第74話 海の賢者


 「ダン!」


 海岸から上がってくるダンの姿を認め、リラとカイラの二人がホッとしたように近付いてくる。


 既に時刻は夕暮れに近く、水平線の直ぐ側まで日が落ちつつあった。


 「悪いな。少し遅れてしまった」


 ダンは、ヘルメットを収納して素顔で喋る。長らく中が半真空状態だったためか、開いた瞬間にプシュ、と音を立てて一気に空気が流れ込んできた。


 「ダン様がいない間に、海の様子が何かおかしかったんです! ヴォーーっ……て遠くからすっごい野太い音が聞こえてくるし、バシャーン! って急に水が吹き上がるし、赤い水がいっぱい流れてくるしで……」


 カイラが大袈裟な身振りを交えて、その時の海の様子を興奮気味に話す。


 「一体沖で何があったの?」


 勘の鋭いリラが、ジトッとした目でダンの仕業であること前提の問いを投げかけてくる。

 

 無暗に子供たちを怖がらせる必要もないので、ダンとしては上手くごまかすつもりだったが、その確信した様子に早々にあきらめた。


 「分かったよ……。実はちょっと沖合のほうで馬鹿みたいに大きな化け物と戦闘があってな。何とか倒したんだが、その時の余波でこっちにも多少影響があったみたいだな」


 「……化け物?」


 リラは怪訝な顔で聞き返す。


 「ああ、海蛇ウミヘビみたいな細長くてデカい奴だ。ここからあそこの岩くらいまではあったぞ」


 ダンは自分の立ち位置から、大体60メートル先ぐらいにある、海岸の岩礁を指さした。


 数字を盛っている訳ではなく、真っ二つになった体両方を見比べて軽く測量した結果、長さ約62メートル、頭の幅は約10メートルくらいと判明した。


 「あ、あんなところにまで体が届くほどの怪物がここにいるんですか!?」


 「海の中でそんな大きな怪物を倒すなんて……たぶん伝説の勇者でも無理。言ったのがダンじゃなきゃ、絶対信じてない」


 子供たち二人が、少し引いたように言う。


 「そこまで巨大な怪物はもうこの海域にはいないから大丈夫だ。ちゃんと最期の瞬間まで確認したしな。……それで、その怪物を倒したあとに海底で少し変わった異種族に出会ったんだ」


 「変わった異種族?」


 リラがそう聞き返す。


 「ああ、何か人間の形をした魚のような……それでいて目は真っ青で、不思議な雰囲気の人々だったな。敵意を持たれてる訳では無さそうだったが、そのまま海底の向こう側に姿を消してしまったよ」


 「……それ、もしかして海精アプカルル。普段海底に居て滅多に姿を現さない、耳長エルフよりも幻の種族」


 「というか、当たり前のように海の底に行った話をしてますけど、そこは誰もツッコまないんですね……」


 カイラが若干呆れたように言う。


 「空の向こう側から来たダンなら、それくらいは当たり前。カイラちゃんも慣れなきゃ」

 

 「まあ多少は手間取ったがね。それはいいとして……海精アプカルルとは何だ? 魔性の森に住む異種族の一種なのか?」


 改めてそう尋ねる。


 「違う……と、思う。正直海精アプカルルについては、わたしもおばあちゃんから少し聞いただけだから、ほとんど知らない。だけど、魚のような姿をした人で、目が海の色みたいに真っ青って言うのは合ってる。凄く賢い種族で、未来を見通す"予言"の力があるって言ってた」


 「予言の力、か……どうにも眉唾物だな」


 ダンが聞いたのは予言というより、クジラやイルカが使うエコーロケーションのような音だけだった。

 

 海の中だから話せなかったのかも知れないが、言葉を交わせれば少しは正体が分かるのだろうか?


