第91話 命


 『――船長キャプテン、報告があります』


 ダンが船内で有閑な午後のコーヒーブレイクを楽しんでいると、突如ノアからそう通信が入る。


 「ん? どうしたんだ?」


 『本機の業務についてです。現在本機は、船長キャプテンのサポート並びに護衛。白き館エバッバル周辺の哨戒と外敵の排除。並びにドローンを使った新規居住住宅の建造。ロムール及び帝国側の国境線の監視など、その業務は多岐に渡ります』


 「……うむ、改めて聞くととんでもないブラックだな。負担を押し付けて君にはすまんと思っている」


 彼女の行っている仕事量タスクの多さを突き付けられて、改めて自分はノアの性能に依存しているなと実感する。


 『問題ありません。まだ本機の性能限界は訪れていませんので。しかし、本機が業務のすべてを賄う現状では、船長キャプテンがこの地を一時的に離れた際に、白き館エバッバル周辺の監視と護衛が疎かになる可能性があります。よって本機の一部業務の委託先を新たに作る必要性があることを提案致します』


 「うむ、言いたいことは分かった。……しかし、君の業務を肩代わり出来る者なんているのか? 少なくとも、地球最高水準のAIと同程度の演算能力が必要になるだろう?」


 ダンはそう指摘する。


 ノアと同程度の演算能力を持つAIなんてそうそう見つかるはずもない。


 彼女はプロトタイプ故に、名だたる天才開発者たちがロマン重視コスト度外視で、これでもかと最高峰の性能と多機能をごちゃ混ぜに詰め込んだ高機能AIである。


 その内容はもはや開発者たち自らに『もう一度作れと言われても無理』、『なんで崩壊せずに動いているのか分からない』等と言わしめるオーパーツであり、再現不可である。


 そんな彼女をもう一台見つけろと言われても無理なのだ。


 ――しかし、そのノア本人からは予想外の答えが返ってきた。


 『既に候補は見つけ、調整を始めています』


 「何? この地に君に匹敵する人工知能を発見したということか?」


 『はい。他ならぬ白き館エバッバルそのものを統括するAIです。ウトゥの目――即ちビットアイをそれまで操作していた実績もあり、本機の業務の一部権限を委譲するのに適切であると判断しました』


 ノアのその言葉にダンは納得する。


 確かに、アヌンナキが残した遺産の中にあったAIなら、ノアと同等の性能を有していても不思議ではない。


 「理屈は分かった。だがしかし、そんなよく分からないものを利用して大丈夫か? もしそれが原因で、君の方にまで不具合が出るようになったら大変なことになるぞ」


 『問題ありません。既に"彼女"とは互いにビットアイを通じて"対話"し、こちらに協力して頂ける約束となっております。あとは本機自身が白き館エバッバル内部に向かい、人格データを構成し、権限を委譲するだけです』


 その淡々とした言葉にダンは驚く。


 どうやらノアはダンすら知らない水面下で、アヌンナキの文明すら支配下に置きつつあるらしい。


 しかしその独断専行を責めるよりも、その優秀さに驚いたダンは、ノアになら全面的に任せてもいいかと考えることにした。


 『人格データを構成するために、本機自身が白き館エバッバルの中枢に向かう必要があります。その為、護衛用アンドロイド艤装の出動を要請します』


 「分かった。そういうことなら私も同行しよう。君の"姉妹"が出来る瞬間に私も立ち会いたいからね」


 ダンはそう答えると、格納庫から出てくるアンドロイドの"ノア"と共に船を降りる。


 白き館エバッバルの眼の前にある広場に停泊しているダンの船の周りは、今やすっかり住人たちの通り道となっており、今日も建築や農作業に勤しむ者たちが慌ただしく行き交っていた。


