第109話 イナンナの試練
「それと……私のことはダンと名前で呼ぶように。イシュベールなどという畏まった名前では連携が取りづらい。そもそも名乗った覚えもないしな」
「は、はい! では、ダン様と……」
ひとしきり武装の使い方を説明したあと、ダンはそう告げた。
イーラはほんの少しだけ名前で呼べたことに嬉しそうにするも、不謹慎と思ったのか、すぐに笑みを引っ込めた。
「それと……先程はああ言ったが、はっきり言って君に戦力としての働きは期待していない。かと言って、囮や捨て石になれと命じるつもりもない。君に特に専念して欲しいことは、とにかく戦闘に参加はせずに生き残ることだ」
「それは……逃げ回れ、ということでしょうか?」
「そうだ、逃げ回れ。決して私やノアの射線上には入らず、敵の視界にも入るな。戦闘中は一度も攻撃に参加しなくても全く構わない」
「で、では、この武装は……」
イーラは、渡されたプラズマグレネードと、ナイフをギュッと胸元に抱える。
「それは君の身を守るための最低限の武装だ。君はあくまで予備戦力に過ぎない。私とノアが窮地に陥って、君しか動ける者がいない時に、一度だけ攻撃を許す。それ以外のときは絶対に余計なことはせず、逃げに徹しろ。いいな?」
「は、はい……!」
そう念入りに言い聞かされて、イーラは真剣な顔で頷く。
「よし……では行こう」
ダンがそう言って振り返ると、その先には広大なドーム型の室内と、その真ん中にポツンと佇む小さな石碑があった。
いつも通り、これを読むことで開戦の合図とみなされ、アヌンナキの兵器が出てくるのだろう。
「いつでも動けるように準備しておけ」
「…………!」
ダンがそうイーラに言うと、彼女は緊張した面持ちでゴクリとつばを飲み込んだあと、腰を低く構える。
そして、一行を代表してノアが石碑へと近付き、鈴の鳴るような透き通った声で、碑文を読み上げた。
―――――――――――――――――
彼の者の名はイナンナ
最も多くの愛を知るもの。
最も美しきもの。
金星の化身。
天の女主人。
あなたがその寵愛を求むるなら。
あなたがその叡智を求めるなら。
イナンナの前にその誠意を示せ。
―――――――――――――――――
「来るぞ!」
ダンがそう声を掛けると同時に、ドン! と床が激しく揺れる。
ゴゴゴ、と激しい地鳴りが続くと共に、ドーム型の室内の反対側にある壁が開く。
そしてその奥から、ドン、ドン! と一歩一歩を叩きつけるように踏みしめながら、漆黒の装甲に青白い光を纏った白銀の牡牛が現れた。
「ブオオオオォォォーーッ!!」
牡牛は体高だけで二十メートルはあり、全身が堅牢な装甲に覆われて鈍い光沢を放っている。
その角は天を突くように長く、顔面のアイ・カメラからは、無機物でありながら殺意の籠もった鋭い視線を覗かせていた。
「こ、こんな大きな怪物が……」
『止まるな! 走れッ!!』
その迫力に圧倒されるイーラの背中を叩いて正気に戻したあと、ダンはその反対側に飛ぶ。
「対象を固有名称"グガルアンナ"として登録――攻撃開始します」
ノアはそう淡々と述べながら、グガルアンナにミサイルランチャーの照準を合わせて引き金を引く。
「
その瞬間――小型のミサイルが蒸気の尾を引きながらグガルアンナに向かっていく。
そしてその先端が触れると同時に、瞬間的に摂氏1200℃に達する爆風が吹き荒れる。
『お前の相手はこっちだッ!』
ダンは続けて、爆風に飲まれたグガルアンナの顔面に向けて、ニードルガンの引き金を引く。
分速25000発という凄まじい速度で放たれる針を打ち込みながら、ダンはあわよくばこれで終わってくれと願う。
しかしその時――爆発で巻き上がった噴煙の向こうから、グガルアンナはダンに向かって突進してくる。
「ブオオオオォォォーーッ!!」
『くっ!』
ダンは咄嗟にジェットパックで飛び上がり、突進を躱す。
そして、互いの立ち位置が入れ替わるようにグガルアンナが壁に激突し、金属の壁がひしゃげて、部屋全体に衝突音が響き渡る。
見ると、ノアのミサイルランチャーの一撃は装甲の表面を少し溶かしただけで相手は原型のまま残っている。
ニードルガンに関しては、ほぼ無傷のまま弾き返されていた。
『一体どんな素材を使えばこんなに硬くできるんだ……!?』
ダンたちの使用している兵器は、どれも戦艦もへし折れるほどの重兵器である。
ニードルガンにしても、厚さ5ミリの鋼板を容易く撃ち抜く程度の威力は持っている。
少なくとも傷ぐらいは付かないとおかしいのだが、グガルアンナの装甲は貫ける兆しすら見えない。
高度な材料工学技術に感心すると同時に、その相手に立ち回らなければならない現状の困難さに舌を巻く。
(やるしかないな……)
ダンは覚悟を決めつつ、グガルアンナの装甲の穴を見つけるべくジェットパックで背後に回る。
――しかし次の瞬間、
「ブモ゙オオオオォォォッ!!」
雄叫びを上げると同時に、グガルアンナの体の下から百を超える小型の誘導ミサイルが大量に射出された。
『ぐっ……!?』
飛び道具を想定してはいたものの、ここまでの数とは思わず、ダンは動揺しつつも即座に反転して撃ち落とす。
いくつか撃ち漏らして、危うくイーラの元に向かうところだったが、それはノアがレーザーでカバーして事なきを得た。
そのまま機を伺いながら、ダンたちはグガルアンナと互いに睨み合う形となった
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