第69話 臨海学校へ


 「このまま目的地の海に向かわれるんですか?」


 ダンが操縦席に座る傍ら、フレキがそう尋ねる。


 子供たちは既に寝床の確保に向かったのだろう。今コックピットにいるのは二人だけだった。


 「いや、実はもう一か所だけ回る場所がある」


 「どこですかそれは?」


 「緑鬼オーク族の郷だ」


 「え゛っ!?」


 ダンの言葉に、フレキは露骨に嫌そうな声を上げる。


 人間たちに亜人と蔑まれる森の異種族の中でも、更に嫌厭されているのが緑鬼オーク族である。


 彼らは見た目が醜く不潔であり、独特な体臭を放つことで知られている。


 また人間や獣人ライカンなどの異種族と交配して数を増やすという嘘か本当か分からない話もあり、森の住人たちの中でもひどく警戒されていた。


 しかしダンはドルゴスの実直で裏表のない人柄を気に入っており、どうにかその立場の改善をしてやりたいと思っていたのだ。


 「なんだ? なにか言いたいことでもあるのか?」


 「い、いえ、ただ緑鬼オーク族といえば、見境なく他種族を襲ったり、女性を攫って孕ませたりして、非常に野蛮な種族と聞きましたので、大丈夫かな、と……」


 フレキの口から出たのは、一部を除いて、魔性の森の住人たちがほぼ共通して持っている認識だった。


 ダンははあ、とため息を付きながら言う。


 「昔がどうだったかは知らんが……今はそれはただの噂だ。一応、私も確かめる為に緑鬼オークの郷まで偵察を飛ばして身辺調査も行っている。囚われている女性もいなければ、彼らに襲われた他の種族もいない」


 ダンは更に続ける。


 「それどころか、前の戦いで労役奴隷として囚われていた君たちを助けたのは有角タウロ族と緑鬼オーク族だぞ? 何も心配する必要はない。彼らは"いい奴"だ」


 「そ、そうですか。首領様がそう仰るのでしたら……」


 その言葉にフレキは大人しく引き下がるも、その顔から不安が消えることはなかった。


 実際に助けたのは有角タウロ族だが、間接的に助けてもらったことは覚えているのだろう。


 こうした小さな積み重ねで、彼らに対する偏見を取り除いていく必要があった。


 『目的地到達まで残り三十秒です。着陸態勢に移行します』


 「おっと、着いたな。それじゃあ早速降りる準備をしようか」


 「あっ、ダン様! 私も参ります!」


 そうダンに駆け寄ってきたのは、先程まで姉妹二人と同じ部屋ではしゃいでいたカイラであった。


 「おや? カイラは緑鬼オーク族の郷に興味があるのかい?」


 ダンはそう尋ねる。


 「あ、いえ! 前の会議の時に、ロクジ様とはぐれて困っていた私に、族長のドルゴス様にすごく親切にして頂きまして……。その時のお礼を言いたかったんです」


 カイラは恥ずかしそうにはにかみながら答える。


 「なるほど。なら一緒に行こうか」


 「ちょっとカイラ! あたしたちを置いて行かないでよ!」


 「ん……わたしたちも心配だから付いてく」


 そう言って、部屋から姉妹二人も出てくる。


 歳も近いことがあってすっかり仲良しになったのか、この三人は常に一緒に行動するようになっていた。


 「ラージャ兄、や、やっぱ俺怖えよ。緑鬼オークって俺らのこと殺して食べたりするんだろ?」


 「そ、そんな事するわけないだろ! いいから行くぞほら! 女衆が前に出てるのに、俺らが後ろで引っ込んでる訳にはいかないだろ!」


 そして姉妹のみならず、ラージャとバズの二人も部屋から出てくる。


 恐らくその原動力は、緑鬼オークに対する親しみではなく、子供らしい怖いもの見たさや知的好奇心によるものだろう。


 しかし形はどうあれ、案外そうやって相手を理解しようとする姿勢こそが偏見を取り払うことに繋がるのだ。


 「よし、それなら皆で行こう。ノア、ハッチを開けてくれるか?」


 『了解しました』


 ダンの命令と同時に、船のハッチが開き、外の光が差し込んでくる。


 途端、緑鬼オークの持つ独特な刺激臭のような体臭が微かに漂っている。


 しかし見るとそこには――意外にもしっかりとした石造りの建物が整然と立ち並び、周囲を花畑で囲われた、なんともメルヘンな光景が広がっていた。


 ダンは事前に見ていたのでその様子を知っていたが、他の者たちは意表を突かれたらしく、キョトンとした顔で固まっていた。


 そんな中を、一族の者たちを背後に控えて、ドルゴスがドスドスと足音を立てて近付いてくる。


 「神サマ!」


 「やあ、ドルゴスくん」


 そう言うや否や、ドルゴスはダンの両手を取って、ぶんぶんと上下に振りながら厳つい顔をほころばせる。

 

