解決
どれくらい経ったのだろうか、気付けばベランダからオレンジ色の西日が射し、電気を点けていない部屋の中、慶喜は一人放心状態でベッドのもたれかかりベタ座りしていた。
ちょっと前まで陽介が居たような気がする。慶喜の肩を掴んで揺すり、必死に何やら色々と叫んでいた。
どうでも良かった。そんな事よりも、慶喜にはやるべき事がある。
慶喜は重い腰を上げると、フラつく足取りで部屋を出た。
豆腐屋の笛の音が遠くから聞こえる。学校帰りの子供たち、買い物帰りの人々は慶喜を見るや目を背け距離を広くしたが、慶喜にはどうでも良い事だった。
CDショップに着く頃にはすっかり日が暮れ、空は群青色となり慶喜の不潔さもいくぶん夜闇に隠れていた。
CDショップに着くまでの間、慶喜は不安でいっぱいだった。あのCDショップは店主の気紛れで開かれる店だからだ。今晩開いていなければ、一体いつ開いているのか…そして、それまでの間待つしかない事を思うと、慶喜はいっその事死んだ方がマシだとくらいに思いつめている。
CDショップが見えてきて恐る恐るそのまま歩き近づくと、煌々とした灯りが漏れているのが見え、慶喜の緊張と不安に凍てついた心は氷解した。
砂漠でオアシスを見つけた遭難者の様に、店に向かって駆け出し辿り着くや否やドアを開けると、店内の中央には店員が一人佇んでいる。
店内の様子は以前訪れた時と全く変わらないように見えた。壁に沿って置かれた長い棚にはCDが並べられ、見知っている曲はざっと見ただけだが見当たらない。そして視聴用のプレイヤー。
あの時は店員が不在だった。しかし今宵は最初からそこに居る。それもレジに控えていたり、品物のチェックをしていたりするわけでもなく、まるで慶喜を待っていたかのように店内の中央に突っ立っていた。
店員の表情は読めなかった。キャップを深く被り、マスクをしているから、だけではない。
その目はまるで人形のように感情が見えない。冷たい目、という表現がぴったりだと思った。そして冷たい目ではあるが、突き放すような目はしていない事が更に不気味さを増している。
以前の慶喜であれば、ゾッとしただろう。しかし最初この店に訪れた時、店員の目はどうであったか慶喜は思い出せなかった。あの時は曲への感動から、そこまで気に留めなかったのだ。店員の顔なんてまともに見ていなかった。
そして今回も同じだった。CDを失った絶望からそんな事は気に留めるうちに入らなくなっており、ゾッとしたもののすぐにどうでも良くなり、忘れた。
慶喜は店員に駆け寄ったのだが、店員は彼の不潔な身なりや悪臭に全く動じる様子が無い。
「どうされたのです?そんなに慌てて…」
そう言う店員の口調や様子には、驚いている様子が無くどこか楽しげである。
「CDが!この前、ここで買ったCDが壊れてしまったんです!」
慶喜はそうまくし立てながら、布に包んで持って来た割れたCDを見せた。
「落ち着いてください、慶喜さん。落ち着いて…」
店員は慶喜の肩に手を置き、そう言って彼を落ち着かせようとした。慶喜は項垂れながら、荒い呼吸を何度もして少し落ち着いた様だった。
落ち着いてみて、気付いた事があり顔を上げ、店員に不思議そうな顔を向ける。
「あ、あれ…?何で、俺の名前を知って…」
「ご自分で名乗ってらしたじゃないですか。」
店員はにこやかな声音でそう言い、慶喜も言われてみればと、その通りである気がした。
「それよりも、CDが割れてしまったんですよね?」
店員に言われ、慶喜は「はっ」と大事な事を思い出したようになり、再び追い縋る様にまくし立て始める。
「そうなんです!同じCDはありますか?!ください、買います!」
にこやかだった店員の様子が急に沈んだものとなり、慶喜は一気に不安になった。
「残念ですが…あのCDは絶版でして。この店、いやこの世界であれ一枚のみなんです。」
「そんな…」
慶喜は脱力し、その場にへたり込んでしまった。正に、目の前が真っ暗になった様な感覚だ。
「そんなに、あのCDを気に入っておられたのですね。」
床に手を付き、どこも見ていない目で放心する慶喜に、店員はしゃがみ込んで目線を合わせ、優しく話しかけた。
「はい…あれは…俺の全てです…俺の人生唯一の、喜び…」
そう言いながら、慶喜は自然と涙を流していた。
「あの曲をもう聴く事のできない人生なんて、意味が無い…」
もう、死ぬしか無い。慶喜はそう思った。
この店を出た後、どんな方法でも良いから命を絶つ事を決意していた。
どこかの高層マンションに入って…オートロックであっても、そこの住人が入ると同時に素知らぬふりで入ってしまえば良い。そこの最上階から飛び降りよう。
「方法はあります。」
自殺方法を考え巡らせていた慶喜を、店員の言葉が引き戻した。
慶喜は思わず店員に顔を向け、縋る様な目で見る。
「方法って?!あのCDを再び入手する方法ですか?!」
店員の慶喜を見る目は相変わらず、氷の様に冷たいが突き放す様ではない。
その目がまるで、嘲笑する様に笑っていた。
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