狂気

「あの爺さん…イカれてるとは思ってたけど、まさか殺人までやるとは…しかも自分の孫を…」


チンピラが震える声で、そう言った。


これは思っていた以上に、面倒だ――慶喜はそう思い、英二を連れて来なかった事を後悔していた。

変人らしいが人畜無害であろうと予想していた老爺は、意外にも狂暴だった。これから慶喜ら二人は、常軌を逸した老爺と戦わねばならぬ可能性がある。

二人よりも三人である方が心強い。現状でも二人対一人であるが、相手は何をやるか分からないのだから。


しかし、ここで臆するわけにいかない。引き返せば、あのCDを、あの曲を取り戻す事ができなくなってしまう。


「行きましょう、中へ。」慶喜は力強くチンピラに声をかけたが、チンピラは相方の死体で怖気づいたのか、すっかり及び腰になっており、冷や汗をダラダラ流しながら後退る。


「し、正気か?!相手は殺人までやる奴だぞ?!」


「あなただって、殺人くらいやった事あるでしょ。相方もですよね?じゃあ、殺人犯と一緒に仕事してたわけですし、殺人なんて珍しくもなんともないじゃないですか。」


「そういう問題じゃねえよ!あの爺さんは何考えてんのか、何やるのか分からないんだぞ!俺たちは殺しにしても何やるにしても、理由があるんだよ!たとえそれが、腹が立ったからとか、くだらないものだとしても!あの爺さんは何がトリガーなのか、分からねえだろ!」


「腹が立ったとか、そんな理由で殺人してたんですか…異常ですね。金のためだけだと思ってた。いや、それでもじゅうぶん異常だけど。」


「お前に言われたくねえよ!お前だって金のために、ポンプ御殿の婆さんを殺すつもりだったんだろうが?!」


「俺の最終目標は金じゃなかったので…一緒にしないでください。」


慶喜はムッとして答えた。

そう、自分は金のために犯罪を犯すわけじゃあない。あの素晴らしい曲、コンサートを実現するという、人類史上最高に価値あるもののために、やむを得ず手を汚すのだ。

金のため、一時的な感情の高揚のために犯罪者となったチンピラと、一緒にされたくはない。


「俺はあなたたちとは違う。世界で、いやこの世で最も価値ある存在のために、手を汚したのです。犯罪者は犯罪者でも、格が違う。」


「…何なんだよ、その最も価値ある存在って?まさか、シャブの事じゃないだろうな?」


舌打ちしてそう聞くチンピラに、慶喜はフフンと得意げに鼻で笑った。


「シャブ?そんなもの、あの存在を知ればどうでも良くなりますよ…」


「シャブより高く売れるって事か?」


チンピラが興味を示し、声音が明るくなった。彼の目に映る、実際は存在しないシャブによる札束の山、それが更に規模を増した事を、慶喜は察した。


この男は金に目が無い。目の前に金をちらつかせれば、周囲が見えなくなり、わき目も降らず、あるかどうかも分からない金に向かって疾駆するだろう。

どこも見ていない目を輝かせるチンピラを見て、慶喜はほくそ笑んだ。


「もちろん最初に言った通り、シャブもあります。しかしそれ以上の効果を発揮し、倍の額は取れるものもある。」


「倍…倍だって?!新しい脱法ドラッグか!」


「ふふ…まあ、そんなものですよね。」


まあ、嘘ではないだろう。確かにあの曲には、ドラッグに似た効果があるように思う。


「じゃあ、行きましょうか。」


慶喜はチンピラの気が変わらないうちに、と禍々しいオーラを放つボロ家の方を向いた。


「あ、ああ!」


金に目が眩み、恐怖を多少忘れる事ができたらしいチンピラは、すっかり乗り気である。


所々剥げた、木製の引き戸に手をかけ、あれだけ大騒ぎした後では意味が無いと思いつつ、それでも音を立てぬようにとゆっくり力を入れた。


しかし戸は開かない。何度力を入れても、ボロボロの戸はピクリとも動かないのだ。


――ひょっとして、押戸なのか?


そう考え押してみると、ガタンという戸の揺れる音がしただけで、やはり変化は無い。


この家は鍵がかかっている。こんな状態の家にしておく人間が、家の戸に鍵をかけるなどという事実に、慶喜は驚いた。正気であった頃の名残だろうか。


「かしてみろ。」


チンピラはそう言うと、先の細いドリルの様な物を取り出し、それをしばらく鍵穴に入れて動かした。

ドリルを離すと、チンピラは得意げに戸に手をかけ、カラカラという音をたてて開けた。









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