「あ」

英二は車に走り寄り、必死にドアを開けようとしている。壊れているためか、なかなか開きそうにない。


「窓から取った方が早いんじゃないか?」


と、慶喜は助言した。英二ははっとしたような顔になると、窓ガラスの割れた部分に上半身を突っ込み、車体に設置されたCDプレイヤーの開くボタンを押した。

エンジンがかかっていないので、当然開くはずが無い。


「くそっ…」


英二は力任せにこじ開けようと、悪戦苦闘している。幸い車体全体が壊れてもろくなっていたようで、それほど時間も手間もかからず開く事ができた。


「無事だった…良かった…」


命拾いしたとでも言う風な様子で、英二は感涙しながら取り出したCDを大事そうに手にした。



次に二人はゴクリと喉をならし、トランクに手を付けた。

トランクの辺りも、もちろんボコボコに埋没しており中から物音は全く聞こえなかった。生きている可能性は低い、というかそうである方が二人にとっては助かる。



――どうか、既に生きていませんように。


あの日、巨漢の老爺を倒した際現れたミューズに祈りながら、トランクを一気に引き上げた。


ところが視界に飛び込んできたのは、拘束された「あ」の死体ではなく何も入っていない、空の状態だ。


心臓が凍り付いた。

やはり藪根家の者によって、トランクは開かれていたのだ。そして「あ」が生きていたとしたら、洗いざらい喋ったに違いない。

彼らは警察に通報し、それまでの間自分達を引き留めておこうとしているのだ。


「あ」が生きていなかったとしても、両手足を拘束され猿轡をされた状態の死体を見て、警察に通報しない訳が無い。いや、トランクに人が入っていた時点で通報するだろう。


「やべえよ…」


英二も同じ事を考えたらしい。真っ青な顔をして、ガタガタ震えている。


「逃げよう…車はこんなだから無理だろうが、徒歩でも何とかにげないと…」


「ああ…とりあえず車を俺たちに見せた時点で、俺らがトランクの中に気付いた事を、藪根家の人間は知っている。おそらくこの後、軟禁するつもりだろう。気付かれぬよう、こっそり出るぞ。」


二人は青い顔を見合わせ、そう相談し合うと頷き、踵を返した。


裏口の扉付近で、お嶋が待っているかもしれない。もしくは既に、自分達を捕らえるため用意した者共が…

そう考えると、元来た道を引き返す事は危険だ。


どうにかして、裏口を使わずに家の中へ入る方法は無いものか、と二人は窓や扉を探す事にした。

二人共、部屋に自分たちの荷物を置き去りにしてここへ来たのである。

慶喜はその中に、あのCDを入れたままだ。荷物を置いて去るわけにいかない。


英二もまた、CDケースを置いたままである。大事なCDを保護するケースは、逃走する際持っておきたかった。




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