 「来テクレテ、嬉シイ! 神サマ、郷ノ景色、見セタカッタ!」


 そう言ってドルゴスは郷の風景を片手で指し示す。

 

 その釣り上がった鼻と下顎の牙、岩のようにゴツゴツした顔は確かに人間基準では醜いのかも知れない。しかしその笑顔からはドルゴスの純朴さが現れていた。


 「ああ、実に素晴らしい。とても綺麗な街並みだ。花も綺麗でよく景観も良く考えられてる。これは全て君たちが作り上げたものかい?」


 「厶……作ッタノハ我ラ! デモ花ノ種、有角タウロ族クレタ! 最初少シダッタノ、イッパイ増ヤシタ!」


 郷を褒められて、ドルゴスはご満悦に語る。


 「何よ、あたしたちよりいいとこ住んでんじゃない!」


 「負けた気分……これに比べれば、わたしたちが前に住んでいたところはゴミ……」


 そう西の郷出身の二人は打ちひしがれる。


 恐らくは郷に立ち並んでいたツリーハウスを言っているのだろう。


 あれはあれでダンは趣があって好きだったが、実際に住むとなるとかなり面倒なのだろう。


 しかしそれと比べずとも緑鬼オーク族の建築技術は素晴らしいものがあった。


 「大したものだなドルゴスくん。前の戦いの活躍も見ていたが、君たちには今後こっちの方面でも力を貸してもらうかもしれない」


 「厶! 神サマ役ニ立ツ! 頑張ル!」


 ダンの言葉にドルゴスは鼻息荒く意気込む。


 「ぜひこのままゆっくり緑鬼オークの郷の建築を見て回りたいところだが……今日は別件だ。私に預けたいという子供はどこかな?」


 「ム、ソウダッタ! 連レテクル!」


 ドルゴスはそう答えると、ドスドスと足音を鳴らしてその場から一旦離れる。


 ――そして、再び帰ってきた時に、ある一人の子供を連れてきた。


 それは緑鬼オークのように緑の肌でありながら、人間の少年ような見た目をしており、ドルゴスに付き添われながらトボトボとこちらに歩いてきていた。


 そして、ダンの前に。


 「コノ子、名前"バトゥ"! オレノ、甥。半分、人間ノ血、入ッテル」


 「……! どういうことだ?」


 衝撃的な事実を告げられ、ダンは思わずそう尋ねる。


 まさかとは思うが人間を攫ってきて、という可能性が頭に過ったが、身辺調査もしっかりしているし、ドルゴスが長を務める郷に限ってそれはないと思い直した。


 「緑鬼オーク、ゴ先祖、人間ノ血混ジッテル。稀ニ取リ替エ子チェンジリング生マレル。コノ子、半緑鬼ハーフオーク


 「……!? 違う! 俺は立派な緑鬼オークだ! 人間の血なんか混じってないっ!」


 ドルゴスの紹介に、そのバトゥという少年は強く否定する。


 バトゥは下顎の牙が他の緑鬼オークよりもだいぶ短く、それ故に言葉は流暢に話すことが出来ている。


 しかし、人間に似た見た目であることに強いコンプレックスを抱いているのか、半緑鬼ハーフオークと呼ばれると怒りを露わにしていた。


 「困ッタ、コノ子、スグ怒ル。緑鬼オークノ郷、ミンナ家族。半緑鬼ハーフオークモ一緒。……デモバトゥ、他ノ子トヨク喧嘩スル、子供タチ怖ガル」


 「…………」


 ドルゴスの言葉に、バトゥはムスッとしながら顔を逸らす。


 要約すると、このバトゥという少年はかなり喧嘩っ早く、他の緑鬼オークの子供を怖がらせているそうだ。


 どうやら中々の問題児らしい。


 「なぜ、私にこの子を預けようと思ったんだ?」


 「バトゥ、郷ノ子供ニ友達イナイ。デモ、他ノ種族ノ子ナラ、友達デキル、カモ」


 ドルゴスはそう心配そうな顔で言う。


 ダンはなるほどと理解したあと、改めてバトゥに目線を合わせて問いかける。


 「私たちと一緒に行くかい?」


 「…………」


 バトゥはジトッとダンの方を見たまま何も言わない。


 歳はシャットと同じくらいだろうか。


 上手くすれば友達になれるかも知れないが、生まれからかなかなか気難しそうな印象を受ける。


 「ちょっとあんた! ダンが聞いてんでしょ! 何か返事くらい出来ないの!?」


 「……うるさい、バカ女」


 「なんですって!?」


 その言葉にシャットが怒って飛び掛かろうとするのを、ダンが慌てて割って入った。


 「まあまあシャット、少し落ち着いてくれ!」


 「そう……事実を言われたからって怒っちゃダメ」


 「あんたはあんたで何なのよっ!」


 どさくさに紛れて馬鹿にしてくる妹に矛先を向けながら、シャットはどうにか怒りを鎮める。


