第52話 殴り込み

 半日の距離をわずか十分ほどであっという間に駆け抜けたあと、ノアは即座に着陸の体勢に入る。


 反重力装置で飛んでいるこの船には滑走路も必要ではなく、そのまま垂直に平らな地面に降り立った。


 プシュン、と音を立ててハッチが開くと、中から唖然とした顔のロクジとカイラが顔を出した。


 「なんとまあ、本当に着いてしまったのでございますか? 半日の距離をほんの一時に縮めてしまうとは……」


 「あ……ここ、郷の中心の広場です。誰一人気付いてませんね」


 『雨が降っているので皆家の中に入っているのでしょう。それにこの船はほとんど音がしませんので。面倒な騒ぎにならないのは幸いでした』


 そうSAC スーツを着こんだダンが、驚く二人の奥から姿を表した。


 残念ながら船内には傘などという宇宙空間に無用な物は置いてないので、雨避けになるものがこれしかなかったのだ。


 460℃の硫酸の雨が降る金星の環境にも耐えうるよう設計されたSAC スーツだが、この場においてはオーバースペックな雨合羽でしかなかった。


 『カイラ殿を除いて、最も地位の高い人物がいる場所はどこでしょう? その者と話をつける必要がありますね』


 「あっ、あの、それでしたら、あそこにある、集会所に全員集まっていると思います。基本どちらの勢力の偉い人たちも、雨の日は集まって口論していますので……」


 そう言ってカイラが指差した先には、広場の正面にある、ひときわ大きな門構えを持つ、日本家屋の屋敷があった。


 『あそこか……。よし、私が先に向かおう。二人は後ろから着いてくるように』


 「はい」


 「わ、分かりました」


 そうバラバラの返事を背中に聞きながら、ダンはバチャバチャと濡れた地面を駆け足で進んでいく。


 二人はダンと違って雨を凌ぐ道具を何も持っていないので、すぐさま門の軒下に駆け込んだ。


 「あ、あの、ここからは私が中に声をかけてみますので……」


 『ええ、お願いします』


 ダンがそう言って頷くと、カイラはすう、と息を吸い込んで、覚悟を決めたような表情でコンコン、と門を叩いた。


 「ごめん下さい。あ、あの、百鬼将のカイラです……」


 肩書きには断然そぐわない、なんとも頼りなさげな名乗りを上げると、中からドタドタとこちらに駆け寄る音が聞こえてくる。


 「……ああ?」


 そして、ギギ、と木が擦れる音と同時に、中から半纏のような服を羽織った、柄の悪い若者が顔を出した。


 その額からは長い一本角を生やしており、オーガ族なのは見て取れた。


 「おう、誰かと思えばお嬢じゃねえか! 随分遅かったな。中でもう若頭カシラたちがお待ちだぞ」


 そう長に対する態度とは思えない無礼な口調も、若者は気にする様子もなく続ける。


 「ご、ごめんなさい……」


 「あー、もういいからいいから。さっさと中に入れよ。こっちまで雨に濡れちまうだろうが」


 若者は、ちっ、と舌打ちをしながら、カイラの腕を乱暴に掴んで無理やり中に入れようとする。


 『――おい、それがお前たちの主人に対する態度か?』


 「……ああ?」


 さすがに見かねてダンが、若者の手首を掴んで押し留める。


 そこでようやく二人の存在を認めたのか、若者はダンに向かって凄む。


 「なんだテメェは……。おう、よく見りゃ獣人ライカンのジジイもいるじゃねえか。先代の舎弟だかなんだか知らねえが、ウチの郷のことはてめえには関係ねえって……ぐああああ! 離せコラァッ!」


 そう口上を述べている間にも、ダンは握る力をぐんぐん強めていく。


 ミシミシと骨が軋み、血の巡りが滞って手が鬱血していく。


 しまいには立っていられなくなり、痛みのあまり膝を着いたまま必死にダンの手を振りほどこうと必死に暴れまわる。

 

