第18話 男の戦い


 「ふんッ!!」


 「ぐっ!」


 ラースとダンの二人の攻防は、十分以上経っても未だに続いていた。


 しかし攻防とは言っても、ほとんどダンが一方的に殴っているような有様であった。


 ラースが一発手を出す間に、ダンは五発はクリーンヒットを入れている。


 付け焼き刃で多少駆け引きを覚えたばかりの素人では、百戦錬磨で訓練も積んでいるダンを捉えられるはずもなかった。


 それでも、不用意なカウンターを食らわなくなったのと、手を出した一発はダンのガードの上から殴れるようになったので、そこは大いなる進歩と言ってよかった。


 「どうした? 私の隙を待ってもそんなものが訪れることはないよ。仮に見つかったとしても、それは私が攻撃を誘うためにわざと見せているだけだ」


 「…………」


 亀のようにガードを固める相手に、ダンは隙間にショートアッパーをねじ込みながら言った。


 途端、ラースの顔が跳ね上がるが、それでもガードを解くことはなく、再び亀のように閉じこもってしまう。


 既に戦況は一方的であり、観衆たちからも悲痛なため息と、もうやめろと言ったような声も聞こえてくる。


 ――しかし、ダンはやめるつもりは一切なかった。


 何故なら、ラースの目はまだ戦意を失っていない。虎視眈々と獲物を狙う、捕食者の光を宿していたからだ。


 (……何を狙っている? カウンターか、あるいは別の奇襲的な何かか?)


 ダンはそう当たりを付けながら、また一発ガードの上から拳を叩きつける。


 それを理解した上で、真っ向からねじ伏せてこそ楽しめると、ダンはそう強気の結論を導き出した。


 「……よし、これ以上時間を取るのもなんだ。次で決めようじゃないか。私は今から君に連撃ラッシュを仕掛ける。君はそれに耐えながら、狙っている"何か"を私に実行すればいい。それで君が倒れる前に私を倒せたら、君の勝ちだ」


 「…………!」


 ダンはそう一方的に言い放ったあと、「いくよ」と言って構えを取る。


 途端、ラースは固く亀のようにガードの中に閉じこもるが、ダンはザッ、と軽く地面を蹴ったあと、再びその上から拳を叩きつける。


 「ぐおっ……!」


 その威力と速さは先程より一段階上がっており、ラースはダメージの蓄積した体で必死に歯を食いしばって耐える。


 そして、ダンは相手の急所を精密機械のように正確に叩きながら、ガードの上からでもじわじわとダメージを与えていく。


 (くそっ、バケモンが……まるで隙がねえ! だが、まだやりようはある……!)


 ラースは、防戦一方になりながらも、じっと機をうかがう。


 狙うは"相手の意識の外からの一撃"。


 ラースは経験則として、相手が全く気付かない、背後からの一撃のほうが意識を刈り取りやすいということを知っていた。


 そしてずっとその一発での、逆転の機会を伺っていたのだ。


 「シッ!!」


 ダンは、細かく刻むようにジャブを重ねたあと、まるで弓を引くように右拳を引き絞る。


 (――ここだ!)


