第71話 レヴィアタン


 子供たちが遊んでいる海岸付近十キロメートル圏内を調査しながら、ダンは更に深海の奥へと到達していた。


 あれからバージェス動物群に準ずる古代生物はそれほど発見することも出来ず、ごく普通の魚たちの横をすり抜けながら、どんどん深部へと進んでいった。


 既に水深1000メートルの海底に到達し、視界は真っ暗で、ヘルメットに表示されるマッピングソナーを用いた視覚化映像でしか状況を確認出来なかった。


 付近にそこまで危険な生物はいなかったと確認し、そろそろ帰還しようかと考えていた所であった。


 ――突如、大きな反応がマッピングソナーに現れる。


 (なんだ……?)


 レーダーの捉えた大きさからして二メートルほどであろうか。


 10ノットほどで深海をゆっくり遊泳している。


 最大100ノットで深海を遊泳できるダンからすればさほど脅威でもない。


 故にその正体を見極め、危険生物なら駆除して帰ろうと、ゆっくり近付いてライトを照らし、姿を確認する。


 その瞬間、予想だにしない存在が目に映った。


 (エーギロカシス……!? ラディオドンタ類で最大の種か! これは凄い!)


 「…………」


 エーギロカシスは、ダンのソナー音に引かれて来たのか、ゆったりと周囲を遊泳する。


 地球においては約4億8000万年前に存在していたという図鑑上の生き物。二メートルにもなる史上最大の"エビ"である。


 エーギロカシスは、動物プランクトンしか食べない故にダンにとっては脅威ではない。


 ダンはゆっくり周囲を遊泳するエーギロカシスを鑑賞しながら、その幻想的で美しさすら感じる光景に深い感動を覚えた。


 しかし、その時――


 (……なんだ?)


 マッピングソナーにまたしても巨大な反応が現れる。


 しかも今度は二メートルなどという生易しい大きさではなかった。


 ――およそ50メートル以上。


 ソナーの視覚化映像からするに、ビル一棟分に値する巨大生物。


 それが60ノットを超える速度で猛烈な勢いでこちらに迫ってきている。


 一瞬レーダーの故障を疑ったが、ノアが整備した、最新鋭の探索設備であるレーダーが故障などするはずもない。


 どうやら謎の生き物はソナー音を追いかけてきているらしかった。


 ソナーを切るべきか? ――否、今この状態でソナーを切ることは、迫りくる謎の巨影に対して視界を塞ぐに等しい。


 (くそっ!)


 内心で舌打ちをしながら、ダンはジェットスクリューをフル回転させて急浮上する。


 先程までダンがいた海底を覆い尽くすように、巨大な黒い影が高速で過ったあと、エーギロカシスがまるで小エビのように簡単に飲み込まれる。


 そしてその黒い影は、深海で鎌首をもたげたあと、ダンを補足してさらに追跡してきた。


 幸いなことにダンの加速のほうがまだ速いのか、徐々に相手との距離が開いていく。


 そして陽の光が差し込んでくる程度の深度にまで到達して、ようやく相手の姿を確認することが出来た。


 (蛇? ドラゴン? なんだあの化け物は!)


 「ボォォォォォォォォォォォ…………」


 水底から響く、船の汽笛のような咆哮に体の芯が震わされる。


 その体がどれだけ長いのか全容が把握しきれない。ソナーの探知範囲外で長さが拾いきれないからだ。


 だが、蛇のような細長い体をした、蜥蜴トカゲのような頭をした生き物。


 高さ十メートルにもなろうというバカでかい大口に、ビル一棟分にも及ぶ長い胴体が着いたような怪物だということはよくわかった。


 (海蛇……海竜、シーサーペントってところか……!)


 ダンはようやく相手の正体を把握したあと、どう対応すべきか考える。


 このまま逃げて巻いてしまう。それも確かに有りだろう。


 しかしそれだと逃げたあとに、怪物がダンを追いかけて海岸線に出没する可能性がある。


 ここは陸から十キロほどの近海である。


 60ノットで泳ぐこの怪物なら、簡単に陸地までたどり着くことが出来るだろう。


 そして危険に晒されるのは、ダンではなく子供たちである。


 それだけは、看過することが出来なかった。


 (お前という偉大な生命には敬意を表するが……悪いがここで死んでもらうぞ!)


 「ボォォォォォォォォ……」


 迫りくる巨大な口目掛けて、ダンは背中の大口径の銃を正面に構える。


 そして薄暗い海の底で、声も光もない、誰にも知られることのない怪物との戦いが始まった。

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