 「いぎぃぃぃぃッ! 離せッ! 離せクソがァ!!」


 しかし、びくともせずしまいには、若者の手は鬱血して赤黒く変色し始める。


 『ロクジもカイラ殿も種族の長であり、私の直属の部下だ。お前ごときが偉そうな口を利くのは私が許さん』


 「やべろぉ!! 潰れる! 潰れるってェッ!!」


 「しゅ、首領様! 可哀想ですから、どうかその辺りで……」


 流石に見かねたカイラが割って入る。


 『カイラ殿は本当にお優しいですね。こういう手合いは、一度体に徹底的に覚えこませてやった方が話が早いですよ?』


 そうは言いつつも、若者の手を投げ捨てるように手放す。


 「ひぃっ……ひっ……」


 『……おい、カイラ殿に感謝しろ。次にこの子にふざけた態度を取ったら、その右腕から先がなくなると思え』


 ダンが髪を掴みながらそう凄むと、若者はもう声もまともに出ないのか、涙目でコクコクと頷く。


 『では、行きましょうか』


 「は、はい……」


 「おおう……なんというかこう、首領様は随分、場馴れしておられるように感じますな」


 豹変したダンの雰囲気に圧倒されたのか、二人は若干戸惑いつつ言う。


 『若い頃はマフィアや過激派の鎮圧もやってたからな。ああいう下っ端に理性的な話し合いは時間の無駄だ。真似しても構わんぞ』


 「いやあ……オーガ相手にあそこまで凄めるのは首領様ぐらいでしょうな」


 『私にはさして他との違いが分からん』


 基本的にパワードギアで能力を底上げして戦っているダンには、相手の強さがあまりダイレクトに伝わってこない。


 要はまだSAC スーツの性能を脅かすほどの相手に出会えていないので、ダンの前では等しく普通の敵でしかなかった。


 門番を超えて屋敷の中に入ると、廊下の奥からガヤガヤと騒ぐような声が聞こえてくる。


 そして料理と酒を乗せた盆を持って、廊下をパタパタと忙しく駆け回る、女中のような者たちの姿もあった。


 「アヤメさん! カエデさん!」


 カイラがそれを見て、その女中たちに声をかける。


 「……お嬢! 帰ったのか!?」


 「まあ! こんなに濡れてしまって」


 その女中たちは、カイラの姿を見るや駆け寄り、濡れた顔を手拭いで丁寧に拭う。


 そのカエデとアヤメという女中は、双子なのか二人ともそっくりな顔をしている。


 しかし、片方が額の右から一本角を生やして、もう片方が左から一本角を生やしている。


 まるで鏡合わせのようななんとも不思議な見た目をしていた。


 しかしここに来てカイラがようやく笑顔を見せたところを見るに、どうやら彼女たちからはそれほど悪い扱いを受けてはいないようだった。


 「あの……そちらは? 片方はロクジ様なのは知っておりますが、手前の黒い方は……?」


 ダンのアイボリーブラック色の遮光ヘルメットを指して女中が言う。


 「おお、アヤメ殿、お久しぶりですな! ……こちら、十二の種族をその傘下に治める、森で一番力を持つお偉いお方です。何卒失礼のなきようお願いいたしますぞ」


 『いや、お構いなく。……ただ、これから少々荒っぽい事態になりますので、ご婦人方は少しの間この場から離れておいた方が良いでしょう』


 ロクジの大袈裟な紹介を片手で制してから、ダンはそう提案する。


 「すいません、お二人とも。そう言うことなので……」


 「お嬢……大丈夫か? こいつらに無理やり言うことを聞かされてるんじゃないよな?」


 カエデは、男っぽい口調でそう言いながら、ダンたちに敵意の籠ったまなざしを向ける。


 蓮っ葉で乱暴な態度だが、どうやらカイラのことを心配しているのは確かなようであった。


 「大丈夫です。この方たちほど信頼出来て、頼りになる方は他にはいません。今日このお二方をお連れしたのは、誰かに言われてではなく、間違いなく私の意思ですから……」


