変身

「ぎゃあああああああああ」


老爺が凄まじい悲鳴をあげて、動きを止めた。どれだけ体を鍛えても、向こう脛までは筋肉で覆う事ができないはず、そう考えて狙ったのだが見事に当たった。


――やった…!あの死んでくれたチンピラに感謝しなきゃなあ、おいお前人生で一度だけでも役に立てたぞ、死んだ後でだけどな!


続けざまに、老爺の頭部にもハンマーを振り下ろそうとしたその時、老爺の体全体が黄色い光を発した。

あまりの眩しさに、慶喜は目を閉じその場から飛びのく。


そっと薄目を開くと、老爺の体はみるみるうちにその光に包まれ見えなくなった。老爺を包む光は、発光しながら黄色の塊となりぐにゃぐにゃと変形している。

やがて光が強くなり、慶喜は再び目を閉じ背けた。


――何者なんだ、この爺さん?!


光の強度が落ち着いた事に気付き、慶喜はそっと目を開けて視線を戻し、驚愕した。

老爺のいた場所に立っているのは、世にも美しい一人の女性だった。大昔のギリシャ人が着ていたような白い、丈の長いワンピースを着ている。その服は真っ白だった。少しのくすみも無く、慶喜はこれほどの純白をこれまで目にした事が無い。

豊かに波打つ長いブロンドヘアーが、ふわふわと揺れている。オリーブ色の肌、微笑む口元には愛らしいえくぼ、高貴さを感じさせる瞳の色は紫だった。


「よく頑張りましたね、あなたの労力を認めます。」


桃色の唇が開き、鈴の鳴るようなソプラノボイスが流れる。それは慶喜がこれまで聞いた中で、最も美しくそして優しい声だった。


「あ…あなたは一体…?」


慶喜は驚きのあまりその場に尻を着き、呆然としながらようやっと言葉を発した。

目の前の女は、微笑みを強めた。見ている者の心を温かくし、安心させる、そんな笑みだった。


「私は音楽の神。」


――音楽の神といえばアポロンだよな?しかしあれは男神なはず…ギリシャの神ではないのか?じゃあ、日本?ここは日本だし…なら彼女は弁財天?

ああそうだ、ミューズだ!やはりギリシャの神だ!


「私がこの世界にもたらし、選ばれた人間だけが聴く事のできる音楽、あなたはそれに対して最も貢献しました。感謝します。」


あの素晴らしい音楽をこの世界にもたらし、自分に引き合わせてくれた。それだけで感謝してもし足りないというのに、ミューズはなんと自分に感謝していると言う。

しかも「最も貢献した人物」と認めてくれた。

慶喜は感動のあまり涙と鼻水が止まらない。再び失禁し、それも止まりそうになかった。


「あ…あああ…女神様あぁぁ~…もったいないお言葉、痛み入りますうぅぅぅ~…」


膝立ちになり、相変わらず失禁し続けながら、慶喜は涙声で感謝の言葉を捧げ手を合わせた。


「これからも、よろしく頼みますよ。」


女神が聖母を思わせる声音で、慶喜に囁きかける。慶喜は光栄に思うあまり、胸が張り裂けそうになった。


「も、もちろんです!世界中を、あなた様のもたらされた音楽で満たしてみせます!」


女神が「それで良い」という風に、優しく微笑んだ。






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