第77話 天啓


 少し離れた入り江の岩陰で、バトゥは一人水面を眺めて座り込んでいた。


 その背中からは人を寄せ付けない空気が放たれていたが、ダンは気にせず隣に腰掛ける。


 そこで何を言うでもなくしばらくじっと黙ったあと、ダンはふと口を開いた。


 「そこで一体何が見えるんだ?」


 「……別に何も」


 ダンがそう問いかけるも、バトゥは無愛想にそう答える。


 しかし曲がりなりにも返事はしている以上、まだ会話の余地はあるように思えた。


 「さっきの喧嘩だが……なかなか良かったぞ。素直に自分の気持ちを話せていた」


 「…………?」


 ダンの意外な言葉に、バトゥは少し驚きながらそちらに目を向ける。


 てっきりこれまで通り、喧嘩をしたことを怒られるか、説教のような形で諭されると思っていたのが、まさか褒められるとは思っていなかった。


 ダンは、それを訂正もせずにそのまま続ける。


 「相手に全力で本音でぶつかっていくのは良いことだ。大人になったらなかなかそうはいかないが、これは子供の特権というやつだな。……少なくとも、周りに壁を作って遠ざけるような態度を取るよりずっといい」


 「…………!」


 そう指摘されて、バトゥはばつが悪そうに目を逸らす。


 「それと、これは一つ言っておかなければならないことだが……お前が思っている以上に、周りはお前が緑鬼オークだとか半緑鬼ハーフオークだとかなんてことは気にしちゃいない。子供たちの態度を見て分かるだろう? そんな小さなことを気にしているのは、はっきり言ってお前だけだ」


 「…………!」


 その言葉に、バトゥは目を見開く。


 自分がずっと気にしていたことが、「小さなこと」と断じられたのが少なからずショックだったのか、徐々に怒りで顔が赤くなる。


 しかしダンは、それにも構わず続けた。


 「……だからこそ、お前が心を開きさえすれば、皆も普通の友達としてお前を受け入れてくれるはずだ。自分の殻に閉じこもって、ラージャのように気を使ってくれる年長者とばかり関わって、お前自身は満足なのか? ドルゴスくんから言われたからとはいえ、お前も自分を変えたいと思ったからこの集まりに参加したんじゃないのか?」


 「…………」


 ダンの言葉に、バトゥはばつが悪そうに俯いて口を閉ざす。


 最初はドルゴスに誘われ、嫌々参加したバトゥだったが、叔父は他人に嫌なことを強制するような性格ではない。なので別に断ろうと思えば断ることも出来た。


 しかしそれでも引き受けたのは、もしかしたらこれを機に、何か自分を変えるきっかけが掴めるんじゃないかと期待していたからだ。


 ――しかし結局のところ、また自分は繰り返してしまった。


 今のままでは、また色んな者に喧嘩を振り撒いて、最後には孤立することが目に見えていた。


 このままずっと自分は一人ぼっちなのかと、バトゥは今の自分に焦りを感じていた。そして、決して急かそうとはせず、じっと黙って返事を待ち続けるダンに、ポツポツと自分のことを話し始めた。


 「お、俺……緑鬼オーク族なのに、全然力も弱くて……体も小さいし。郷の皆と相撲をしても、一度も勝てたことがないんだ」


 「……うん。子供にとって体格の差っていうのは大きいからな。そのことで、郷の皆から馬鹿にされたり、仲間外れにされたりしたのか?」


 ダンはそう尋ねる。


 もしそんなことがあるようなら、ドルゴスに一言言わなければならない所だが、バトゥは首を横に振った。


 「ううん。……皆は遠慮して、俺には凄く手加減してくれたり、応援して負けたら励ましてくれたりして……」


 「なんだ、暖かい子たちじゃないか」


 どうやらいじめのようなものは存在しないようで、ホッと胸を撫で下ろす。


 「うん。でも、俺、情けなくて……なんで俺だけこんなちっこくて弱いんだろうって。それがずっと嫌で。皆から半緑鬼ハーフオークだから仕方ないって慰められて、それが無性に腹が立って……!」


