七人の子編
第92話 孤高の旅人
――我らのもとへ来い、マルドゥリン!
無限の知恵を目指し、来たれ種の子よ!
困難を乗り越え全ての巡礼を終えし時、お前は一つの真実に目覚めるだろう。
元来宇宙はただの点であった。彼我を隔てる距離など、本当はどこにもありはしなかったのだ。
この世のあらゆる事象が一つに繋がるとき、宇宙はお前の手のひらに収まる大きさとなる。
我ら七人の子は、お前がそこにたどり着くのを待っている。
我らが無限の知恵の源まで、決して歩みを止めるな、運命に導かれし子よ!
* * *
「…………!」
その日、ダンは耳元で大声で叫ばれるような、奇妙な夢を見て飛び起きた。
本来ダンは、夢というものを見ることはない。
電子頭脳によって機械化されたダンにとって、睡眠とは即ち機能のシャットダウンに他ならない。
生身と違って、電気的に脳の停止が出来るダンは、夢見などと言う曖昧な状態になることはないのだ。
――だというのに今、夢の中で誰かに耳元で叫ばれたかのように大きな声が響いた。
遥か海の底から響くようなイメージで、何か強い意思によって引っ張られるような声。
ダンはその声の持ち主に心当たりがあった。
「エンキか……」
海の底に住まい、そしてこの星の生命全ての
寝ているダンの思考プロテクトに無理やり割り込んで、何かの意思を伝えてくる者など、この星においてはアヌンナキと呼ばれる存在しか心当たりがなかった。
「随分と荒っぽいモーニングコールだ」
すっかり目も冴えて、ダンは愚痴をこぼしながら寝床から起き上がる。
船外の様子をカメラで見ると、既に夜は白み始め、東の果てから太陽が上りつつあった。
住人たちも竈に火を入れて、せっせと朝食の準備を始めているようだ。
もはやダンがおらずとも住人たちは勝手に生活を始めて、各々の生活を営んでいる。
他の郷の種族とも協力関係が形成され、学校もダン無しでもある程度上手く回っている。
周辺諸国の情勢も今は安定しており、直近で何が起きるような様子もなかった。
「……そろそろ私も自分のことに専念すべきか」
そう心に決めたあと、ダンはいつもの軍服に着替え、船の外に出て皆を集めるように言った。
* * *
「し、しばらくこの地を留守にするのでございますか?」
「ええ」
そう驚きつつ尋ねてくるエリシャに、ダンは答える。
この二年でエリシャは足腰がすっかり衰え、今は杖と周りの介助無しでは歩くことすらままならなくなってしまった。
そのせいか、彼女は少し弱気になっているようであった。
「もう私がいなくとも皆それぞれの生活を確立できているでしょう? 現状でも、各々が協力し合いながら生きていくくらいの糧は得られているはずです。もはや逐一私が指示する必要はないでしょう」
「いや、でもよう兄貴、それは……」
どうにか引き留めようと、ロンゾは言い募ろうとする。
しかしダンは、その先を遮るように指さしてこう答えた。
「私がいない間はロンゾ、お前が皆の指揮を取るんだ」
「お、俺が? 兄貴の代わりに!?」
ロンゾは自身を指差しながらそう驚く。
「そうだ。お前もそろそろ族長としての貫禄が出て来た頃だ。最近の指揮を見ても悪くはない。あとお前に足りないのは自信だけだ」
「自、自信って……」
ダンの言葉に、ロンゾはもごもごと口ごもる。
確かにダンに比べて、ロンゾは長として自分が上手くやれる自信など毛頭なかった。
しかしダンは別格過ぎるが故に、それもしょうがないと諦めていたのだ。
「いつまでも私の後ろに隠れて指示を仰いでいるようでは、自信など一生手に入らんぞ。お前も近々、新しい子供の父親になるんだろう? 親として、産まれてくる子供に立派な姿を見せてやりたいとは思わんのか?」
「……!」
ダンの言葉に、ロンゾは目を見開いて口を真一文字に引き結ぶ。
その隣では、お腹の大きくなったエリヤが、不安そうな顔で見守っていた。
「何も私のように領域を広げたり、皆の生活を劇的に向上させろとかそういう難しいことを言っているんじゃない。私が帰ってくるまでの間、現状を維持するだけでいいんだ。周辺の守りはエヴァがやってくれるし、ジャスパーが定期的に小麦を買い届けてくれる。はっきり言って、ラースが西の郷を守っていたときよりも格段に条件は楽だと思うぞ」
「うっ、そ、それはそうかも知れねえけど……」
ダンの言葉に、ロンゾはぐうの音も出ずに黙り込む。
ラースが治めていたころの西の
誰しもがその日を暮らすのに精一杯で、最初はダンも人間としてかなり強い敵意を向けられていた。
その頃に比べたら、農作物はあって狩りも安定して、安全も約束されている現状はかなり恵まれてるとも言える。
「全て上手くやる必要はないし、最初は失敗したり周りを頼ったりもするだろう。だが今のお前なら出来ると私が判断した。やれるな?」
