第17話 戦いの妙


 弾丸のように迫る拳を、ダンは高速化された思考の中でスローのように捉える。


 (思ったより速い! だが――)


 ダンは突き出された拳を手のひらで受け流したあと、返す右手でカウンターを合わせる。


 「!?」


 その瞬間――ラースも一瞬目を見開き、無理やり身体を捩ってその場から飛び退った。


 「てめえ……!」


 まさに猛獣のように低い体制を取りながら、ラースは怒りの眼差しをダンに向ける。


 その一瞬のやり取りを見て、観客からも盛大な歓声が上がる。


 「おい、見たか族長の今の拳! 速すぎて見えなかったぞ!」


 「ああ! 流石は族長だ! これじゃああの人間も手が出せまい!」


 「……いや、あの人間も大したもんだ。族長の突進を綺麗にいなして反撃まで合わせてきたんだ」


 そう目の越えた戦士たちの論評を他所に、ラースは少し焦っていた。


 (……くそっ、今のはかなり自信があったんだがな。こいつは想像以上にやべえぞ)


 そうラースは内心で歯噛みする。


 元々、飛竜を目の前であっさり仕留めた人間ということで、舐めている訳ではなかった。


 恐らくはそれなりの強者なのだろうと踏んでいた。


 だから、変に時間をかけて手の内を晒すより、初撃で終わらせてやろうと全力で飛び込んだのだ。


 今の自分が持てる最強最速の一撃――それがあっさり受け流されて、あまつさえ反撃まで合わされる始末。


 咄嗟に身を捩ってなんとか躱したが、あと半歩踏み込んでいれば今頃意識はないだろう。


 飛竜を倒したのは装備の力で、中身の人間自体にはそれほどの力はないとどこかで侮っていた。


 —―だが、実際はそうではないと今の一合だけで痛感させられた。


 先程は貧相と嘲ったダンの体が、今は一回り大きく見えるような気がした。


 (……ふむ、あの巨体で恐ろしいスピードだな。調和がないなどと言ったのは間違いかも知れん。あれが彼にとってはベストだったか)


 方やダンも、ラースの評価を上方修正する。


 ラースの見た目からは鈍重な筋肉ダルマを予想していたが、それに反して俊敏な動きが垣間見える。


 弾丸のような踏み込みの速さと、カウンターを受けてからの猫科の動物のような柔軟性。


 ナチュラルの地球人類よりかなり上の身体能力だと判断した。


 「ずぇああああッ!!」


 次の瞬間、ラースは咆哮を上げながらダンに襲いかかる。


 ばねの効く柔軟な体と、巌のような筋肉から繰り出される猛攻。


 一発でも受けたら意識を刈り取られるような一撃必殺の連打を、ダンは電子頭脳で軌道を計算しながら、最小限の動きで躱していく。


 (なんだ、コイツ……! なんで当たらねえ! 俺が打つ前から、予測して避けてやがるのか!?)


 (う〜ん、素晴らしい。スピード、パワー、柔軟性、フットワーク、どれを取っても人類のトップクラスだ。これに匹敵するのは、ヘヴィ級ボクサーのランカークラスくらいだろう。だが――)


 「パンチが正直すぎるな」


 ダンはそう呟いた瞬間、相手がパンチを引くのに合わせて懐に飛び込み、そのまま右拳でこめかみを打ち抜く。


 パァン、と水っぽい破裂音が響くと同時に、ラースの脳は左右に激しく揺さぶられた。


 「がっ…………!」


 「うおおおお!?」


 急に族長がよろめいて倒れたことで、周りの観衆からもどよめきがあがる。


 一部の戦士たち以外にはダンのパンチは見えておらず、一方的に押していたように見えたラースが、突然膝をついて倒れたからだ。


 「さて……すまないが誰か、声を出して十秒数えてくれないか?」


 「え?」


 ダンの言葉に郷の者たちから困惑した声が上がる。


 しかしその中から、一人の少女が歩み出た。


 先程までずっと、弱っている母親の世話をしていたリラである。


 「私がやる……十秒でいいの?」


 「ああ、十秒以内に立ちあがって、戦う姿勢を見せなければそのまま私の勝ち。戦う姿勢を見せられば、そのまま試合続行だ。――これがボクシングのルール。倒れている相手に追撃はしない、紳士のスポーツだ」


 ダンからそう説明を受けたシャットは、「分かった」と言ったあと、ゆっくりカウントを始める。


 「1……2……3……」


 「ぐっ……」


 その可愛らしい小さな声のカウントを聞きながら、ラースは言うことを聞かない自分の体に困惑していた。


 (何されたんだ、俺は……!? くそっ、イボシシに跳ねられたときと同じだ。世界が歪んでやがる……!)


 そうグニャグニャと曲がりくねった地面で無理やり踏ん張りながら、ラースは震える膝を叩いて無理やり立ち上がる。


 「5……6……7……」


 「どうだい? まだやれるかね」


 「当たり前だッ!」


 悠然としたダンの問いかけに、ラースは怒りを露わにしながらそう叫ぶ。


 (クソっ! 舐めやがって、人間が……次こそは……!)


