使い道

涙で女神の姿が霞んでいき、ぼやけた光の塊しか見えなくなった頃、左頬に強い衝撃を受け慶喜は頭を畳に打ち付けた。


「いてて…何だ、誰だ一体…?」と起き上がると、輝くミューズの姿は既に無く、暗く寂れた和室にポツンと慶喜は座っている。

少し離れた場所には血塗れの死体が二体、一体はチンピラ。もう一体は分からない。


そして目の前には、見覚えのある人物が立ってこちらを見下ろしている。眼鏡にマスクを着け、キャップを深く被っているのだが、この雰囲気は間違いなくあのCDショップの店員だ。


「…あれ?女神様は…」


慶喜が辺りを見回しながら、店員に尋ねる。


「それ、幻覚ですよ。」と店員はこともなげに言い放った。


「禁断症状の一種でしょう。あなた、もうかなり長い間あの音楽を聴いていないのでは?」


「禁断症状…そんな事があるのか。まるで違法薬物みたいだな。…しかし、あれが幻覚だったとは俺には思えないよ。

なあ、その女神様は音楽の神だったんだ。ミューズだよ!俺の功労を認めてくださった…」


慶喜はその時の事を思い出し、再び感動のあまり涙ぐんだ。


「俺はミューズと約束したんだ、これからも彼女がこの世界にもたらした、あの素晴らしい音楽を…あの音楽で世界中を満たしてみせると!」


「それは良かったですね。その方に喜んでいただけるよう、励みましょう。」


店員は一瞬馬鹿にするような目をしたが、すぐ目を細めて微笑み、心を込めた言い方で、慶喜の言葉を肯定した。


慶喜はよろよろと立ち上がり、死体の一つを確かめに近寄った。それはあの巨漢の老爺であった。

頭部がケチャップをぶちまけた様になっており、顔面が確認不可能だが、服装や体格などで容易に察せられる。


「…これ、あんたがやったのか?」 慶喜が店員の方を振り返り問うと、彼は目を見開き驚いたように「それすら覚えていないんですか?」と言う。


その瞬間、記憶がフラッシュバックした。ハンマーで老爺の向こう脛を叩いた後、慶喜はすかさず頭部に振り下ろした。

その後は、ただ夢中でハンマーを振り下ろし続けた。視界は真っ赤で何も見えていない。何も聞こえなかった。


「思い出したようですね。」


慶喜の様子を見て察したのか、店員がそう囁く。


「ああ…もったいない、殺してしまった。生かしておけたら、楽器にできたのに。」


「外にも死体がゴロゴロ転がってますね。」


「…これらの死体、楽器にできないか?」


「死んじゃってたら、無理ですね。」


「そうか…」慶喜は肩を落とす。散々骨を折ったが、何も得られなかったのだ。


「まあ、気を落とさないでください。これにはこれの使い道がありますから。」


店員が明るい声で励まし、慶喜の肩にポンと手を置く。


ボロ家の前には慶喜たちの乗ってきた車、冷やかしに来た三人の車が無く、軽トラックが一台停まっているだけだった。

店員に尋ねると、はぐらかされた。おそらく、中古車として販売されるのだろう。


軽トラックに、二人がかりで死体を積み込んだ。老爺の体はかなり運び込むのが難しいと思っていたが、店員と二人で抱えると空気のように軽い。

チンピラの相方を含む、全ての死体を運び込む頃には、慶喜は汗まみれになり息切れしてヘトヘトだった。テキパキと死体を積み込んでいた店員は、汗一つかいている様子も無い。小柄だが、意外と鍛えているのかもしれなかった。あのポンプ御殿の婆さんを思い出す。


軽トラの荷台に母衣をしっかりかけると、二人は乗り込み車を発進させた。

運転席にはショップ店員が座っている。初めて来た道とは思えぬ程、手慣れた運転だった。






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