「う、お、おう! 任せてくれ! 兄貴が帰ってくるまで、ここをもっと豊かにしてやるよ!」
そこまで言われて、ロンゾはようやく覚悟が決まったのか勢いよく頷く。
その隣では、エリヤがそっと手を添えながら微笑んでいる。
彼女の支えがあるなら、きっと上手くやるだろう。ダンはひとまず任せる先が出来てホッとした。
「ダン、ほ、ほんとに行っちゃうの……?」
シャットが普段の生意気っぷりは鳴りを潜めて、心細そそうに言う。
ダンは、そんな彼女の前に膝をついて両手を取る。
「……シャットも最近は大分落ち着きが出て来たな。学校では人気者だし、下の子の面倒もよく見てる。私はお前のことを誇りに思うぞ」
「……うん」
そう素直に褒められて、シャットははにかみながらも素直に頷く。
「私がいない間も、お前が皆のお姉ちゃんとして皆のことを助けてやるんだ。いじめや仲間外れにされている子がいたら庇ってやり、馴染めない子がいたら積極的に声をかけてやれ。シャットは人より情緒が豊かなだけで、決して馬鹿じゃない。お前ならきっと立派にやれる」
「…………うん!」
ダンにそう言い聞かされて、シャットは決意を漲らせた顔で頷く。
「リラとカイラも、二人とも賢くて優しい私の自慢の生徒だ。もし周りに困ってる人がいたら助けてやってくれ。お前たちならきっと力になれるだろう」
「はい! 頑張ります!」
「分かった……。ダンも早く帰ってきてね」
そう答える二人の頭を撫でたあと、ダンは全員に向かって言う。
「……私がおらずともやることは何も変わらない! 以前に戻るだけだ! 私が来る前から、皆はここで互いに助け合って暮らしてきたんだろう?」
「…………!」
ダンの言葉に、その場にいた全員がぐっ、と息を呑む。
確かにそれは事実だが、ダンが来る前と来たあとでは、生活が激変したのも確かだった。
既に平和と明日の食事の心配がない生活を知ってしまった者たちにとって、ダンの庇護が一時的にも外れるというのは大きな恐怖であった。
「大丈夫だ! 皆はここで生き抜く力を持っている。私はただ、歩くきっかけを与えただけだ。この先は自分たちの力を信じて欲しい」
「……そうだ! いつまで経っても兄貴におんぶに抱っこじゃかっこがつかねえ! 俺たちだって誇り高き
ロンゾがそう声を上げると、集まってきた者たちの中でも、そうだ、そうだ、と徐々に声が上がり始める。
ダンはそれに大きく頷いたあと言った。
「皆は決して弱くない! 私がおらずとも、自分たちの力だけで歩いていける。私が帰るまで、皆で協力してこの地を守ってくれ。頼んだぞ!」
「おおおお!」
ダンがそう奮い立たせると、集まった住人たちは声を併せてそれに応じる。
「首領様万歳!」
「どうかご無事で……」
「出来るだけ早く帰ってきてくだせえ!」
そう口々に惜しまれる声に手を上げて応じながら、ダンは船に乗ってハッチの扉を閉める
船体の下で歓声を上げる住人たちに見送られながら、ダンは空気の届かない高高度まで浮上した。
* * *
「あの様子ならしばらくは皆も大丈夫だろう。最悪エヴァもいることだしな」
エンキの
実際の所いつまでも、ダンがあそこの統治をしてやれる訳ではない。いずれは立ち去る時が来るのだ。
それまでに、住人たちのダンへの依存度や依頼心を少しずつ減らして、自分たちだけで歩かせるよう仕向けなければならない。
「……面倒だが感謝が返ってくるだけやりがいはあるといったところだな」
ダンはそう独りごちる。
あの地で難民たちを迎え入れ、生活基盤を築いてやった数年間は、参謀本部で黙々と書類作業をやってた時には感じられない充実感はあった。
やはり軍人は、一般市民のために体を張ってこそだとも思う。
しかし結局のところ、ダンはこの星においては異物でしかなかった。
あまり長い間同じ場所に居着いても、ダンの持つ高い科学力が周辺のパワーバランスを崩し、余計な混乱を生み出すのは目に見えていた。
魔性の森の住人たちを自立させて、程よいところで距離を取るのがお互いの為だろう。
『
ダンがそんな事を考えていると、ノアが船内のスピーカーを通じてそう問い掛けてくる。
「このままエンキの館に向かって"巡礼"を済ませたあと、その足でイナンナ、ニンフルサグ、エンリルの館も続けて攻略する。どれだけ早く終わろうとも、最低でも一年は戻るつもりはない。住人たちに私がいない状態に早く慣れさせなければな」
『了解しました』
ダンの言葉に、ノアはそう淡々と答える。
この星に対等な存在がいない以上、どれほど居心地が良くとも同じ場所に根ざす訳にはいかなかった。
「……もし地球に帰れなかったら、いっそアヌンナキの一員にでも入れてもらうか?」
そう取り留めのないことを呟きながら、ダンはエンキの館を目指したのだった。
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