 結局リラから聞いた情報も断片的なものでしかなく、謎が深まるばかりであった。


 「しゅ、首領様!」


 そんな中、離れた波打ち際で釣りをしていたラージャが、ダンの姿を認めて駆け寄ってくる。


 その顔は随分と焦った様子で、慌てて息を切らせていた。


 「た、大変なんです! バトゥが……なんかデカくて気持ち悪いのを釣り上げてて……」


 「なに?」


 ダンは興味を引かれて、ラージャの案内を受けてそちらに向かう。


 するとそこには――


 「た、助けて!」


 ワシャワシャと蠢く1メートル超の巨大な節足動物を釣り上げて、恐怖で顔を引きつらせるバトゥの姿があった。


 「ひええ!」


 「うっ、何それ気持ち悪い……」


 リラとカイラの二人は、真っ青な顔で慌てて後退る。


 「おお、"ウミサソリ"じゃないか! 凄いな、こんな岸辺に棲息している生き物だったのか!」


 そんな中、ダンだけは興奮気味に声を上げた。


 ウミサソリとは地球において、2億5000万年前まで存在していた大型の節足動物である。


 最大は2.5メートルまで巨大になる種もいるらしいが、少なくともこの近海では見かけることはなかった。


 「見てないで、は、早く助けてっ!」


 「おっとすまんすまん! どれ……」


 ダンはそう言うと、バトゥの釣り竿に掛かったウミサソリの背中を掴み上げて捕縛する。


 その右手のハサミには餌であろうイワシがガッツリ仕掛けごと挟まれており、それを外してやると、ウミサソリはあっさり釣り竿から離れた。


 どうやらザリガニ釣りと同じ要領で釣り上げたらしい。


 手の中でワシャワシャと動くウミサソリを見ながら、ダンはおお、と感心したような声を上げた。


 「……よくこんな大物を釣り上げられたなあ。40キロくらいあるぞ。竿が折れたりしなかったのか」


 「い、いえ、その、バトゥと二人がかりで、糸だけで岸まで手繰り寄せたんです。凄く重くて大変で、時間もかかりましたけど……」


 そう言って、ラージャが釣り糸が食い込んで真っ赤になった手を見せる。


 ダンの釣り竿に使っている糸は、鋼の二十倍の強度を持つカーボンナノチューブ製である。衛星軌道エレベーターにも使われている素材なので、たかが大きなカニを一匹釣り上げたくらいで切れるはずもない。