 ラースはそう意気込みながら、構えを取る。


 カウントは9でギリギリ止まり、試合は続行となる。


 「……私から一つだけ助言しておこう。君の戦い方は余りにも直線的すぎる。素直で、工夫がなく、読みやす過ぎる。獣相手ならいざ知らず、知恵のある格上の戦士には通用しない」


 「黙れッ!!」


 ダンがそう言うや否や、ラースは怒りのあまり激昂して、右拳を構えながら突進する。


 「やれやれ……まだ分からないか。ならこれはどうだ?」


 ――そう言って、ダンは振り下ろされる相手の右拳に、自分の右ストレートを滑らせるように合わせる。


 「ごがッ!」


 途端、綺麗なクロスカウンターが顔面に入り、ラースはほんの数秒も立たぬ内に再び崩れ落ちる。


 「…………!?」


 既にワンサイドゲームになりつつある試合――他の者にとっては殴り合いに、観客たちはもはや言葉もなく見守る。


 「リラ、また数えてくれないか」


 「1……2……3……」


 そのリラのやる気のなさそうなカウントを背に、ダンはゆっくりラースの方に近付きながら言う。


 「これで分かったろう? 私には力押しは通じない。君がそのやり方を変えない限り、ただただ一方的に殴られるだけだ。それでは私も楽しくない」


 「ぐっ……!」


 ダンの指摘に、ラースはぐうの音も出ずに喉奥で唸る。


 今のだって、ラースの出せる全力の最高のパンチを出したつもりだった。


 しかしそれはあっさりと見切られ、その上自分の勢いを利用された反撃まで食らわされる始末。


 あれで当たらないのなら、もはや自分には何も手が残されていないも同然であった。


 (気に食わねえ……人間風情が、この俺を見下しやがって! 気に食わねえ、が……)


 ――強い。


 それだけは否定しようもない事実であった。


 防具や剣の力ではなく、ただそのままで恐ろしいほどに強い。


 自分のこれまでやってきた喧嘩が、お粗末な子供同士の遊びに見えるほどに、ダンの戦い方は高度に洗練されていた。


 ――そしてラースはダンに対して、戦士としてある一定の敬意を抱いた。


 戦いに生きる者として、強い者はただそれだけで尊敬の対象となる。


 特にダンの場合は、剣や魔法などを使わない単純な殴り合いという、誰が見ても分かりやすい強さを持っていたのがラースの心に響いた。


 (くそっ……力押しは通用しない、か)


 ラースはそう噛み締めるように脳裏に焼き付けたあと、ゆっくり立ち上がる。


 最初のパンチと違って、今のカウンターは余りにも綺麗にもらった為に、逆に頭が冴えていた。


 今ではすっきりと目が覚めたような気分で、ラースはダンに向き合っていた。


 「…………」


 「おや?」


 ダンも、ラースの雰囲気が変わったのを感じ取ったのか、拳を上げて少しだけ様子を見る。


 ラースはジリジリとすり足で間合いを詰めながら、相手の一挙一動を見逃すまいと目を凝らす。


 ダンもそれに付き合って、構えを取ったまま、じわじわと距離を詰めていく。


 「…………!」


 観客たちも、その緊張感を感じ取ったのか、じっと黙って経緯を見守る。


 ――そして、二人の間合いが重なろうとした、その時、


 「ダァッ!!」


 咆哮と同時に、ラースはダンの顔面目掛けて右拳を振り下ろす。


 ダンがそれを危なげ無く躱すと、ラースは二の矢とばかりに、今度は左のストレートを繰り出す。


 (ふむ……期待しすぎたかな? これじゃあさっきと変わりないな。さっさと左にカウンターを合わせて――)


 そうダンがとどめを刺そうとした次の瞬間、


 (……! 途中で軌道の予測が狂った!? フェイントか!)


 突如左ストレートをピタリと宙空で停止したあと、ラースは再度右拳を振り下ろす。


 すっかり左でカウンターを取るつもりだったダンは、体勢を崩してその拳をもろに受けた。


 「くッ!」


 しかし、そうやすやすとクリーンヒットは許さないダンは、後ろに飛び退りながら、腕を交差させてパンチをブロックした。


 「おおおお!」


 「ダン!」


 ラースのパンチを受けて派手に吹き飛ぶダンに、郷の戦士たちから盛大な歓声が湧き上がる。


 しかしダンは、心配そうな声を上げるシャットに、軽く手を上げてなんでもなさそうに応えた。

 

 「大丈夫だ。当たった瞬間に後ろに跳んで威力を殺したからね」


 「……ちぃっ、さっぱり手応えがなかったのはそういうことか。器用なこった」

 

 ダンの言葉に、ラースは悔しそうにそう歯噛みする。


 「ああ。……だが驚いたよ。まさかフェイントを混ぜてくるとはね。さっきまで力任せの突進しかしてこなかったのに、一体どういう風の吹き回しだ?」


 「別に……あんだけやられりゃ俺も学んだってことだ。勝つためには、これが一番いいやり方なんだろ?」


 そう投げ槍に言うラースに、ダンは笑みを深める。


 「――もちろんだとも。さあ、これで面白くなってきた。共に格闘の妙理を味わい尽くそうじゃないか」


 そう言って拳を構えるダンの顔には、先程までの理知的な雰囲気はなく、獣のように獰猛な笑みを浮かべていた。

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