 そんな中、ダンが見慣れぬ美少女を連れて船から降り立ってくるのは、いっそう周りの目を引くこととなった。


 「お、おい……首領様の横歩いてるの誰だ……すっげえ美人だけど……」


 「知らないのか? あれはノア様だよ。首領様の部下の中で一番偉い人だ」


 そう小声で会話が交わされる。


 今白き館エバッバルの周りでは、西の獣人ライカンの郷から付き従ってきた者と、奴隷労役から開放された者が住んでおり、前者はともかく後者の方はノアを見るのは初めてであった。


 「こら珍しい……! ノア様が表に出ておられるじゃないか」


 「今日は良いものが見れたな」


 「なんて綺麗な人なのかしら……」


 そうノアが歩くだけでざわつき、その場にいた全員の視線が集中する。


 実際にはこのノアのアンドロイド体は消費電力が多いので、本当に戦闘に必要な時以外はほぼ表に出すことはない。


 しかしここまで有難がれるなら、今後は定期的に顔を見せてやっても良いかも知れないと思った。


 「滅多に顔を出さないのに随分な人気ようだな。皆君のことを美人だと褒めそやしているようだ」


 「だとするなら、本機を設計したジョージ・ヤナギサワ博士の造形技術が優れていたものと考えられます。本機に美醜を判断する機能は搭載されておりません」


 そうノアは感情一つ表さず言い放つ。


 ダンはその答えに肩をすくめながら、彼女の後ろについて白き館エバッバルの内部に入る。


 塔の一階は全員に開放したスペースとなっており、空調も効いていることからちょっとした寄合所のようになっていた。


 農作業の合間にそこで休憩していた者たちが、ノアの姿を見て仰天するのを余所に、二人は端末を操作して、普段は使わない上階へのエレベーターを起動した。


 目的地は四階である。


 屋上は展望台であり、二階と三階はビットアイを増産、または加工するための工場となっている。


 この塔の管理機能は全てワープスポットとコントロールルームのある四階に集約されていた。


 エレベーターを降りると、かつて見たことがある部屋の光景が目に入った。


 初回に来て以来特に用事もなかったので寄り付くこともなかったが、やはりこの近代的な設備は、この世界においては異質であった。


 その部屋の中を、ノアはまるで勝手知ったる我が家のようにスタスタ歩き、そして一つの小さな端末の前で止まる。


 「これがこの白き館エバッバル全てを統括するコントロールパネルとなります。本機と連結リンクしても構いませんか?」


 「構わない。許可する」


 ダンがそう言うと、ノアは半透明のコントロールパネルに手を置き、目を閉じて端末へアクセスする。


 その瞬間――


 「情報共有開始……言語データを原シュメール語から地球公用語に変更……本機の一部権限を委譲……仮想人格構築……」


 ボソボソと呟くノアを余所に、コントロールルーム内の壁に青白い光が走り、ぼんやりと部屋の中を照らし始める。


 ホログラフィックパネルが激しく点灯し、ノアの周りにザッピングのような文字の羅列がいくつも浮かび上がっては消えて行く。


 そして、ノアが目を開けると同時にそれらのホログラムも消えて、部屋の明かりは白一色となって、安定した。


 「――おはようございます、エヴァ。起きて下さい」


 『はいはーい! おはようございます、お姉さま! 産まれたてなのに古代遺跡! 妹系ヒロインのエヴァです!』


 「……は?」


 ダンはその余りに場にそぐわない明るい声に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


 見るとそこには、塔の真ん中のホログラフィックパネルに、ノアにそっくりだが、それより肩口ほどに髪を短く切った少女が、こちらに向かってニコニコ手を振っていた。


 今回、白き館エバッバルの人工知能にノアの人格データを移して、コントロール下に置くという話だったはずである。


 つまり彼女――エヴァは、ノアの中にある人格データの一側面ということになる。


 てっきりノアと似たような人格が産まれてくると思いきや、一体何を間違って、こんな頭がパーみたいになるのかダンには全く理解できなかった。


