第70話 海洋冒険記
『――海洋上に着水、海水の精製を開始。高純度食塩水を生成後、水酸化ナトリウムに電解するまで約40時間の滞在を必要とします』
洋上に船を設置後、ノアはそのアナウンスの声と同時に、船内の機能を使って海水の精製を開始する。
海水を吸い上げる大型ポンプの音を聞きながら、ダンは言った。
「ノア、今から君の護衛用アンドロイドを出動させることは可能か?」
『可能です。しかし、護衛用アンドロイド艤装はエネルギー効率が悪く、消費電力も多大なものとなります。極めて重要度の高い事態の時以外は使用を推奨しません』
ダンの言葉に、ノアは淡々とした口調で指摘する。
「子供たちの安全のためだから重要度は最優先で問題ない。……実はこれから私は、周辺環境の調査に赴こうと思っている。近くに危険生物がいないか、毒性のものがないかも確認しないといけないからね。その間、君に子供たちの護衛を依頼したい」
『了解しました。護衛用アンドロイド艤装の出動を承認します』
そうノアが答えるや否や、船の兵器庫の扉が開き、中から充電装置に換装された銀髪の少女型のアンドロイドが、パチリと機械的に目を見開く。
そして充電装置のガラスが開くと同時に、ノアが起き上がり、ダンの方に近付いて敬礼した。
「準備完了致しました」
「ああ、私も一旦外に出よう。君のことを紹介しなければならないからね」
ダンはそう言ったあと、ノアを伴って船外に出る。
海岸で遊んでいる子供たちを一旦集めて、目の前に整列したのを確認したあと言った。
「……よし、皆紹介しよう! 中には知っている者もいるとは思うが、彼女は私の部下であり相棒の"ノア"だ。私はこれから少しの間ここを留守にするが、その間皆のことは彼女が守ってくれることになった」
「皆様の護衛を務めます。ノアと申します。よろしくお願い致します」
「…………!」
無表情のままピシッと敬礼をするノアに、何故かフレキやラージャが顔を真っ赤にして若干前屈みになる。
ノアの造形はある一人の博士のフェチを極限まで詰め込んだ美しい顔をしており、グラマラスでぴっちりとしたボディスーツに身を包んでいる。
年頃の男子が反応してしまうのは致し方ない部分があった。
「……ダンはどこにいくの?」
リラがそう尋ねる。
「周辺の環境の調査だ。何か毒性の生き物や肉食の危険生物が近くにいないか、急に潮の変わる場所がないか調べる必要がある。日没前には戻ってくるさ」
ダンはそう答えたあと、パン、と手を叩いて続けた。
「さて……それは置いといて、これから皆にはあるミッションを遂行してもらう」
「ミッション?」
シャットの言葉に、ダンは頷く。
「ミッションというのは即ち任務、仕事のことだ。これから皆には、この付近の食べられるものを集めて来てほしい! もちろん足りない分は船の食料庫から出すが、皆で集めたものを一緒に食べたほうが美味しく感じるだろう?」
「……! なるほど、食料収集の腕の見せ所ってわけね!」
シャットがやる気になったのか、鼻息荒く袖を捲る。
「その通りだ! やる気になってくれて嬉しいよ。よってシャットとバズくんの二人は、一緒に密林側に入って食べられる茸を集めたり、可能なら獣を狩ってきてもらおうか。君たちが一番危険だからな。くれぐれもノアの指示には絶対従って欲しい」
「分かった!」
「……狩りに使う、槍とか弓に関してはどうするんですか?」
バズが疑問に思ったのか、そう口にする。
「それに関してはこちらから支給しよう。ちょうど船の武装の中に適したものがある。ちゃんとこの辺りで使い方の練習をしてから行ってくれよ?」
「分かりました!」
バズはそう意気込んで頷く。
子供たちに武器を持たせて狩りをさせるなど、地球では考えられない危険な行いだが、この魔性の森では既にこのぐらいの歳から日常的に弓を扱って、狩りを行っている。
ノアが監督している以上はそう滅多なことは起こらないと判断した。
「カイラとリラに関しては、この海岸線で食べれられる貝や木の実を集めて来てほしい。これに関してはフレキ先生が引率してくれる。無理はせず、決して危ないところには近付かないように、いいね?」
「はい、ダン様!」
「分かった……」
「お、お任せ下さい!」
最年少の二人に関しては一番安全なところに配置した。
まだ頼りないとは言え一応大人であるフレキが付いている。それに幼いとは言えしっかりして賢い二人の引率だし問題は起きないだろう。
「……ラージャくんは釣りはやったことがあるかな?」
「あ、は、はい! 以前に何度か」
突然尋ねられ、ラージャは緊張した声で答える。
「ならラージャとバトゥには釣りを担当してもらおうか。私が自分で使おうと思って作った釣り竿があるんだが……正直言って釣果はあまり期待してない。今日一日のんびり安全に釣りを楽しんで来てくれればそれで良いさ」
ダンはそう言ったあと、船からグラスロッドとカーボンロッドの釣り竿を持って、二本取り出してくる。
グラスファイバーやカーボンファイバーに関しては、船の装甲に使っている素材の為、3Dプリンターで簡単に加工することが出来る。
しかし釣り竿を作るための機能ではないので、それほど精密に作っている訳ではない。性能は推して知るべしといったところだ。
しかしそれでも木材を削り出して作ったものとは性能は段違いなので、ラージャは目を輝かせながら釣り竿を受け取った。
「すっげえ……軽くてこんな
「…………!」
二人してビュンビュンと竿を振りながら、楽しそうに性能を確かめる二人に我慢できなくなったのか、シャットがしびれを切らしたかのように言う。
「ちょ、ちょっと、ダン! あたしたちにも道具を渡してよっ!」
「分かった分かった」
そう言うと、ダンは釣り竿と一緒に持ってきた、
「……なんなの、それ? 変な弓ね」
両端に車輪が着いたような奇妙な形をした弓を、シャットは怪訝な顔で見やる。
「ははは! まあそう言わずに見ていてくれ。あの木を狙うぞ」
ダンはそう言うと、子供たちを退けて、海岸線にある一本の太い木に狙いを付けて弓を引き絞る。
ダンの持つ
――しかし、やはり軍事用であり、現地人が使うただの弓とは精度も威力も桁違いであった。
ズドン!