 ラースはそう確信した。


 延々細かくパンチを打たれ続けて来た中で、ダンが珍しく見せた大振り。


 そこに合わせて、ラースはカウンターを取る体勢を延々と維持していたのだ。


 「終わりだッ!」


 そう叫ぶと同時に、ダンの右ストレートが放たれる。


 ラースは即座にガードを解いて、ダンのパンチに合わせて拳を突き出す。


 だが、


 「……言ったはずだ。私に隙はない。もしあるとすれば、それは攻撃を誘うためのブラフだと」


 そう絶望的な事実を突き付けて、ダンは即座に右ストレートを止めて、左へとスイッチする。


 無情な拳が、カウンターに失敗した無防備なラースの顔面を捉えようとしたその時――


 「うおおおッ!?」


 そう突如咆哮を上げて、ラースは無理やり攻撃をやめて身体を大きく仰け反らせる。


 この一撃を食らったら終わる! そう本能的に察知したラースは、身体が反射的に回避行動を取った。


 「おっ!?」


 まさか躱されると思っていなかったダンは、今度こそ左のカウンターをすかされる。


 「ぬああああッ!!」


 ――そして、スウェーバックした体勢のまま、ラースは無理やり身体を捻ってダンの顔面目掛けて拳を振り抜いた。


 「ぐっ!」


 「うおおおおおお!!」


 その拳がダンの顔面を打ち抜いた瞬間――郷の人々から盛大な歓声が湧き上がる。


 これまで、防戦一方だったラースが、初めて一矢報いたのだ。


 如何にダンが郷の恩人であろうと、自分たちの郷で最強の戦士が、一方的にやられっぱなしというのは流石に面白くなかった。


 郷の戦士たちに至っては、全員で剣を打ち鳴らしながら、喉が枯れるほどに叫んでいた。


 もしかしたらこのまま、勝てるのではないか、と楽観的な雰囲気が漂い始めたその時――


 「……今のは完全にしてやられたな」


 食らった体勢のまま動かなかったダンが、口元から流れ出る、銀色の血を親指で拭いながら言った。


 「この星に来て、攻撃を食らったのは初めてだ。まさかあんな体勢から打つとは。身体能力、戦闘センス、タフネス、どれを取っても一流の戦士だな」


 そう手放しでラースを称賛すると、ダンは何事もなかったように正面に向き直る。


 周りでは未だに熱狂的な歓声が響いているが、当のラースは頭は氷のように冷めきっていた。


 何故なら、ラースには今目の前にいるダンが、まるでドラゴンが大口を開けて待っているかのような、圧倒的な存在として映っていた。


 「君の力に敬意を表して、少しばかり本気を見せよう」


 ダンはそう言うと、首筋の皮膚の下にある見えない突起をカチ、と押し込み、"体のギア"を一つ上げる。


 ――途端、全身にシルバーブラッドを送る心臓部のポンプユニットが激しく鳴動し、ビキッ、と体皮の表面にナノマシンチューブが浮き出る。


 ダンの体の人工筋肉は、普段は普通の人間と同じ程度の、10パーセント〜30パーセントの範囲で出力が制限されている。


 何故なら出力をマックスで使うと、意図せずドアノブを握り潰したり、持っただけでティーカップの取っ手を折ったりと、日常生活に困難を生じてしまうからだ。


 しかしこと戦闘時においては、出力を30パーセント〜60パーセントの範囲まで引き上げることで、人間を越えた力を発揮することが出来る。


 首筋の突起は、そのギアを切り替えるスイッチであった。


 「何だってんだ、一体……?」


 不審な動きをするダンを前に、ラースは少し警戒を強める。


 ダンは、ぐるぐると腕を回して関節の可動域を広げたあと、改めて構える。


 「ここから先、私は人間ではなく"兵器"としてお相手しよう。――もっとも、そうなった以上は悪いがまともな勝負にはならないだろうがな」


 「なんだと……!?」


 その言葉を警戒して、ラースは再び防御の構えを取る。


 ダンの本当の実力というものが、ラースにはどの程度のものか分からない。


 しかし今の一撃で相手も同じ土俵にいる生き物であると分かった以上、どうにもならないことはないはずだ、とラースは淡い希望を抱く。


 ――そしてその認識は、完全な誤りとして粉々に叩き潰されることとなる。


 「いくぞ」


 ダンはそう言うと、ふわりとその場で軽くジャンプする。

 

 そして、地面の上に足を付けた、次の瞬間――


 ドンッ!!


 と爆発的な音を立てて、地面が破裂してめくれ上がる。


 ダンは加速して、走るのではなく、地面スレスレを弾丸のような速さで飛んでいく。


 「!?」


 ラースは慌てて回避しようとするも、時すでに遅く、ダンは20メートル近くあった距離をたったワンステップで圧縮し、わずか1メートルほどにまで迫っていた。


 (速――――――回避、できな――――! 防御、絶対無理!!)


 ダンの余りに想定外の速度に、ラースの思考も途切れ途切れでままならなくなる。




 『死』




 迫りくる相手の拳に、ラースは強烈なイメージを抱いた。


 高ぶった神経によって引き伸ばされた時間の中で、ラースの脳内ではこれまでの人生のあらゆる記憶が、怒濤のように思い起こされる。


 そしてまさに、死が眼前に迫ろうとした、その時――


 パァァァァン!


