ムカデ明神

「昔、昔…」と、昭三郎は歩きながら話し始めた。


ここら一帯を、一匹の大ムカデが支配下に置いていた。大ムカデは他の、普通のムカデ達を従え、そいつらは人間達を食い物にしていたという。


もう、ムカデに怯えながら生きるのは嫌だ、人間達はそう思っていた。


そこへ立ち上がったのが、日本神話に登場する神々の一人、スサノオノミコトである。

スサノオノミコトは神剣を手に、大ムカデに一人立ち向かい、見事勝利をおさめた。

大ムカデは神剣で切りつけられ、退治されたのである。


人々はスサノオノミコトの雄姿を称え、また大ムカデの祟りを恐れてこの神社を建立した。

その名も、「ムカデ明神」である。


これが、昭三郎の話す石版に描かれた物語の概要である。


「ムカデ明神…」


慶喜はぽつりと呟いた。

確か、晃堅の葬式に乱入した「川上の婆」と呼ばれる老婆が、そんな事を叫んでいたのを思い出した。

あの時、村人の一人が言い淀んだ民話の内容が、今昭三郎の話した内容なのだろう。

何でもない様な民話だというのに、なぜあの時彼は言い淀んだのか…話す事が面倒だったのだろうか。


慶喜の様子に構わず、昭三郎は続けて喋る。


「僕の母、弘子は、大ムカデを退治したスサノオノミコトの子孫の一人なのです。」


「…なるほど、それで縁のあるこの土地に嫁いで来られたのですね。」


「まあ、そんな所です。」


スサノオノミコトの子孫として広く知られているのは、皇族である。弘子はその筋の人間だろうか。


手水舎を横目に昭三郎は歩いて行く。

慶喜はこうした場所での礼儀をよく知らないのだが、確か手水舎で手や口をゆすぐものだと聞いた事があった。

昭三郎はそれを知らないからというよりも、ここで祀られるムカデ明神とやらを篤く信仰しているわけではないから、という理由で素通りした風に見える。


慶喜は晃堅の葬儀を思い出していた。僧なのか何なのか分からない者が、ムカデを突き殺す儀式…ああした儀式が行われている事を考えると、こうして祀ってはいるものの決して崇め敬っているわけではない事が察せられる。



昭三郎は足を止めた。目の前には、拝殿らしき建物がそびえている。

それ程の大きさではなく、小さすぎもせず、街中によくある小さな神社と同じ程度のサイズに見える。

建物の老朽化についても、定期的に補修工事が行われていそうであった。

何の変哲も無い、どこにでもある神社。そんな印象を受ける。


しかし、この場所に着いてから慶喜は、異臭が気になっていた。生臭いと言えば良いのか、物が腐ったような…とにかくお世辞にも良いとは言えない臭いを感じている。

チラと英二を見ると、彼も神妙な顔で小さく頷く。


「祟りじゃあ!」


聞き覚えのあるガラガラ声がして、思わず慶喜はビクっと体を飛び上がらせた。





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