と言う凄まじい音とともに、ダンが狙いを付けていた木の幹が破裂する。
固いヤシの木の腹に大穴を開けて貫通し、ビィン、と音を立てて向こう側のヤシの木に矢が深々と突き立っていた。
「……すっ、凄い威力じゃないの! ほ、本当に弓なのそれ!?」
「ああ、だから絶対に誰かに向けるなよ? 子供でも大型の猛獣を狩れる代物だが、こんなもので人を射ったら即死する。これを遊びに扱った時点で、ノアにはすぐに弓を回収して帰還するよう頼んである。武器を手にしてふざけるようなことは決してするな」
「わ、分かった……!」
いつもとは違うダンの強い口調に、シャットは緊張した面持ちで弓を受け取る。
「バズくんにはこれを渡そう」
「え?」
そう言ってダンが懐から取り出したのは、刃渡り15センチほどのナイフであった。
「これは"高周波振動ナイフ"と言ってね。あれより少し小型だが、私が飛竜の頭を叩き落としたのと同じものだ。見ていなさい」
ダンはそう言うと、近くに転がっていた丸い出来るだけ硬そうな小石を拾う。
そして、それを逆さに向けたナイフの刃の上にポトリと落とした。
その瞬間――
「!?」
チュン、と擦れるような音と同時に、石が自重だけで綺麗に半分に割れる。
「ほら」
ダンが割れた石を拾って切断面を見せると、そこには――まるで鏡面のように綺麗に切り落とされた、石の断面が残されていた。
「すっげ……」
「一応これに関しては人の皮膚を傷付けないよう
「は、はい……!」
その言葉に、バズはおっかなびっくりながらもナイフを受け取る。
「リラとカイラに関しては何か手袋と挟む物を渡してあげよう。採取のカゴや重いものはフレキくんに持ってもらえばいい。ゆっくり休憩したりおしゃべりしながらでいいから、無理しないようにね」
「ん、分かった……」
「分かりました!」
リラはいつも通り、カイラは目を輝かせながら気合十分に頷く。
全員の割り振りが終わったあと、ダンは改めて言った。
「それじゃあ、皆で豪華な夕食になるよう頑張ろう! 途中で喉が渇いたりしたら、船の中のものは自由に飲んだり食べたりしても構わない。くれぐれも遅くならず、日没前までにこの場所に帰ってくるように!」
「はーい!」
そう声を揃えると共に、子供たちは散って、各々の割り振られたミッションに取り掛かっていく。
ダンはそれを見送りながら、ノアに「頼んだぞ」とだけ伝えたあと、自身も近海の調査に乗り出した。
* * *
この星の海は、工場排水や化学物質などで汚染されていないため、海水は非常に透き通って見晴らしがよかった。
ダンは生態系豊かなサンゴ礁の海の中をSACスーツを着込んで、背負ったジェットスクリューを高速回転させながら、およそ60ノットで海底を進んでいく。
本来なら酸素ボンベの浮力が邪魔して海中でここまで高速で動くことは出来ないが、体の大半が機械のダンは呼吸すら必須ではない。
故に装備にボンベはなく、泳ぎの本職ですらある魚すらもぶっちぎって、海中を我が物顔で泳ぎ回っていた。
(この辺りは随分と大きな魚が多いな……。ここから二、三匹持って帰ったらそれだけで食事は事足りそうだが)
地球で見た、ハタやイシダイ、カサゴといったような馴染みのある魚が、ここでは山のように多く生息している。
それも、酸素濃度か海水温の影響か、地球で見たものよりどれも一・五倍は大きく、大物ばかりが泳いでいる。
まさに漁師にとっては楽園とも言える場所だったが、百メートル以上の深海を進むに連れ、更にダンを驚かせる生物が姿を表す。
(これは……"オパビニア"じゃないか!? 地球ではもはや化石だけの存在でしかないぞ!)
目の前を悠々と泳ぐ、口からホースのノズルのようなものを生やした奇っ怪なエビを見て、ダンは驚愕のあまり固まる。
バージェス動物群と呼ばれる独特な形状をしたカンブリア紀の生き物たち。
現在は一部の地域に少しだけ化石が採掘されるも、かつては全海域を支配していたとされる古代の海洋生物である。
中でもラディオドンタ類と呼ばれる生物は全ての生物がエビ・カニのような甲殻を持つ節足動物で、中には二メートルを超す巨大な個体も存在する。
それらはかつては図鑑上の伝説に過ぎなかったが、オパビニアがいるなら十分生存している可能性はあった。
まさかこんな所で古生物学の大スターに出会うとは思わず、ダンの口から変な笑いが漏れる。
(新生物と古生物が共存する、まさに生き物の楽園だな……こんなものがいるのなら、どこかにハルキゲニアやアノマロカリスもいるかも知れんが……)
ダンは知的好奇心に駆られ、思わず探しに出そうになるも、今は子供たちの安全確認の優先だと理性を取り戻し、海洋探査を続行した。
――
ラディオドンタ類……地球の五億年前から存在した巨大な甲殻類の総称
10ノット=時速約18.5キロメートル
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