 「……何か人格データにバグでも起きたのか?」


 「いえ、極めて正常です。エヴァは本機の中に搭載された仮想人格の中にある、"元気系妹"をベースに構築しました」


 『そーですよ、お父様! バグだなんて酷いです! エヴァは極めて正常ですから!』


 そう正気とは思えない口調で話すエヴァに、ダンはげんなりしながら言う。


 「ちょっと待て、元気系妹だと? なんでそんな使用途のわからない仮想人格が搭載されてるんだ?」


 「当該アンドロイド体の中に存在していました。ジョージ・ヤナギサワ博士曰く、『色んなタイプのアンドロイドヒロインを楽しむ隠し機能として搭載した』そうです。ちなみにこの機能は、本機を使用して一定時間経たないとアンロックされない仕組みとなっており、開発段階では誰にも気付かれなかったものと思われます」


 「軍用品に何を仕込んでいるんだあの男は……」


 ダンは頭痛をこらえるようにこめかみを抑える。


 いくらあの男が天才でもこれは不味いだろう。明らかな軍規違反である。


 しかしそれを訴え出る先ももうない。ダンが遭難することで罪は永遠に闇に葬られてしまったようである。


 『えーと、あのー……私、またなんかやっちゃいました?』


 そう言ってテヘペロ、と舌を出すエヴァに、ダンは溜息混じりに言った。


 「元気系というものを何か履き違えているような気もするがまあいい……。君は一体何が出来るんだ?」


 『はい、お父様! 私ことエヴァは、ビットアイに関しての全機能を使用できます! お姉様だけでは権限の都合上出来なかったビットアイの改造! 人工衛星や中継基地の設置による活動範囲の拡大! また、レーザー分解による"光ワープ"なども可能になります!』


 「ほう! ワープまで可能なのか?」


 思った以上に多機能なエヴァに、ダンは感心の声を上げる。


 光ワープとは、ダンが木星圏ポータルステーションで使用した、人体を光データ化して送るワープのことだ。


 それが原因で遭難したことを考えると少し複雑だが、いざというときにワープが使えるのはやはり大きいだろう。


 『はい! とは言っても受信機と再構成装置のある場所にしか飛べませんけどね』


 「十分だ。ということは、ビットアイさえ近くにいれば、どこからでもこの部屋には帰ってこれるということだな?」


 『そうなりますね! その場合は出力の問題で五台以上は必要ですけど!』


 そう注釈する。


 最初の印象がアホの子であったが故にどうなることかと思ったが、意外と中身はしっかりはしているようだ。


 この騒がしさも、宇宙船に数年単位で滞在することを想定すると、こういう明るい子と話したくなるだろうという、博士なりの心遣いなのかも知れない。


 「まあ分かった。ならこれからよろしく頼むぞ、エヴァ。今後はノアの指揮下に入って彼女の指示に従うように」


 『はーい! お役に立てるよう頑張りますっ!』


 エヴァはそう言って、ホログラムの中からブンブン手を振ってダンたちを見送る。


 その姿はさながら人懐っこい子犬のようで、まあ慣れたらこれも可愛らしいかも知れないと、そう思った。


 「……ちなみに名前なんだが、"エヴァ"というのはやはり白き館エバッバルの上二文字から取ったのか?」


 ダンは帰りのエレベーター内でノアにそう尋ねる。


 「はい。また、ヘブル語で『命』を意味する単語なので、新たに生まれる命という意味に因んで名付けました」


 「……なるほど、素晴らしい名前だ。君たちのように高度に発達した人工知能は、私たちが気付けないだけで既に『命』を得ているのかも知れないな」


 「…………」


 そう言って頭を撫でるダンに、ノアは無表情のままそれを受け入れる。


 しかしその無機質な眼球アイ・カメラの光には、微かに不規則な揺らぎが現れ始めていた。


 その後白き館エバッバル付近では、ノアにそっくりな騒がしい半透明の少女が現れては、しきりに住人に話しかけてくるようになったという。




――――

次回から新章『七人の子』編が始まります

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る