第129話 献身担当キルスティア・ダロンゲイト

 あの暗い部屋での歓談も恙なく終了し、僕達は薄暗い、椅子以外になにもない部屋から森の中へと戻ってきた。

 いつもとは違うアルの表情を見て、停滞していた時計の針を、ようやく動かす決意を決めたのだなと、そう理解した。


 そして再びファティマがスライムを飲み込む。無駄に場所を取っていた大型の魔獣は跡形も無く消え去り、これから特にやることもないけど、とりあえず昼寝でもするか、なんて気楽に考えていた。

 完全にあの木彫りの人形の存在を忘れて……


 アイジタニアでの騒動から数日たって、相も変わらず寝ているユピテルを尻目に僕はハイドラに肩車されたままルーペの前に来ていた。

 ルーペに会いに来た理由はひとつ。どうやらこちら側からアイテイルの神葬体『ティザー』へ情報を流したヤツがいる可能性が高いということを伝えに来たのだ。


「ねぇルーペ、あいつは、ティザーのヤロウはどうもハイドラがユピテル本人じゃない、代理人だってことに気づいてたみたいだよ。多分こちら側の誰かがヤツと内通してたんだよ。こんなことを疑いたくはないけど、この中に裏切り者がいる可能性が高いんじゃないかな?」


 多分この時僕は物凄いどや顔でルーペに語り掛けていたことだろう。今思うととても恥ずかしいのだけれど、この時ルーペから返ってきた返答は予想を大きく裏切るものだったのだ。


「あぁ、それわしじゃよ」

「あぁ、あぁ、なるほど……」


 ――はぁ!?


 一瞬ルーペがなにを言ってるのか全く理解できなかった。

 な、な、な、なんでルーペが!? 聞き間違えか? いや、でも確かに今ルーペはわしじゃよぉって言ってたし……


「えぇと、何言っとるのか理解できとらんようじゃの。まあ要はハイドラの為に一芝居うったってところじゃの」

「ご、ごめん、全く理解できないんだけど、分かるように説明してくれる?」

「うん? あぁ、もちろんじゃとも」


 ルーペ曰く、どうやら彼女はずっとハイドラの死に対する軽薄さというか、希薄さというか、要は死を全く怖いものとか恐ろしいものとか、死んだらその先がないということに対する、誰しもが持つ感情を持ち合わせていなかったのをどうにかしたかったらしい。


「ハイドラはわしがここに来る前からここにおったんじゃ。わしはとある場所で魔女にされ、流れ流れてここに辿り着いた。ここにはすでにユピテルがおったが、ハイドラはユピテルと関わることもなく大きな木の下でずっと座っておった。常に虚ろな表情で、会話もせずに、ただただそこに座っているだけ。それが何年も、何十年も続いた。わしには沢山のメラニアがおったが、あの子は長い間ずうっとひとりぼっちだったんじゃ」


 ある日どうしても彼女のことを放っておけなくなったルーペは彼女に話しかけた。それまでも何回か話しかけたりはしていたみたいなんだけど、ずっと無視されていたようだ。

 その日も最初は無視されていたそうなんだけど、ルーペが言ったある一言で彼女はルーペの顔を見上げたそうだ。


「わしはあの子に言った。おまえに役割をやろうと。本当なら友達になってくれなんて青臭いことを言えばよかったのかもしれんが、その頃のわしは若かった。そんなクサいセリフは吐けんかった。わしはつい言ってしまったんじゃ。わしは偉大な魔女じゃ。お主はその盾となれとな」


 その言葉を聞いたハイドラの表情はそれまでの彼女のものとは全く違った。顔に生気が蘇って、すくっと立ち上がると、彼女はスカートを捲ってルーペに言ったそうだ。


 ――ようやく私はひとりぼっちじゃなくなるんだね


 ルーペはハイドラに言われるがままに初めての契約をした。それもその契約が何かも聞かされぬままに。彼女が望むことだから聞かずともしてあげよう、そう思ったばっかりに。

 それから数百年おんなじ状況は続き、とうとうその長きに渡る停滞の現状が打ち砕かれる日が訪れたのだ。


「今わしはハイドラに掛けれられた契約の破棄のやり方を調べとる。あの子を契約の鎖から解き放ってやればあの子に本当の人生の楽しさを与えてやれる。これがあの子を長年縛り付けてきたわしができる彼女への贖罪じゃ。その為に今回はティザーを利用させてもらった。お主には苦労を掛けたな。でもわしが思ったとおりお主は見事やり遂げたでの。本当にあっぱれじゃったぞ」


 そう言うとルーペは僕の頭を優しく撫でてくれた。彼女の掌は本当に温かくて、ひと撫でされると幸せな気持ちに包まれる。さすがミューミューの師匠だ。素敵なおばあちゃん度はミューミューに引けを取らない。


「話は変わるがホウライのヤツ全く便りをよこさんのう。あんまり進捗が芳しくないのかのう」

「だねえ。早く彼女の潔白を証明する証拠を見つけてほしいところなんだけどなあ」


 ウルっときていたところにホウライの話題で気持ちを切り替える。

 そうだ、まだ僕がここにいる理由、ホウライの潔白が証明されなければ意味がない。僕にできることは少ないけれど、やれることをやる! そう心の中で意気込んだ。


 ――その時だった


「なんじゃ? あの不気味な人形は」

「え? どれ? どれのこと?」


 僕とルーペがお喋りしていた森の中央にいつか見た木彫りの人形が置かれていた。

 どうやってここまで来たのか。確かユピテルの扉の近くに置いておいたはずなんだけど。

 そんな疑問が頭に浮かんだ刹那、木彫りの人形に変化が現れた。


「レット、下がるんじゃ。あの人形、異常じゃ。あれはなにかがおかしい!」


 人形がガタガタ震えている。その震えは段々と大きくなっていき、次第にはコトンと倒れた。

 僕はルーペに下がれと言われたのに、その余りの異常さに見惚れてしまっていた。


 次の瞬間――


 突然辺りが眩い閃光に包まれた。真っ白い光で何も見えない、まるで女神と邂逅したあの何もない白い部屋のような白の中の白。

 視覚を奪われたまま、何が起こったかも把握できずにその場で立ちつくしていた僕らへ、ゆっくりとした口調で話しかける声が聞こえた。

 いつだったか、何処かで聞いた覚えのある声。その声はゆっくりと、淡々と、だけど根底に何か強い怒りのような感情を孕んだ声色で語りだした。


 ――わたくしはアイテイル教の神葬体、献身担当キルスティア・ダロンゲイト。あなたたちのおこないを粛正に参りました。


 次第に馴れてきた目で上を見上げると赤髪を逆立てた彼女の姿がそこにあった。

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