夜のCDショップ

めへ

きっかけ

夜のCDショップ

帰り道、慶喜はいつも同じコンビニに寄る。そこで睡眠の質を良くするとされる何某かの保健用食品を買い、喫煙所で一服してから帰る。

保健用食品は通販や薬局でまとめて買った方が安いのかもしれない。しかし何となくそれが習慣として染みついており、今更変えるのも嫌だった。


喫煙所から見える向かい側の歩道添い、左方向には「CDショップ」とでかでか看板を掲げた小さな店があった。

慶喜はこの近くに住んでいるのだが、その店が開いているのを見た事が無い。店内はいつも暗く、ドアも閉め切られている様だった。

こうした店は、今時流行らない。きっと随分前に潰れて閉店し、そのままになっているのだろう。


ところがそのCDショップが、今夜は開いている。店内の様子まで確認できる距離ではないが、明かりが煌々と点いておりドアも開かれているのだ。


――驚いたな、まさかやっていたなんて…経済的に余裕のある人間が、気紛れに開ける類の店なのかもしれない。


横断歩道を渡って、向かいの歩道へ行き店へと近づくと、店内には壁に沿って置かれた棚にCDと思しき物が並んでいるのが見えた。

店員の姿が見えない、店の奥に引っ込んでいるのだろうかと、思わず店内に足を踏み入れてしまった。


店内はシン…として静かだ。普通、こういった店は何某かの音楽をかけるだろうに、珍しい。

それにしても静か過ぎる。背後にある道路を通る、車の音すら聞こえないのはおかしい。店内は防音装置でも施されているのだろうか、しかしだとしてもドアが開いている状態で、外からの音が一切聞こえないなんて事がありえるのか。


そう思って振り返ると、いつの間にか扉が閉まっていた。


成る程、それでか。と慶喜は安堵する。

この店内は防音装置が施されているのだろう、気付かぬうちに早々とドアが閉まっているのに、自分が気付かなかったのだ、と。


改めて店内を見渡すが、店員らしき存在が見当たらない。

とくに用も無いのに来店したものだから、その方が好都合だった。CDを買う予定は無いし、店員の目がある中何も買わずに店内をジロジロ見ながらうろつくのは気が引ける。


棚に並ぶ商品を物色するのだが、見知っている曲が全く見当たらない。おまけに全て、英語や韓国語、中国語など異国語表記だ。

パッケージの写真に、最近流行りの韓国ポップアーティストが載った商品も無いようだった。


どうやらこの店の主は、そうとう偏屈というかこだわりの強い人のようだ。そしてやはり、趣味で気紛れに開いている類の店なのだろう。


ふと横を見ると、そこにはイヤホン付きのCDプレイヤーが設置され「ご自由にお使いください」と小さな看板が立てかけてある。


慶喜は棚から一枚のCDを取り出した。そのCDのパッケージにはどこの国のものか分からぬ言語が表記されており、群青色をベースに黄色やピンク色が所々擦れた様に塗り付けられたデザインをしている。

慶喜がそれを、何でも良いからと適当に手にした訳ではない。パッケージの、文字を含めたデザインをたいそう気に入ったからだった。

パッケージの色彩センス、そしてどこの国のものか知らず、もちろん何と書いてあるのかも分からない文字の列、文字の造形や配置、全てを気に入った。


曲の内容など、どうでもいい。このパッケージを部屋に飾るかして手元に置いておきたいと思った。

しかし、せっかくすぐ側に視聴器具が用意されているのだから、中身も確認しようと思った。もっとも、どれだけ気に入らない曲であろうと慶喜の、このCDを買うという決意は揺るぎそうにないのだが。


プレイヤーにCDを丁寧に、傷がつかぬようそっと置いて蓋をすると、スタートのボタンを押した。

キュルキュルという音がしたかと思うと、CDがゆっくりと回り始め曲を奏でる。


静かな旋律が耳に流れ込む。慶喜は楽器に詳しくないが、エレクトーンとギターと思われるような演奏が静かに、しかしテンポ良く流れ、続けて耳に心地よい歌声が聴こえてきた。

何の言語なのか、何を言っているのかさっぱり分からないが構わなかった。強い情動を感じさせる、力のある歌声に慶喜は夢中になって聞き惚れた。声の主の性別は分からない、正に中性的と呼ぶに相応しい。


ギュルギュルという音が響き、曲が終了した事に気付いて目が覚めたように現実へ引き戻される。腕時計を見ると、既に2時間が経過していた。

時間を忘れて聴き入っていたらしい。


CDをプレイヤーから丁寧に、宝物を扱うように取り出しケースに仕舞うと、慶喜はそれを持って真っ直ぐレジへ向かった。

レジにはいつの間にか、店員が一人立っている。キャップを被り、マスクをしっかり装着したスウェット姿のその店員は、年齢も性別も不詳だった。


「二千円になります。」


そう言った店員の声もまた、性別不詳で中性的なものだった。


しかし今の慶喜にとって、店員の正体などどうでも良い。そんな事よりも、これほど素晴らしい曲がたった二千円で手に入る事に驚愕した。







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