第16話 饗宴の開幕
郷の中央の広場にて、大きな焚火を中心にぐるりと円で囲むような宴の席が設けられていた。
焚火のすぐそばには、ダンが
日は森の高い木々に阻まれて、地平線の向こうにその姿を隠しつつある。
宴を始めるには絶好の時刻であった。
「――皆の者、杯を持てッ!」
そうエリシャが号令をかけると、皆が一斉に立ち上がって杯を持って立ち上がる。
族長であるラースとその配下の戦士たちだけは、エリシャの号令を無視して憮然とした顔で宴席に座していた。
エリシャは、それにも構わず続ける。
「今宵は、ここにおられるダン殿のご厚意により、我らの郷に大量の食料が賄われることになった!」
「おお!」
皆目の前に盛られた串焼き肉の山を前にして、盛大な歓声を上げる。
普段は肉などそう口にすることもできず、食べても干し肉がほとんどな郷の者たちにとっては、血が滴る肉の串焼きなど、望むべくもないご馳走であった。
ライカン族の普段の食事は、密林の中で捕れるヤムイモやキャッサバによく似たイモ類と昆虫食がメインらしい。
そんな栄養状況でラースのような怪物じみた巨体が出来上がるのかと、話を聞いたダンは驚いた。
「今宵は備蓄など気にせず、皆好きなだけ飲んで食って、騒いで欲しい。そして今日は、我が郷に新たな友を迎える日でもある!」
「お、おう……」
その言葉には、里の者たちからも微妙な反応が返ってくる。
同じ宴席に座しているラースの手前、皆遠慮して声を上げ辛くなっていたからだ。
しかしその中で、リラとシャットだけは、盛大に歓声を上げて歓迎の意を示してくれていた。
「ダン殿は功績著しく、この中にも窮地を救われた者や、命を助けられた者もいることだろう。このような人物との交流は、我が郷にとっても大きな利益となる」
エリシャはそう声を上げたあと、手に持った杯を高く掲げる。
「願わくばこの友情が、この先永遠に続かんことを! 森の恵みに!」
「「森の恵みに!」」
エリシャの呼びかけに、郷の住人たちもそう声を合わせる。
「新たなる友に!」
「「新たなる友に!」」
そして、エリシャが一気に杯の中身を飲み干すと同時に、宴が始まった。
肉に食らいつき、皆からうっとりとした溜息や笑いが漏れ聞こえてくる中、エリシャは疲れた顔で席に座った。
「ふう……この歳で、宴の仕切りをするなど体に堪えますわい。歳はとるものではありませんな」
「お疲れ様です。息子さんである族長には任せたりはしないのですか?」
ダンは、エリシャを労いながらもそう尋ねる。
「本来ならば、そうです。宴や祭りごとの仕切りは、全て族長の仕事なのですが……今日の奴には任せられませぬ。私怨に狂って皆の前で妙なことを言い出しかねませんからな」
エリシャは、未だに仏頂面で酒を飲んでいる、ラースの方を見て溜息をつく。
「それはなんとも……ご苦労をおかけします。私のせいでもありますな」
「とんでもない! あれの躾を誤ったのはわしの責任です。まさかあそこまで無差別に憎悪を巻き散らかす愚か者だとは……こちらこそ、あやつの無礼をお許しください」
そう言って、二人は互いに頭を下げあう。
二人の正面から、シャットが木の大皿を持って、ダンの方に近付いてきていた。
「ねえ、調理場の皆から一番いい部位を貰ってきたのよ? 一緒に食べましょ!」
シャットはそう言って、肉の入った大皿を二人の前に置く。
(……シャットとも最初に比べて随分と仲良くなったなあ)
ダンはそう隔世の念を抱く。
実際には出会ってほんの一日ちょっとしか経ってないのだが、そう感じさせないくらいシャットのダンに対する態度は豹変していた。
最初のツンケンした態度はどこへやらで、今はことあるごとに後ろをついて回り、あれやこれやと手伝いをしてくれるようになっていた。
その様はまるで親に褒めてもらいたがる子供のようで、ダンは微笑ましくそれを見守っていた。
「ああ、ありがとうシャット。ここに座るといい」
「うん!」
そう言って、シャットはダンとエリシャの席の真ん中に腰掛ける。
「おやおや……シャットはもうすっかりダン殿に懐いてるみたいだねえ。郷の大人たちには、イタズラしたり生意気な態度ばっかりとってたのに」
エリシャはニヤニヤと笑いながら言う。
「ちょ、ちょっと大婆様! 余計なこと言わないでよ! あ、あたしは別に……そんなんじゃないから!」
シャットはそう真っ赤になりながら否定する。
「いやいや……わしは褒めてるんだよ。お前は見る目がある。ダン殿ほどの人物はそうはおらんからな。今のうちにしっかりお仕えして、その心、在り方をよく学びなさい」
「シャットは今のままでも十分いい子ですよ。今日も解体の手伝いをしてくれてとても助かりました」
「…………!」
ダンがシャットの頭を撫でると、一瞬尻尾をビクン、と跳ねさせて、全身を強張らせる。
しかし、文句を言ってくるでもなく、そのままなされるがまま受け入れていた。
「おいおい、あの悪ガキのシャットが、見てみろよあのしまりのない顔!」
「わはは! まるで子猫ちゃんじゃねえか!」
「よっぽどあの旦那のことがお気に入りなんだろうぜ! 俺らが同じことやれば手に噛みつかれらぁな」
「うるっさい! このダメ親父ども! あっちいけ!」
酒に酔ったままからかってくる郷の親父衆に、シャットは怒りながら杯を投げつける。
そのやり取りで宴席がドッと盛り上がり、場に和やかな空気が流れた、その時――
ガシャン!