 しかし、自分が使うならともかく、子供が使う分にはある程度のところで切れたほうが安全かも知れない。


 「なるほど……次から同じようなことがあったら、迷わず竿なんか捨てても構わないぞ? 二人が引きずり込まれたりしたら大変だしな」


 「ダン! 帰ってきたわよ! ……って、うげ、なにそれ!?」


 シャットが帰ってきた途端、ダンが持っているウミサソリを見て青い顔で固まる。


 「これはラージャくんとバトゥが釣り上げた大物だ。ウミサソリと言って、エビやカニの仲間だ。かなり貴重な生き物だぞ?」


 「ね、ねえ、ダン、もしかしそれ、食べるの?」


 シャットが顔を引き攣らせながら尋ねる。


 「? なんだ、食べたいのか?」


 「い、嫌よ、そんなおぞましい生き物!」


 「シャットはイモムシとか甲虫とかは普通に食べてたじゃないか」


 「イモムシは美味しいし柔らかくて可愛いじゃない。でもそれはダメ! デカいし気持ち悪いしなんかゴチャゴチャしてるし、私は絶対無理!」


 シャットはそう断固として拒絶する。


 森の住人たちは、イモムシやセミのような昆虫を抵抗なく日常的にムシャムシャ食べている。


 狩りという安定しない食料源の中で、高タンパクな昆虫食は供給が安定している上に女子供でも採取可能だからだろう。


 ダンにとっては虫よりもエビ・カニの仲間であるウミサソリの方が若干衛生的にマシな印象を受けるのだが、現地人基準だとそうではないらしい。


 「まあアレルゲンがあるかもしれないからどちらにせよ食べるつもりはないがね。しかし……釣り上げたのはラージャくんたちだ。私の独断で勝手に逃がすのもな」


 「い、いえ、俺らもそれを持ち帰るのはちょっと……」


 「いらない……」


 どうやら喜んでいるのはダンだけらしく、他の子供たちは皆拒絶反応を起こしているらしい。


 頑張って釣り上げた二人にすら拒絶されて、ワシャワシャと蠢く哀れなウミサソリを、ダンはため息混じりにポイ、と海に投げ捨てた。


 「勿体ないな、地球ではもう見られない生き物なんだが……。それで、他に釣果はあったのか?」


 「は、はい。それほど大物じゃありませんが」


 そう言ってラージャが差し出した魚籠の中には、大小30センチほどの魚が六匹ほど入っていた。


 「おお、凄いじゃないか。一日でこの釣果なら大したものだ。ちゃんと人数分はあるしな」


 「四匹は俺ですけど、残り二匹はこいつが釣ったんです。釣りは初めてらしいんですけど上手ですよ」


 「…………ん」


 そう自分の功績を称えるラージャに、バトゥは照れくさそうに顔を逸らす。


 ラージャは年長者の兄貴分なだけに、下の子たちの面倒を見るのが非常に上手なようだ。既にバトゥにはある程度懐かれているように見えた。


 「二人ともよくやってくれた。これでメインの食材の一品は決まったようなものだ」


 「ねえ、ちょっとダン! あたしたちは!? あたしたちの成果も見てよ!」


 そうアピールするシャットに、ダンははいはい、と苦笑をこぼしながらそちらに視線を向ける。


 するとそこには――シャットの背丈と同じくらいの体高の大きなイノシシが、どっしりと砂浜に横たわっていた。


 その側頭部には見事に矢が突き立っており、一発で仕留めたようである。


 「ほう、デカいな! これが例の"イボシシ"というやつか?」


 ダンは尋ねる。


 イボシシとは、この魔性の森で狩られる獣の代名詞である。


 かなり数が多く、体が大きく肉も美味なため、魔性の森全体の胃袋を支える森の恵みとも言うべき存在だった。


 見た目は地球のイノシシとほぼ変わらないが、体毛が真っ白で額からコブのような大きなイボが生えており、それが名前の由来らしい。


 西の獣人ライカンではこれを一人で狩れる者が一人前の戦士として認められる基準となっていた。


 「そうよ! あたしがこの弓で仕留めたの! これであたしも一人前の戦士ってわけね!」


 「……ノアさんに狙い所から打つ瞬間まで全部指示してもらって、首領様の弓まで借りといて何が一人前だよ。一人の力じゃないからそんなの無効だろ」


 自慢げなシャットに、隣でバズが呆れたように言う。


 どうやら隣で無言で控えるノアは、ダンの窮地を察して魚雷で支援攻撃をする傍ら、ちゃんと子供たちの面倒も見ていたらしい。


 呆れたマルチタスクっぷりだが、ノアの演算能力ならその程度は容易くこなしてしまうのだろう。


 「あによ! あんたなんてちっちゃい獣ばっかり狩って満足してるくせに!」


 「何いってんだ! "カジリネズミ"は捕るの難しいんだぞ? それに食うとすげえ美味いんだ!」


 そう言ってバズが掲げたのは、"リス"であった。


 しかし、地球のものより一回りほど大きく、栄養が豊富な場所で育った故か、食いでがありそうな体つきをしていた。


 リスは樹上性の生き物で、普段は木の実の良質な油ばかり摂っているが故に、肉に臭みがなく非常に美味である。


 それが三匹。これなら十分にメインを張れる食材だろう。


 「ほう、これは美味そうだな。すばしっこいし、なかなか捕まえづらいだろうに、どうやって捕らえたんだ?」


 ダンは、バズに尻尾を掴まれて、ぶらりと逆さ吊りになったリスを見て尋ねる。


 ちゃんと血抜きもしているようで、首元からポタポタと血が垂れていた。


 「あ、投げナイフで仕留めたんだ。あの、俺、的あてとか得意だから……」


 「ということは私の高周波振動ナイフを投げて仕留めたのか?」


 「えっと、は、はい! その……凄い切れ味だったので、一発で刺さって便利だったから……不味かった、ですか?」


 バズは怒られると思ったのか、しどろもどろになりながら中途半端に混じった敬語で尋ねる。


 「いいや、その程度で壊れるような武器じゃないし、構わないよ。私には高周波振動ナイフを投げるという発想自体がなかった。それをすばしっこい生き物に投げて当てるだなんて素晴らしい腕だな」


 ダンが褒め称えると、バズはいやあ、と照れくさそうに頭を掻く。


 「ね、ねえ、あたしは!? あたしだって大物仕留めたのよ!?」


 「もちろん、シャットも凄いぞ。あんな大物なら、ここにいる皆だけじゃ食べ切れないくらいだ。よく頑張ったな」


 「えへへ……ま、まああたしに掛かればこんなもんよ!」


 シャットは褒められて、ご満悦に鼻をすする。


 「ちょ、ちょっと、置いてかないで……!」


 少し遅れて、フレキがいっぱいになった籠を背負って、重そうに歩いて来てくる。


 「フレキ先生、遅い……。大人のくせに体力ない」


 「頑張ってください先生!」


 リラの辛辣な言葉と、カイラの声援を受けてフレキはどうにかこちらにたどり着いた。


 「つ、疲れた……!」


 「ご苦労様、フレキ先生。二人も随分いっぱい集めたみたいだな。カゴがいっぱいじゃないか」


 「とりあえず食べられそうなものはいっぱい集めてきました! これなんかどうです?」


 そうカイラがカゴから出してきたのはヒトデであった。


 「あー……これは珍味ではあるんだが、あまり食いでがないやつだな。今回は海に帰してあげようか」


 「そうですかー……可愛いのに残念です」


 そう言ってカイラが残念そうに海岸にヒトデを放つ。


 可愛いと思ったものが食べられないのが残念、という感覚もよく分からないが、ひとまずツッコむのはやめておいた。


 「しかし、他のものはいいな。貝類と昆布か。これだけあればさぞやいい出汁が取れるだろう」


 「わたしとカイラちゃんでいっぱい取った」


 「取りすぎて持ち運ぶのが凄く大変でしたけどね……」


 誇らしげなリラを他所に、フレキがゲッソリした顔で言う。


 「二人ともえらいぞ」


 「はい!」


 「えへへ……」


 ダンはリラとカイラの二人を労ったあと、皆にこう言った。


 「皆今日はよく頑張った! 食料としては十分すぎるくらいの量が集まっただろう。これから船に戻って夕食にしよう」


 その言葉に、子供たちは一斉にはーい、と返事をしてパチパチと手を叩く。


 日中動き続けて腹も空いていたのだろう。それぞれが集めた食料を持ち運びながら、船の方に帰還した。


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