 ダンはドルゴスの方を向き合って言った。


 「分かった。二日間この子を引き取ろう。皆と一緒に過ごすことで何か感じることがあるかも知れない」


 「……!? 嬉シイ! 神サマ一緒、コレデ寂シクナイ! ヨカッタナ!」


 「…………」


 心から喜ぶドルゴスの横で、バトゥは憮然とした表情で目を背ける。


 どうやらドルゴスは、ダンに任せておけば万事うまくいくとでも思っているらしい。


 しかしダンとて全知全能ではない以上、出来ないことだってある。


 特に他者の心を変えるなど、力があってもそう簡単にいくことではない。


 それでも学校の創立を目指す以上、孤立した子供は絶対に見捨てるべきではないと考え、ダンは半緑鬼ハーフオークの少年を受け入れることにした。



 * * *



 予定の人数が揃ったことで、ダンはすぐさま目的地の海へと進路を取った。


 声を掛けたのはほんの一部の種族だけだった。あまり大人数になって管理が行き届かなくなり、子供たちが怪我や事故に遭ったりするのを避けるためだ。


 既に船は魔性の森の最南端にある海沿いの海岸にたどり着いている。


 飛行限界は冷却時間を考えて一日三十分が限度だが、魔性の森全体ならその程度でも十分カバーできた。


 そして今――ハッチの前で待機する子供たちは、それぞれがダンから支給された船内着ボディスーツを着こんで、外に出る瞬間を今か今かと待ち構えていた。


 船内着ボディスーツは基本男女兼用のフリーサイズであり、ウェットスーツのようなぴっちりとした生地で、水中でも問題なく使用出来た。


 また全身を覆っているために、毒クラゲやウミヘビなどに刺されるリスクも軽減できる。


 それでも危険が絶えないのが海という場所だった。しかも、ここは地球と違ってどんな危険生物がいるかも把握していない異界の海である。


 最大限目を光らせなければならない。


 「海には危ない生き物もたくさんいる。周りの大人の言うことをちゃんと聞いて、絶対に勝手に一人で行動するんじゃないぞ?」


 「「はーい!」」


 「…………」


 外に出る前に、ダンはそう念入りに皆に言い聞かせる。


 約一名バトゥだけがムスッとした顔で無言だったが、他の子供たちは概ね返事をしてくれた。


 それはひとまず置いておいて、ダンは年長組のラージャに声を掛ける。


 「ラージャくんはしっかりしてそうだから……下の子たちの面倒も見てやってくれるか? 私やフレキ先生だけでは目が行き届かないこともある。頼りにしているぞ」


 「……!? 分かりました!」


 一人前扱いされたことが嬉しいのか、ラージャはやる気に満ち溢れた顔で返事をする。


 「フレキ先生、初めてのことで慣れないかもしれないが、いざ何か起きた時は私が対処する。あまり気負わずに、気軽に将来生徒となる子供たちの相手をやってみたらいい」


 「は、はい! 教師として初仕事なんで、頑張ります……!」


 言った矢先にガチガチになっているフレキに苦笑を漏らしつつも、ダンはやる気があるならいいかと思い直した。


 「――それじゃあ、皆楽しもう! くれぐれも怪我をしないように!」


 「おおおお!」


 「…………!」


 そう言ってダンがハッチを開けた瞬間――子供たちの歓声が上がる。


 普段森に引きこもっている異種族のほとんどが、海というものを初めて見る。


 そんな子供たちの目に映る、透き通るような青空と砂浜、そして水平線の向こう側まで延々と続く大海原。


 どうやら魔性の森の南側は外洋らしく、遥か彼方まで島影の一つすらも見えなかった。


 「……あたしが一番乗りよ!」


 「あっ、ずりいぞシャット!」


 我慢できずに我先にと駆け出すシャットに、バズが遅れて追いかける。


 「わたしたちはゆっくり行こうね、カイラちゃん」


 「うん!」


 そう言って、リラとカイラの二人は仲よく手を繋ぎながら砂浜を素足で歩いていく。


 それぞれが遊ぶパートナーを見つけた中で、唯一バトゥだけが手持ち無沙汰でその場にしゃがみ込む。


 しかし、その時――


 「ほら、お前も行くぞ。遊びたいんだろ? 手繋いでやっから」


 ラージャがそれを見かねてか、手を差し述べる。

 

 「……ん」


 バトゥはしばらくそれを見て考え込んだあと、手を取って一緒に海へと向かっていった。


 


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