消滅

川西課長の唇から漏れ出る美しい歌声に、慶喜も他の観客も皆、うっとり聴き入っている。


CDが壊れて以来、慶喜の心は常に満たされず渇いていた。そのひび割れ渇ききった心に、まるで水が沁み込むような心地を彼は味わっていた。


課長の歌声は、あのCDのものとは全く別物である。しかし同等の価値を認め得る程、素晴らしいものであった。


ステージに立つ人の羽織るレインコートは、課長の返り血に赤く染まっている。その人はしゃがみ込み、タライの中に手を入れ長いものを取り出して見せた。おそらく腸であろう。


課長の腸は主の元を離れた後も、変わらず蠕動し生き物のようにうねっている。

その人は腸を引き延ばし、課長の空洞となった胴体に、まるでギターの弦の様に取り付けていった。

腸の端と端を、空洞の端に針と糸で器用に、素早く縫い付けていく。長い腸を、途中で切ったりはせず、空洞の端に来たら折り曲げて縫い付けていった。

そして空洞に四本の弦が作られると、腸を指でプツリと切って捨てた。


その人は次に、タライから丸々とした赤黒いものを取り出した。ドクンドクンと蠢き、脈打つそれは心臓だ。


眩く光るものを課長の頭部に差し入れ、スッと横に切れ目を入れて頭頂を掴んで引き上げると、ピンク色味がかった脳が露わになった。

脳を片手で掴んで引き上げると、ズルリと取り出され、頭部に空洞ができる。

その人はその空洞に、心臓を設置した。


白目を剥いたままの課長の、パカッと蓋を開けたようになった頭部、そこに納められた心臓は「ドクン、ドクン」とリズム良くビートを刻み


胴体の空洞に、弦のように掛けられた腸は蠕動する事でバイオリンのような音色を奏でている。


課長の口から漏れ出る天使の歌声と、心臓と腸による完璧な演奏のハーモニー…


気付くと、慶喜は感動のあまり涙を流していた。見渡すと、他の観客も皆一様に涙を流しながら恍惚としている。


どれくらい経ったのだろうか、慶喜にはほんの数分、いや一瞬のようにすら感じられたのだが、ピタリと演奏が止まり辺りが静かになって、思わず時計を見ると一時間も経っていたのだ。


慶喜は先ほどまで聴き浸っていた余韻から言葉が出ず、拍手する事すらできない。そしてそれは、周囲の他の観客も同じである様だった。


口をポカンと開き、涙に濡れた目でぼんやりと、ステージに立つスター川西課長を見ていた。


スター川西課長のバイオリンやドラムは、死んだようにピタリと動きを止め、半開きになった口からは何事も発せられなくなっている。


――アンコールは無いのだろうか…?


できれば永遠に聴いていたかったが、奏者やボーカルも休まねばならない。じゅうぶんな休息あってこそ、素晴らしいパフォーマンスを披露できるというものだ。


だから今宵のパフォーマンスがこれにて終了ならば、致し方ない。名残惜しいが、慶喜は納得していた。

しかしせめて、アンコールを期待したかった。


白目を剥き、首をぐったりと左肩に傾けるスター川西課長の唇から「ううう…」という、小さな呻き声が漏れ出るのが聞こえた。

途端に、観客が興奮し彼に注目するのが分かる。


「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”…」


スター川西課長は断末魔のシャウトを叫びながら、足元から順に、まるで瓦礫の様に崩れていった。

その美しいシャウトは、崩壊が口に届くまで続き、その後もビートを鳴らしていた心臓まで来たところで、演奏は完全に終了したのだ。


観客が盛大に拍手を送る。慶喜も感動の涙を流しながら、夢中で手を叩き続けた。周囲の観客も皆、むせび泣いている。

拍手の最中、黒子が再びステージに現れ手際良く、かつて課長スターであったもの、瓦礫の山を布袋に入れて箒とちり取りで掃除をしていた。


「お気に召していただけましたか?」


聞き覚えのある声に、思わず振り返ると、そこにはいつの間にかCDショップ店員がいた。

マスクの上にある目は、三日月形に微笑んでいる。


「はい、それはもう…!あのCDの曲に劣らぬ素晴らしさです!生きているうちに、こんな素晴らしい曲を聴く事ができるなんて…!」


興奮気味にまくし立てる慶喜に、店員は笑みを崩さず満足気にしている。


「課長が…あの平凡な人が、あれほどの美しい旋律を奏でるなんて驚きですよ…」


慶喜は感動の余韻に浸るように呟いた。


「あなたが購入したCD、あれを奏でた人は元傭兵でした。ヨーロッパにある某国の王族の出でしたが、没落しましてね…」


「…そんな波乱万丈な人生を歩まれた方だったのですか。言われてみれば、荒波のような激しさを感じる曲だった気がします。」


「しかし今回聴いた曲も、勝るとも劣らないものであったでしょう?」


「当たり前です!甲乙つけるなんてできない!」


「人は皆、人というだけで美しい音色を奏でる事ができるのです。そしてそこには優劣や上下は無い。劣った曲を奏でる人は存在しません。」


店員は誰もいないステージの方を向き、遠くを見るような目でそう言った。


「そして同じであったり、似ている曲を奏でる者もおりません。」




感動の余韻冷めやらぬ中、ぞろぞろと上の空で建物を出る人々の後に、慶喜も続いた。

見上げると、満天の星空がそこにはある。片手には、今日聴いた曲を収録したCD。慶喜は宝物のようにそれを、両手で大事に抱え持つ。


――長かった…あのCDが壊れてから、ずっと禁断症状が出ている。今宵から、ようやく解放されるのだ。


早く、このCDを聴きたい―― 一刻も早くCDを聴く事のできる環境へたどり着くため、慶喜は家路を急いだ。









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