という音ともに、宴席の真ん中に料理の大皿が蹴り出される。
その場がシン、と一気に静まり返り、全員が一斉に音の出所を見やる。
そこには――怒りで額に青筋を立てた族長、ラースが、足を突き出した姿勢のまま止まっていた。
「……なんだこれは?」
地の底から響いてくるような低い声で言う。
「宴席の場でテメーを叩き出せると意気込んで来てみりゃ、なんなんだ? 俺は一体いつまでこのママゴトに付き合わなければならねえ」
「……あーあ、食べ物は大事にするものだよ? 一生懸命作ってくれた人や、食材となった飛竜にも感謝を覚えるべきだ」
凄むラースを無視して、ダンは大皿からぶちまけられた料理を前に溜息をつく。
「おい」
もはや殺意すら込めて睨み付けるラースに、ため息混じりに立ち上がる。
「分かったよ。出来ればそのまま君が宴を楽しんでくれるなら、私はそれでも構わなかったがね」
ダンはそう言いながら、SACスーツの固定金具を外して、その場に脱ぎ落とす。
そして歩きながら、プチプチと軍服の上着のボタンまで外したあと、その場に脱ぎ捨てた。
武器や防具の類など持っていないと証明するため、わざわざ上半身の服を脱ぎ捨てて、両手を広げてダンはラースに歩み寄った。
「さて、やろうか」
「ふん、逃げずにそんな貧相な体で俺の前に立ったことだけは褒めてやる」
ラースは、ダンのことを高い位置から見下ろしながら、嘲笑うように言う。
「体の大きさや力強さが、そのまま戦闘力の差になるわけではないよ。もっとも私は、パワーもあるがね」
そう言って、ダンは「ふん!」、と二の腕に力を込める。
すると、強化手術によって施された人工筋肉がビキリと波打ち、血管代わりに通されたナノマシンチューブが皮膚の上に浮き上がる。
全身にシルバーブラッドが行き渡り、パンプアップすることで一度に出力できる身体能力の上限を引き上げたのだ。
その体は、ギリシャ彫刻というには少しばかり発達しすぎており、スピードを阻害しないギリギリまでの筋肉を搭載していた。
「確かな技術を活かすために筋肉の土台は必要不可欠だが、技術なき肉体に真の戦士の魂は宿らない」
「それは力の持てねえチビの戯言だ。圧倒的な力は、そんな小賢しい理屈全てぶっ潰しちまうもんさ」
そう言うと、ラースは着ていた毛皮の鎧をビリビリと腕力で破り捨て、ダンと同じく半裸になる。
その肉体は巌のように全てが大きく、太く、そして鋼のように硬かった。
体の所々に刻まれた深い傷の跡が、歴戦を思わせる、凄みを漂わせていた。
腕を振れば当然ダンよりパワーの最大出力は上だろう。
――しかしそれは、微細な動きを捨てた上でのものと、ダンには思えた。
「……君の体には調和がないな。こと戦闘においては、ただ筋肉があればいいというものではない」
「ぬかせ! そんな戯言は俺を倒してからにしてもらおう。……おい!」
ラースはそう言うと、観客たちに向かって声を荒げた。
「お前らの誰でもいい。誰か開始の合図を出せ!」
そう族長が命令すると、ざわつく人々の中から、エリシャがゆっくり歩み出た。
「わしがやろう。決闘の立会人は少しでも格が高いほうがよかろう」
「ババアか、いいだろう……。余計な御託はいらねえ。さっさと合図しやがれ」
そう戦意むき出しで拳を打ち付けるラースに、エリシャは溜息を付きながら両手を挙げた。
「それではこれより……ダン殿と、族長であるラースの決闘を始める!」
「おおおお!」
その宣言に住人たちからは、待ってましたとばかりに歓声が上がる。
「――ダン!」
それ混じって、背後から心配そうな声でそう名前を呼ぶシャットに、ダンは片手を振って応えた。
「森の主の名の下に、互いに敬意を払って戦うがよい。では、両者見合って……」
エリシャがそう言うや否や、ラースはまるで猛獣が狩りをするかのように低く構える。
ダンはそれに対して、体を半身に構えて拳を突きだした、ごくごくスタンダードな立技の構えを取る。
そして、次の瞬間――
「始め!」
「——だァッ!!」
エリシャが腕を交差させたと同時に、ラースが短い咆哮を上げて、弾丸のように地面を蹴って飛び出した。
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