 「だから喧嘩して、必死に強く見せようと肩肘張ってたのか?」


 「……」


 ダンの言葉に、バトゥは無言で頷く。


 概ね事情は理解できた。確かに武を重んじるこの地において、周りの子供より自分だけ小さくて弱いのは、劣等感を抱いても無理はないのかも知れない。


 しかし、バトゥには他にはない得難い能力を持っている。


 そのことに気が付けば、きっと劣等感に苛まれることもなくなるはずだ。


 「バトゥ、お前には他の緑鬼オークの子にはない、優れた才能がある。そのおかげでもしかしたら、皆を助けることに繋がるかもしれないぞ?」


 「才能……俺なんかに?」


 バトゥはそう聞き返す。


 ダンは深く頷いて言った。


 「――それは言葉が滑らかに喋れること、そして見た目が私たちに近くて親しみやすいことだ」


 「そ、そんなこと……? そんなの、俺じゃなくても出来るじゃないか」


 バトゥは失望したかのように言う。


 しかしダンはこう続けた。


 「そんなことはないぞ。お前は、残念ながら緑鬼オーク族が魔性の森の一部の者たちから怖がられ、嫌われているのは知っているか?」


 「う、うん……聞いたことある。正直、あんまり感じたことはないけど……」


 「表立った激しいものはあまりないが……確かに存在する。私個人としてはあんなにお人好しな連中は居ないとすら思ってるんだが……。それの原因の一端となっているのが、緑鬼オーク族の言葉が聞き取りづらいこと、独特の臭いがあること、そして姿形が威圧的で、我らから見れば恐ろしく映ることだ。他にも人や亜人をさらって食ったりするという、根も葉もない噂もあるようだが」


 「さ、郷の皆は、俺らはそんなことしない!」


 怒りを露わにしながら声を荒げるバトゥに、ダンは深く頷く。


 「そうだ。……だが、それを恐ろしい見た目をした緑鬼オークたち当人が主張しても誰も聞き入れないだろう。それに彼らの言葉は下顎の牙のせいか、非常に聞き取りづらい。――そこで、役に立つのがお前だ」


 「…………!」


 そう指を突きつけてくるダンに、バトゥは驚いた顔で固まる。


 「お前は人間に近い見た目と言葉を話しながら、緑鬼オーク族の立場に立って考えられる唯一無二の存在だ。彼らとその他の種族との貴重な橋渡しとなれる」


 「…………!」


 ダンの言葉に、バトゥは驚きのあまり目を見開く。


 「たとえ力が弱く、体が小さくとも、お前はとても大きな可能性を秘めている。緑鬼オーク族にとっての救世主となりうるほどのな。……それとも、郷の皆の為に働くのは嫌か?」


 「ううん、そんなことない。俺、喧嘩したけど、皆のこと嫌いじゃないよ……役には立ちたい。でも、皆の役に立つなんて一体どうすれば……」


 そう悩むバトゥに、ダンは新たな道を示す。


 「私は、あの緑鬼オーク族の郷を森の観光地にしたいと思っている。あの美しい場所を、誰の目にも留まらずに埋もれさせるには惜しい。……そして皆の体にも染み付いている独特な臭い、あれは"硫化水素"だな」


 「リュウカスイソ?」


 突如聞き慣れない単語を出されて、バトゥは首を傾げる。


 緑鬼オーク族は、魔性の森で嫌われていた為に、地下から毒の霧が噴き出す不毛の土地に追いやられていた。


 しかしダンは、彼の地に降り立った瞬間、漂ってくるのが地下から噴き出る"硫黄泉"の臭いであるとすぐに理解した。


 「緑鬼オーク族の郷の地下には、素晴らしい財産が眠っているということさ。それを掘り出せば、他の種族どころか、人間たちすらも郷に観光客として呼び込むことが出来るかもしれない。……その時に出迎えるのが、強面の緑鬼オーク族ではなく、人に近い見た目をした半緑鬼ハーフオークであれば、向こうも安心すると思わないか?」


