第91話 強制服従

 ――トーカさん!


 他の魔獣とは明らかに違う灰色の女、ヤツはロベリアに目もくれずトーカ姉さま目掛けて突進していく。ヤツの右手には両刃剣が握られている。


「舐めないでよね!」


 灰色の女の剣撃を持っていた剣で受け流し、態勢を整える。


「ちょ、ちょっと、あいつロベリアの反射のこと絶対分かってるよね!?」

「ロベリア? あぁ、ロベルタさんですね。確かにそうかも。完全にロベルタさんを無視して我々に向かって攻めてきています」


 ついついロベルタと言わずロベリアと言ってしまう。まぁいいや、この討伐さえ達成できればもう関係ない。今更そんなことに神経を使っていられない。


 でも魔獣にそんな知性があるのか? そりゃ徒党を組んで攻めてくる魔獣もいる。でもあの身のこなし、言葉も話した、そしてあの戦略的な動き。

 あれは本当に魔獣なのか? 色は灰色だけど、見た目はどう見ても……


 ――苛烈なる火の精霊よ……


 え? あいつ、今詠唱呪文唱えてた? 嘘だろ?


 ――深き紅の火球を……


 間違いない! こいつ魔法を使ってくるぞ!


「皆! 気を付けろ! こいつファイアボールを撃ってくるぞ!」


 ――ファイアボール!


 アガッ!――


「ノ、ノナ!」


 地下通路、逃げ場のない狭小地で、突然放たれたファイアボールの直撃を受けたノナは炎に包まれる。


「お、おい! ノ、ノナ! う、嘘だろ…… だ、誰か回復を……」


「わかった! すぐに回復を……」


 テオが回復魔法の詠唱を始めると同時に、火だるま状態のノナからなにかが聞こえてきた。


「大丈夫だ。問題ない。俺に構わず敵に集中しろ」


 なにが起こったか分からない。火だるま状態の今現在焼け焦げ続けているノナが普通にしゃべっている。な、なにが大丈夫なんだ? わけがわからない。


「よ、よそ見、なんて、いい、ど、度胸、だな」


 ノナに気を取られて灰色の女の存在を完全に失念していた。いつの間にか僕の目の前に潜り込み、腰を深く落とした状態から切りかかってくる。

 や、ヤバい、斬られる!

 その刹那、世界はスローモーションになり、灰色の女の凶刃が僕の喉元に届く寸前でなんとか避けきる。

 くそっ、ホウライとの鍛錬がなかったら何度死んでたかわかんねえぞこれ。

 後ろに飛びのき体制を立て直す。


 Purple peony punish sinner(紫の芍薬は罪びとを罰する)――

 pandemonium(パンデモニウム)――

 ――パチンッ!


 ノナのことは気になるけど、とりあえずこいつをやらないことには……

 僕は手元に現れた異空間から『亡骸』を取り出す。


「今度はこっちの番だ! くらえっ! イヴィルレイ!」


 すでに右手の人差し指に装着していたROSEの力によって、灰色の女にイヴィルレイの一撃を喰らわす。


 ――よしっ! やった!


 胸元を切り裂かれ、衝撃で後ろに吹っ飛びながら倒れる灰色の女。

 勝利を確信した。次だ、まだ次がある、早く先に進まなくては……


 そんな僕の焦り、奢り昂ぶりはすぐに打ち消された。

 有り得ない、悲鳴のような叫びで。


「痛い、痛い、痛い……」


 は? 嘘だろ……


 確かに倒した、倒したはずだった。ヤツの胸元は大きく切り裂かれ、赤い血をまき散らしながら奴は永遠の眠りにつくはずだった。


 なのに……


 起き上った灰色の女は胸元から血を流し、臓物をまき散らしながら、なおもこちらへ切りかかってくる。

 理解が追い付かない。どうなってる? 魔獣とはいえ生物だろ? なんで死なない? 


 完全に虚を突かれたが、なんとか灰色の女の一撃を防ぐ。だがそれからは完全に防戦一方。態勢を立て直すにも灰色の女の猛攻がそれを許さない。

 どうなってんだ? あいつからは生気を感じる。決してアンデットとかじゃないはずだ。アンデット特有の腐敗臭もしないし、なのになんで?


「レ、レットさん! 後ろに、飛んで!」


 え!?


「行きます! 目玉! ベクター!」


 ルーナの咆哮に驚きつつも咄嗟に後ろへ下がる、それと同時にルーナのベクターが灰色の女の右目に命中し、ヤツはまたも大きく後ろへ吹っ飛んだ。


「だ、大丈夫ですか!? こ、ここからは、わ、私が代わります!」


 た、助かった…… ルーナさんマジ女神。

 久々に見たぜ、ルーナのベクター。やっぱ強力だな。完璧にあいつの目ん玉を捉えていた。これでもう大丈夫……


 マ、マジかよ……


 見据えた先には再び起き上る灰色の女の姿があった。


「お、お前を、殺せば、全て、終われ、る……」


 灰色の女が何かを言った、でもはっきりとは聞き取れなかった。殺せば、その後なにを言ったんだ? 思考の混濁している僕の前に、再度灰色の女が剣を構えて立ちふさがる。

 こちらの都合はお構いなしに切りかかってくる凶刃の使い手。


「下がれ」


呆然とする僕の目の前に突如巨大な塔のような、見上げなければ顔がのぞけないような、先ほどまで死に瀕していたであろうあの長身の男が現れた。


「すまない、時間がかかった。ここからは俺に任せろ」


「ノナ! ぶ、無事だったんだね! よかった…… で、でもなんで、あの状態から……」

「話はあとだ。とりあえずこいつを楽にしてやる」


 楽に? なんかの比喩か? でもノナ、さっきまであんなに火だるまだったのに、大丈夫なのか?


「こいつはなにかに囚われている。しかも自分の意思ではなくだ。これでは奴隷よりもたちが悪い。早くこいつを解放してあげよう」


 ノナはそう言うと同時に灰色の女の懐へ忍び込む。そしていつの間にか左手に持っていた短剣を相手の左胸に突き刺した。

 そしてなにかを呟きだした。


 ――女神ホウライの代行者ノナの名に於いて命ずる。偽りの絆により囚われし魂の残渣ざんさよ、忌まわしきその鎖を打ち砕き安寧の御霊へと帰り給え。惟神霊幸倍坐世かんながらたまちはへませ


 ノナが詠唱を終えると灰色の女の体が眩い光に包まれた。次第に光は弱まり、完全に光が消失すると、そこには灰色、ではなく普通の肌をした女性が横たわっていた。


「え、ど、どうなってるの!? さっきまで人型の魔獣だったのに」

「レット君、彼女は魔獣なんかじゃない。普通の人間だ。だが呪いかなにかによって強制的に服従されていたのだ。だから逆に解除してやったのだ」


 普通の人間!? しかも強制的に服従って……

 自分の意思と関係なく戦わされていたっていうのか? なんつー惨いことをするんだよ。

 横たわる彼女の表情からは、僕らと対峙していた時に見せていた、何かに追われるような、怯えたような表情は完全に消え失せていた。

 この所業もアコナイトの仕業ってことかよ。こんなこと絶対に許せない。ここで必ずあいつとの因縁に終着をつける。

 名も知らない先程まで死闘を繰り広げた女性をあとに、僕らはさらに遺跡の奥へと進んでいった。

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