 と響く空気の破裂音が鳴り響き、ラースの意識は遥か彼方に弾き飛ばされた。


 

 * * *



 「おや? 伸びてしまったか」


 ぐったりと地面に倒れるラースを前にして、ダンはそう呟く。


 周囲には、激しく巻き上がった砂埃。


 宴席は静まり返り、何が起こったのかほとんどの者が声すら発しない。


 ダンが行ったのは、なんのことはない、ただの"寸止め"である。


 ダッシュしながらパンチを繰り出して、それを相手の鼻先でピタリと止める。


 ――ただそれだけで、ラースは簡単に失神してしまった。


 ダンのパンチは、ダッシュと合わせた初速で音の壁を超えており、それで生じた衝撃波(ソニックブーム)によって、周囲に猛烈な音と爆風を撒き散らした。


 それをわずか鼻先三センチで受けたラースが無事で済む訳はなく、三半規管と脳を衝撃波で揺さぶられ、手を触れずとも失神させられたのだ。


 「ラース!」


 土煙が晴れたあと、露わになった景色を見て、長老であるエリシャがラースに駆け寄る。


 それに続いて、配下の戦士たちも自らの上司の元に駆け寄った。


 「大丈夫ですよ。音に驚いて伸びているだけで、命に別状はありません」


 ダンがそう言うと、エリシャはラースの呼吸を確認して、ホッとしたように深く溜息をついた。


 「感謝致します。奴はダン殿のお怒りに触れて殺されてしまったかと……。そうされても文句を言えぬほどの無礼を働きましたからな」


 「とんでもない! そんなことしませんよ。それどころか……彼は素晴らしい戦いぶりを見せてくれました! 私は彼を戦士として尊敬します」


 そう掛け値なしに称賛する。


 実際これは本心からのものであり、電子頭脳によって相手の攻撃の軌道を計算、そして予測できるダンにとって、攻撃を受けること自体が非常に稀である。


 それをアナログな直感や戦闘センスだけで打ち破ったラースを、ダンは素直に褒め称えた。

 

 「そう言って頂けたら、愚息も多少は浮かばれるでしょう。……さあ、何やってるんだい! 宴を穢したこの愚か者をさっさと運び出すんだ! そこらに藁でも敷いて寝かせりゃいい!」


 エリシャがそう指示を出すと、戦士たちも不精不精ながらもそれに従う。


 リーダーであるラースが倒されると、流石に戦士たちも意気消沈したのか、ダンに敵意を向ける者はいなくなった。


 ――しかし、すっかり静かになった宴の広間に、一人の男が名乗りを上げた。


 「おっし! じゃあ次は俺の番だな! 戦士長のロンゾだ!」


 そう言って拳を打ち鳴らしながら出てくるのは、昼間はエリヤを助けたことで大層感謝してきたロンゾであった。


 「うん? 何を言っとるんだこの馬鹿は。もう殴り合いは終わりだよ! こっから先はただの宴だ!」


 なぜかやる気満々のロンゾに、エリシャは迷惑そうに言う。


 「そもそも、ロンゾさんが戦うのっておかしくない? うちのお母さんがダンに助けられた時は一緒に喜んでたじゃない!」


 「そう……おじさんもダンには感謝してたはず。戦う理由がない」


 シャットとリラの二人も、その不可解な行動に首を傾げる。


 「それはまあそうなんだけどよ……それとは別にして、戦ってみてえじゃねえか! だってこの旦那、めちゃくちゃ強えんだぞ? あの族長を子供扱いした圧倒的な力……あれを見て、自分がどこまでやれるか試してえと思わねえのか!?」


 ロンゾはそう他の戦士にも呼び掛けたあと、ダンにビシッと指を突きつける。


 「つー訳でよ、別に恨みもわだかまりもなんもねえけど、相手してもらうぜ! 後腐れのねえ気持ちのいい喧嘩しようや!」


 「……じゃ、じゃあ俺も!」


 「俺もやるぞ」


 「族長の雪辱を果たす!」


 そのロンゾの一方的な宣言に、郷の戦士たちからも次々と同調する者が現れる。


 ダンはそれを、くっく、と肩を震わせながら聞いていた。


 「いいとも、いくらでもお相手しよう。なんなら全員で掛かってくるがいい!」


 そうどこかの魔王のような事を言いながら、ダンは挑戦者たちを煽る。


 ダンは意外にもこういうノリが嫌いではなかった。


 堅苦しい軍属としてルールに縛られて生きていると、たまにはこうして羽目を外したくもなるものだ。


 士官学校に在籍していた時代にも、同期で集まっては馬鹿騒ぎをしては、寮母に叱られていたものだった。


 今のこの空気は、かつてのその時代を思い出して少し懐かしくなる。


 「いくぞ、おめーら! 人間に遅れを取るんじゃねーぞ! ライカンの戦士の力を思い知らせてやれ!」


 「「おおおおッ!」」


 「来い! 格の違いを見せてやろう」


 そう雄叫びを上げながら、男たちは裸でぶつかり合う。


 女性陣たちの冷めた視線を尻目に、むさ苦しい男どもの宴はその後一人を除いて全員が伸びるまで続けられた。

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