 「…………!」


 その言葉に、バトゥはハッと目を見開く。


 「たくさん勉強をしなさい。東大陸語だけでなく、色んな言葉も話せるようになれば、お前の未来は無限に広がっていく。そしてその分だけ、緑鬼オークの郷は豊かになり、周りの見る目も変わるだろう。お前にはそれを成すことの出来る得難い才能がある。分かるな?」


 「…………はい!」


 バトゥはダンの言葉に衝撃を受け、そして天啓のようにそれを受け入れる。


 既に先程までの劣等感に苛まれた少年の顔は消え、今は使命感に燃えた顔に変わっていた。


 「……よし、ではもう戻ろう。いつまでもこんな所に引きこもっていても仕方ないからな」


 「あ……俺、あの子に謝らなきゃ。最初会ったときバカ女って言っちゃったし、さっきだって……。ホントは話しかけられて少し嬉しかったんだ」


 そう答えるバトゥに、ダンは深く頷く。


 「その気持をそのまま伝えれば大丈夫だ。シャットは許してくれる。跳ねっ返りだがあれで優しい子だからな」


 そう言って、ダンはバトゥを連れてその場を離れる。


 元の浜辺ではシャットが他の子を連れて気不味そうに待っており、バトゥの姿を認めるや否や、慌ててこちらに駆け寄ってきた。


 「あ、あの! さっきは酷いこと言ってごめんなさいっ!」


 「……うん、俺の方こそ、最初に会ったときにも酷いこと言ってごめん。あと、ずっと嫌な顔してたけど、本当は話しかけてくれて嬉しかったんだ」


 拝むように手を合わせて謝るシャットに、バトゥは真摯に頭を下げて応じる。


 その余りに豹変した素直な態度に、シャットや他の子供たちもキョトンとした顔で言葉を失う。


 ――しかしやがて、シャットはニカっと破顔してバトゥの肩を叩いた。


 「な、なによもう! そうならそうと言いなさいよ! 本当に凄く嫌われてたのかと思って落ち込んじゃったじゃない!」


 「ごめん、あれは勢いで言っただけで……本当はそんなこと思ってなかったんだ。改めて友達になってくれると嬉しい」


 「な、なんか調子狂うわね。もういいから、さっさと糸解いて続行するわよ! まだ一匹も釣れてないんだから!」


 「うん」


 そう言いつつ、二人は釣竿の方に走って戻っていく。


 その背中を見送りながら、フレキや他の子供たちはポカン、と口を開けていた。


 「……ダン、一体どんな魔法使ったの? あれはもはや別人」


 リラは愕然とした表情で尋ねる。


 「バトゥは周りの同族に比べて自分に自信がなかったから、ああいう風な態度を取ってたんだ。……だから、気付かせてやったのさ、彼自身が持つ本来の価値と、その活かし方についてね」


 「なんか自信無くしますよ……僕は何も出来ませんでしたし。まさかあそこまで拗れた仲を簡単に修復できるとは……」


 フレキはそうガックリと肩を落とす。


 「君はまだ若い。確かまだ二十歳にもなってないだろ? 経験が足りないだけで、これから伸び代はいくらでもある。教師は生徒に教えるだけじゃなく、教えてもらうことだってある。子供たちと一緒に君も成長していけばいいんだ」


 そう言い諭すと、フレキは「は、はい……!」と感激したように身を震わせる。


 「さすが、ダン様のお言葉は深いです!」


 「……じゃあ、わたしたちがフレキ先生を成長させてあげる。とりあえず船から飲み物取ってきて。わたしリンゴジュース」


 「あっ、じゃあ私はあのシュワシュワした"コーラ"って奴がいいです!」


 「ちょ、ちょっと待ってくれ! それはなんか違うんじゃないか!?」


 そう言いつつも、フレキは少女たちにすっかり舐められているのか、パシリのように扱われていた。


 ダンはそれを見ながら、まあこれはこれで生徒に慕われる先生と言えなくもないか、と肩を竦めた。


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