 「……分かりました。では、私とカエデで、女衆を連れて避難しておきます。どうか、ご無理をなさらぬよう」


 「おいコラ、勝手に決めるな! アタシはいかないぞ! お嬢がまた辛い思いをしたらどうする!」


 腕を引っ張って連れて行こうとするアヤメに、カエデは必死に抵抗する。


 「お嬢様が自分で決めたことよ。それに……主人が成長しようとしているときに、使用人がそれを邪魔してどうするの?」


 「あ? 何訳わかんねえこと言って……いでででで! 引っ張るな、馬鹿力が! おい!」


 抵抗も虚しく、カエデは厨房の奥に引っ張り込まれていく。


 そして去り際、アヤメが厨房の端からほんの少しだけ顔を出して、深々と頭を下げた。


 「お嬢様のこと、なにとぞお頼み申し上げます」


 そう言って、アヤメはそっと厨房の襖を閉めた。


 『……良い方たちのようですね』


 「はい、いつも気にかけてくれて……。あの二人のためにも、今の郷の状況をなんとかしたいのです」


 「そもそもあのお二方は、先代にその力を認められて直参にまでなった剛の者だったはず。それがただの給仕などをやっておるとは……いやはやおかしなことになっておりますなあ」

 

 ロクジは渋い顔をしながら言う。


 『その話は後だ。今はひとまず先へ進むぞ』


 そう言ってダンは、二人を引き連れて喧騒なり止まぬ奥の間へと突き進む。


 近付くに連れ、高精度な聴覚センサーにより、中で話している声がはっきりと聞こえてきていた。


 『だから言ったのだ、わしはあんな子供を長に据えるなど揉め事の元だと……』


 『おい、それはの血筋に対する冒涜か?』


 『そもそもカイレン様が大人しく長子存続を認めていれば郷が割れることにはならなかったんだ! あの御方はただの裏切り者だ』


 『何を言う! カイレン様がこの郷の発展にどれだけ尽力されたか知らんわけではあるまい! ゴウラ様はその間女中に手を出して遊び呆けておったではないか!』


 『そうだ! ゴウラ様を堕落させたお前ら取り巻きどもには任せておけん! あの娘が同じ道を歩まぬよう、我らが後見人としてしっかり躾けねばな』


 『そもそもあの娘とてゴウラ様の女中遊びの結果ではないか。我らが頭を下げる価値があるとはとても思えん』


 『貴様! もういっぺん言ってみろッ!』


 『おおい! 酒が足らんぞ!』


 (これは……とても子供に聴かせられる内容じゃないな)


 ダンは心配になり、カイラの方を見やる。


 幸いなことにこの話し声はダンにしか聞こえていないらしく、カイラはいつも通りだった。


 この優しい少女の心を傷付ける前に、腐った大人どもを黙らせなければならない。


 そう決意したダンは、頭部のヘルメットを収納して素顔を晒したあと、その奥の間を仕切る襖を、叩き付けるような勢いで開ききった。


 バン!


 と空気が震えるほど大きな音が鳴り響くと同時に、部屋の中は一斉に静まり返る。


 中を見やると、両派閥の男衆が互いに向かい合うように座布団で膝を並べて、その前には酒とつまみらしき料理がずらりと並べられている。


 人相の悪い鬼族の男衆が一斉にこちらを見て固まる中を、ダンは堂々と無人の野を行くがごとく突っ切っていく。


 そして、一番奥にある上座にどっかり腰かけて、その場にいた者たちの顔を睥睨へいげいしながら言った。


 「――魔性の森の首領、ダン・タカナシである。ここにおられるカイラ殿より、百鬼将代行の任を仰せつかった。以降は私が貴様らの主人となる。私からの命令は絶対であり、逆らう者には容赦なく厳罰を下すものとする」


 そう一方的にダンが宣言すると、その場にいた鬼族たちは一斉にいきり立った。

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