第77話 結界

 船が出航してオセミタの街も見えなくなった頃、僕はボーっと、遙か遠く、何もない水平線を眺めていた。これまでに起こった色々なことを考えながら。

 思い返してみればこれまで難儀なことばっかりだったなぁ。もう何回死んだか数えるのも面倒になってきたくらいだ。もう死にたくない。今回で終わらせたい。最初は胸躍るような冒険や剣と魔法のファンタジーの世界に憧れもしたけど、やっぱり何事もなく、好きな人達に囲まれて平穏無事に過ごす日常が一番の幸福なんだろう。

 転生前の僕にはそれがわからなかったんだよなぁ。惰性で、その日暮らしで、誰かがなんとかしてくれるって思いながら、死んでるように生きてたんだよなぁ。そんで気づいた時には遅かったんだ……

 だだっ広い海を眺めていたらそんな、考えても仕様がないことばっかりが頭の中を駆け巡る。そして見つめていた水平線の一点。

 あれ? なんだ? なんか見える、鳥の群れか?


「ねぇ、ロベリア、あそこにいるのってさぁ、鳥の群れ? なんかの大群がいることない?」


 隣で海に向かってキラキラしたものを放出しているロベリアに聞いてみる。


「え、今それどころじゃないんですけど…… あ、なんか飛んでるね。なんだろあれ? うーん、遠すぎてよく分かんない。あ、また吐きそう……」


 ですよねぇ。ごめんねぇ。でもあいつらがいる付近はこの船が目指す進路と合致する。このままいけばあの謎の大群にぶつかるぞ。大丈夫なんか? 魔獣の群れとかじゃないよな?


 数十分後僕らの眼前に現れた群れの正体は……


 ――やはり魔獣だった。


 ――テラーフィッシュ。


 群れで船舶を襲う小型の魔獣だ。普段は海の中で回遊しているが、船舶を確認するとヒレの代わりに生えている刃のような羽で大空へ飛び立つ。そして鋭い歯とヒレの代わりの鋭利な刃物で対象を切り刻むのだ。

 や、やばいぞ。まだ奴らとの距離は数百メートルはあるけど、数が半端じゃない。空の一部が真っ黒に見えるほどの群れ。一体何匹いるのか、想像もつかない。

 どうしたらいいんだ? ロベリアとふたりで対応策に頭を悩ませる。

 だがふと周りを見渡すと、誰もあの魔獣の群れのことを気にしていない。え? なんで? 皆にはあの魔獣の大群が見えないの? あんなのに襲われたら船なんかひとたまりもないだろ?

 僕達ふたりはあまりにも狼狽えていたのだろうか、様子のおかしい僕らを見て、船員のひとりが声を掛けてくれた。


「もしかしてこの航路は初めてかい? あの魔獣を気にしてるんだったら大丈夫だよ。この船は襲われないから」


 え? どゆこと? 


「結界のスペシャリストが乗船してるから大丈夫だよ。あと凄腕の魔獣ハンターもいるからさ。なんにも心配はいらないよ」


 そ、そうなんか。結界か、話には聞いたことあるけど見るのは初めてだな、って、この船に結界が張られてるのか? 全く分かんないぞ。

 でも魔獣ハンターかぁ、なんかあいつらにはいいイメージがないなぁ。どうしてもバールのヤツらを思い出してしまう。


「君たちも聞いたことくらいはあるだろ? 魔獣ハンターの軍団『バール』のナンバーズがこの船に乗ってるんだよ!」


 はぁ!? バ、バールだって!? そ、そんなクソ共がこの船に乗ってんのか!?

 衝撃の事実に戸惑いが隠せない。なんであんな人でなし共を雇ってんだよ!? おかしいだろうが!

 船員に問い詰めたが、それはそれ、これはこれ、と言いくるめられてしまった。なんなんだよ、腕が立てばどんなヤツだろうと使うってのかよ……


 しばらくして魔獣の大群の中へ船は突入していった。テラーフィッシュの群れは船を蹂躙しようと突撃してくるが、結界に阻まれてこちら側へ侵入することができない。それどころか結界に触れた瞬間魔獣達は悉く消滅していく。

 す、すげえ。たしかにこの光景を目にしたことのある者ならあんな魔獣の群れを見ても恐れおののくことなんかないだろう。

 魔獣に知性があるのかは分からないけど、結界の前でかなりの数の魔獣が消失して、残ったテラーフィッシュ達は結界を破るのは無理だと悟ったのか、海の中へ消えていった。


「どうだい? すげえだろ! この為に大金はたいてヤツを雇ってんだ。まぁ大船に乗ったつもりでいればいいさ!」


 まるで自分が魔獣の大群を追い払ったかのような口ぶりで話す船員。でもこんなすごい結界を張れる人物って一体どんな人なんだろうな。



    ◇



 魔獣襲来から3日、あの後以降これといったアクシデントもなく、順調に航海は進んでいる。強いて言えばロベリアは未だに船酔いに慣れないらしく、船上からキラキラした物質を海上へ放出し続けている。


「あぁ、もう嫌。もう限界。なんでレットは平気なのよ!」

「いや、そんなこと言われても…… 体質としか言えないけどぉ」


 何故か僕は船酔いに耐性があるらしく、今のところ一度も吐気を催していない。ていうか前世でも船なんか乗ったことなかったから船酔いなんて味わったことねえんだよなぁ。


 船上でロベリアの背中をさすりながら、なんにもない水平線を眺めていると、後ろから声を掛けられた。女性の声、えらく甲高い、よく言えば可愛らしい、悪く言えばぶりっ子なかんじの声。


「にぇにぇ、君たちぃぃ。かぁわいいにぇ! どこまでいくにょぅ?」


 振り向き声の主を見る。そこにいたのはフードを被った女の子。身長は140センチ程度だろうか。かなり小柄な女の子がそこに立っていた。


「あ、あぁ、僕らはアリスミゼラルまで行く予定だよ」

「ふゅーん、そっかぁぁ。あたちとおんなじじゃぁん。まぁあたちのばやい、この船との契約がそこまでぇだかりゃあ、そこでおりりゅってかんじなんだけどぉ」


 うわっ、聞き取りずれえ。キャラ作ってんのか? こいつ普通に話せねえのかよ?


「あ~、そうなんですか。奇遇ですね。今ちょっとツレが気分が悪いんで、失礼させてもらいますね」


 あんまり関わりたくないタイプの女性だ。ここは適当に理由をつけてこの場を離れよう。そう思い、やんわりとこの場を離れる言い訳を言ったのだが、彼女はそんなことお構いなしでロベリアの背中をさすってきた。


「大丈夫ぅ~? あたちが背中さすってあげるかりゃぁ、よ~し、よ~し、いい子いい子~。てかさぁ、逃げようとしなくちぇもいいじゃぁん。あたちと仲良くちといたほうがいいと思うんだけどにゃぁ」


 あ? どういう意味だ? こいつ一体なんなんだ? なんの目的で僕らに話しかけてきた? アーテーのこともある。こいつももしかして敵なのか?


「あたち~、この船のぉ、結界張ってんだぁぁ! よろぴこぉ!」


 は? マジか? こんなちんちくりんがこんなすげえ結界を……


 ロベリアの背中をさすりながら微笑むフードを被った少女。屈託のない笑顔を見せる彼女に、何故か底知れぬ不安を抱いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る