと体毛とかはあるけど顔は人間と変わらない。獣人にも色々と種類、っていうか、個性があるのか?


「それはそうと、なんじゃ、その可愛らしいメラニアは? 儂の千里眼でもソイツのことは見えんかったの。あのクソガキの森で生まれた子か? てゆうかあのクソガキなんでここを出て行ったっきり一度も里帰りせんのじゃ!? おかしいじゃろ? 全く、師に一度も顔を見せんとは。ホウライ、お前からも今度会ったら言ってやってくれ。たまには里帰りしろ、とな」

「あぁ、伝えておこう」


 ホウライは言葉少なにそう言った。てかあのクソガキ? 誰のことだ? いや、思い当たるのはひとりしかいない。父ちゃん、アトロポスのことだろうか。


「まぁ無駄話はこれくらいにして、そろそろ行こうかの、あいつの元へ」


 ――神、ユピテルの元へ



    ◇



 石畳の整備された小道を歩く。周りの景色は靄がかかってよく見えない。そこにあるのはひたすら前へと続く一本の道だけ。


「ねぇ、ホウライ、めちゃくちゃ遠くない? もう30分くらい歩いてると思うんだけど」

「うん? そうかい? まだ歩き始めたばかりだと思うけれど。君はメラニアなんだから歩くのは得意だろ? しかもまだ若いんだ。頑張りなさい」


 は、はい…… 見た目はメラニアでも中身は人間なんですが。こんな愚痴を言っても仕方がないので、とにかく歩き続ける。しばらくすると魔女ルーペが口を開いた。


「のう、ホウライ、ユピテルのとこに連れてくのはかまわんのじゃが、そいつは扉の前で待たせておくんじゃぞ。そんなちんまいメラニアがユピテルなんぞに会ったらあいつの存在にアテられておかしくなってしまうじゃろうからな」


 (え? おかしくなる? そんなにもヤバい相手なのか? でも確かに相手は神だとか言ってるからな。にわかには信じがたいけど)


「あぁ、そのつもりだ。この子は特別だからもしかしたら耐えられるかもしれないけどね。万が一があったらアトロポス達に怒られてしまう」

「うむ。おぉ、そうだ。ここらで小休憩とするか。アル、お茶の用意」

「あ~、承知しました~」


 ここに来て一番最初に出会った少年がそう答えると、小道の外側、靄の一部が霧散して、そこの一画にはテーブルと椅子、お茶の用意がなされたあった。


「さっ、しばしの休息としよう。メラニアや、お前にもあるぞ。その皿にミルクが入っておる。飲むがいい」


 あざっす! 実はもう喉がカラカラだった。喉の渇きを潤すべく、一気にミルクの入った皿へ顔を突っ込む。鼻やヒゲがビチャビチャになるのも構わず、ほんの数十秒で全て飲み干してしまった。


「ちなみにそれは儂のチチじゃ」


「ブッ!!」


 思わず吹いてしまった。マ、マジかよ、なんつーもん飲ませるんだよ!


「嘘じゃ。どうじゃ? 魔女のギャグは? 面白過ぎて思わず吹いてしまったか?」


 (い、いや、面白くて吹いたわけでは…… で、でもこの人魔女だし、機嫌を損ねられても嫌だから面白かったと言っておくか)


 僕はホウライにそのことを伝えてもらおうと、意識共有でホウライへ話しかけようとしたのだが……


「直接言えばええぞい。儂はメラニアの言葉も分かるでな。ところでお主のことはなんと呼べばいいんじゃ? ラインハルト、ぺぺ、レット、色々と名前があるようじゃが」


 す、すげえ! この人メラニアのィヤンィヤンが聞き取れるのかよ!? さすが魔女だぜ。てか呼び名か。名前があり過ぎるのも困りものだな。ラインハルトは自分には余りにも不釣り合いな名前だし、ペペは…… アレだし、やっぱレットが一番しっくりくるよな。


「じゃ、じゃあレ、レットでお願いします」

「うむ! レットじゃな! ではそろそろ歩き出すとするか」


 魔女ルーペはそう言って立ち上がり、石畳の小道を再び歩き出した。

 視界のずっと先のほうまで続く石畳の小道。神ユピテルが待つという目的地はまだはるか先のようだった。

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