希望
黒い服を着た二人、彼らに拘束される川西課長に続き、慶喜はCDショップ店員と共に廃墟へと入って行った。
エントランスに足を踏み入れ、廃墟になる前は自動扉であったろう、開きっぱなしで所々割れたりひび割れたりのガラスのドアを通り抜け中に入る。
足を踏み入れた慶喜は、思わず目を剥いた。
そこには既に、数え切れない程の大勢の人々が群れている。老若男女を問わないが、小さな子供は見当たらず、皆成人かそうでなくとも十代後半と思われた。
服装はまちまちだが、皆だらしない乱れた着方で薄汚れた、くたびれた感じを受ける。
服装だけでなく、髪や髭も伸び放題でボサボサだ。
そして彼らからは、凄まじい悪臭が漂っていた。長い間体や衣服を洗っていない、そんな臭いだ。
しかし彼らには自分の不潔さを気にする様子が無く、ただじっと中央に聳える、黒い富士山型のステージを凝視していた。
――あれはステージなのか?彼らはまるで、ステージに立つ予定のアーティストを待つ観客のように見える。
辺りを見渡しても、川西課長と彼を拘束していた黒い服の二人は見当たらない。ショップ店員も、いつの間にかいなくなっていた。
慶喜は狐につままれた心地で、ぼんやりと富士山型のステージを眺めていた。
するとステージの奥に漂う闇から、人が一人現れてきた。
短髪に黒い上下の服、遠目による判断だがどこにでもいそうな普通の顔、という表現がしっくりくる、そんな顔立ちと体型。しかし性別は不詳だった。男女どちらにも見え、どちらにも見えない。
その人が現れると、ステージを凝視していた観客が急にざわめき、歓声を上げ始めた。まるでスターの登場に湧く場内だ。
その人が両手を宙に上げ、顔のある辺りまで下げると、それが「静かに」というサインだったのか、急に皆静かになった。
場が静まった後も、観客は皆相変わらずステージを凝視し、これから始まる何かを期待に胸膨らませて待っている。
ステージの奥の闇から、今度は三つの人影が現れた。人影の中央にスポットライトが当たり、輪郭がはっきりすると、そこに居たのは川西課長であった。
川西課長は背後にぴったりとくっついた板状のものに、後ろ手と両足を拘束されていた。課長を拘束する板には、足元に小さな車輪が付いており、両脇に控える黒子の様な人物二人によって移動させられていた。
遠目にも、課長の顔が血の気を失い真っ青になっていると分かる。きっと体も震えているのだろう。
拘束された課長の体が、ステージの中央に移動すると「ガタン」という音と同時に設置された。そして板ごと宙に浮き始め、地面から足までが三十センチ程の距離で止まった。
二人の黒子は左右に分かれて、ステージの奥の闇へ消えていった。
最初にステージに現れた人が、あらかじめ設置された小さなテーブルに手を近付け、布のようなものを掴んでバサリと目前に広げる。それはレインコートだった。
百均などで販売されていそうな、そのレインコートをふわりと羽織り、これまたテーブルに乗っていた包みを紐解いている。
包みの中から取り出したそれは、スポットライトを反射し眩しい程輝いていた。そのため、慶喜にはそれが何なのか分からない。
やがてその人はクルリと向きを変え、課長の方を向くと近づいていく。
課長の目玉は飛び出さんばかりにせり出し、血走って涙を流していた。唇がふるふると震えており、おそらく助けを乞うような事を口にしているのだろう。
レインコートを羽織ったその人は、足元のタライを片足で蹴り、課長の足元にそれを設置した。その音が慶喜には、まるで開始のゴングの音のように聞こえ、凄まじい高揚感を感じてゴクリと唾を飲んだ。
その人は光り輝くそれを右手に持ち、課長の胴体上部、中央へ持っていく。課長が「ぐえ」とガマガエルのような呻き声をあげながら、白目を剥いた。
その人が右手をゆっくり、下へと動かすと、まるでファスナーのように課長の皮膚が開き、内臓が露わになった。
そして同時に「ぎやああああああああああああああああ!」という課長の叫び声が場内にこだまする。
観客たちは皆、その激しいシャウトに目を閉じ、うっとり聞き惚れていた。慶喜もその一人である。
あのCDが壊れてからずっと、彼は禁断症状が出ていた。そして今聞いた課長の断末魔のシャウトは、その禁断症状を治めるのにじゅうぶんな美しい音色であった。
露わになった課長の内臓は活き活き、ツヤツヤとしており、心臓はドクンドクンという音が聞こえそうな様子で脈打っており、腸は蠕動している。
しばらくすると、その内臓たちはボトボトとタライの中へ落ちて行った。
後には、釜倉のように空洞となった胴体が残る。
驚いた事に、課長は生きている様だった。微かに瞬きをしており、血の垂れ落ちる唇が何事か呟いているかのように動いている。
どこからともなく、美しい歌声が聴こえてきた。あのCDの曲と同等と呼べる程の、美しい歌声。思わず慶喜は辺りを見渡すが、歌っている様子の者は見当たらない。
そして慶喜以外の観客は皆、ステージ上に耳を傾けるようにして、恍惚と聞き惚れていた。
――まさか…
その美しい歌声は、胴体がすっかり空洞となった川西課長の唇から漏れ出ていたのだ。
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