ヒラメ

「慶喜さん、慶喜さん…」


揺り動かされ、慶喜ははっと目を開けた。車はいつの間にか、海辺に停まっている。

あれからどれだけの時間が経ったのだろう、ここが一体どこなのか見当もつかない。あの曲を聴いていると、時間の感覚が無くなり、あっという間に時が過ぎるのだ。


未練がましくCDを止めるのを躊躇う慶喜に代わって、店員がスイッチを押して停止させた。


「また帰り道に聴きましょうね。それに、今から始める仕事だってあのコンサートに繋がっていくんですよ。」


そう言われ、慶喜は俄然やる気が出てきた。


「そうだ、俺はあの素晴らしいコンサートをもう一度…いや、何度だって実現させると誓ったんだ!」


「そうです、そうです。さ、降りて始めましょうか。」


店員に促され、慶喜はウキウキと助手席から飛び降りる。


海から吹く強い潮風を左側から感じた。広がる青い海には泳ぐ人間も、船も見当たらない。真上に登った太陽が燦々と降り注ぎ、眩しくて思わず目を閉じた。


「慶喜さん、こっちですよ!」


店員に声をかけられ振り返ると、一階建ての事務所の様な建物がある。店員に手招きされ、そちらへ足を向けた。

事務所の中は電灯が付いていないのか、点けないのか分からないが、薄暗く、しかし明るい真昼間なせいか、窓から降り注ぐ太陽光のおかげで中の様子を知る事は不自由でなかった。


慶喜の頭一つ分低く、横に長い水槽が並んでいる。他には何も無い。


「この水槽は何のために置いてあるんだ?水以外に何も…」


水槽に近付いて見た慶喜は、底の方にびっしりと何かがいる事に気付いた。


「…魚?」


「ヒラメです。」


そう言われ水槽の中をよくよく見ると、底にへばりついているのはなるほど魚、ヒラメのようだ。

茶色の、平べったい魚が水槽の底にへばりつくようにしており、尾ひれを動かし口をパクパクさせている。


死体を二人で建物の中に運び込み、慶喜は再びバテてしまった。ゼエゼエ息を切らしながら、大の字になりコンクリート製の床に倒れ込む。

店員が建物の外に出て、しばらくするとブウウウウン…ブウウウン…という耳障りな機械音が聞こえてきた。


夜通し運転し、死体の山を再び運んで、あの店員には疲れた様子も無い。体力が人間離れしている。

ひょっとしたら、人ではないのかもしれない。慶喜の脳裏にふとそんな事が過ったが、これまで起きた事を考えると今更であるように思う。


――そう、今更じゃないか。それにそんな事はどうだって良い。


どうだって良いのだ。あの曲を聴き続ける事ができれば、コンサートが実現されたなら…


戻って来た店員は「機械の調子を確認していました。」と晴れやかに言った。







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