第90話 エピローグ:発展の美味


 ふう、とジャスパーはロムール王城の客間で大きく息をついた。


 この商談も既に四回目だ。


 前回もひとまず利益は取れたが、初回に手痛い反撃を受けたが故に未だに油断のならぬ相手だった。


 今回ユリウスはガイウスと二人で話してくるらしく、席を外している。


 一人であの油断のならない姫様と対峙しなければならなかった。


 「――あら、ご機嫌よう。今日はどんなものを持ってきて下さったのかしら?」


 そんな事を考えていると、件の人物が侍女を伴って優雅に客間に入ってくる。


 ロムール王国第一王女にして、王太女となった少女、エーリカ・フィン・ロムールである。


 彼女の美貌はこの二年で更に磨かれており、過去の英雄的な実績も相まって、今や各国から貴族や王族から連日山のように縁談の話が舞い込むようになっていた。


 しかし、エーリカはそんな縁談話を全て断り、今は執務室に籠もって緊急時や重要な案件以外はほとんど人と会うことすらしていなかった。


 ――しかし、そんな多忙を極める彼女が応じる数少ない面会の一つが、このジャスパーとの商談であった。


 「これはこれは、"聖女"様。本日もまたお美しい……。この度は我が主より、あなた様の輝きを増すばかりの美貌に、更に磨きをかけるような商品を預かっております。ぜひお気に召して頂ければ幸いです」


 「歯の浮くような美辞麗句は結構ですよ、ジャスパー。あなたの本来の口調を知っている私にそのように畏まっても無意味でしょう? いつものように砕けた口調で構いませんよ」


 エーリカは素っ気のない態度でそう応じる。


 彼女は今、巷では戦姫という呼び名だけでなく、"聖女"とも呼ばれていた。


 ダンがもたらした教皇の王笏を根拠に、東方聖教会に対して自らこそ神に祝福されし聖女であると堂々と喧嘩を売るような宣言をし、帝国を公然と批難したからだ。


 当然帝国の支配下にある聖教会はそれに猛反発するも、他ならぬ教皇の王笏を手に持っているエーリカの方に民衆は同調。


 帝国内の敬虔な信者にも動揺が広がり、帝国は表立ってロムールに手が出せなくなってしまった。


 そして、大陸南西の小国家群は聖女エーリカの旗頭のもと、"南部大連合"を結成し、帝国と対峙する道を選んだ。


 少なくとも大陸南方の国々においては、エーリカは帝国という巨悪に対する聖なる乙女という、ジャンヌ・ダルクのような存在となっていたのである。


 「いえいえ、今やあなた様はこの大陸における希望にございます。私ごときがそのような口を聞くことは出来ません。……しかして、それだけに聖女様に民衆が求める理想は高くなっているのも事実。日々多忙を極める執務の最中に、ご自身の美にまで気を払わなければならないのは大変な労力であろうことはお察し致します」


 「前置きは結構。早くお見せなさいな」


 ジャスパーがこういうもってまわった言い方をするときは、大抵持ち込む商品に自信があり、出来るだけ高く売り付けようとする魂胆なのは理解していた。


 故にエーリカは警戒をもって、相手の営業トークに飲まれないよう気を引き締めた。


 「これは失礼! では早速ご覧いただきましょう」


 ジャスパーはそう言って、テーブルの上に、木箱や瓶などをいくつも並べ始める。


 「これは?」


 「我らが主が作り出した"石鹸"の詰め合わせでございます。これまで石鹸と申しますと、獣の油から作られて臭いもキツく、とても常用できるものではありませんでしたが……これは違いますよ? どうぞ香りを嗅いでみて下さいませ」


 差し出された石鹸に鼻を近づけて、エーリカはその香りを吸い込む。


 「……あら本当ね。とてもいい香りですわ。ですが石鹸とは、ゾディアック様の割にはありふれたものをお持ちになったのではなくて? 前回、私たちの畑のワラから紙を作ったというのには心底驚きましたが……」


 エーリカはそう牽制する。


 ここで手放しに褒めてしまっては、簡単に足元を見られてしまう。


 前回ワラから作った紙と言うものを渡されて、従来の手漉き紙とは全然違う品質の高さに心底驚いてしまい、その分だけ値段が上乗せされてしまった。


 確かにジャスパーが持ってきたのは良い石鹸だとは感じた。香りもよく、肌にも良さそうだ。


 しかし、エーリカも今は、南大陸アウストラリスで新たに開発された、獣脂ではなく木の実オリーブと藻灰から作られた高級石鹸を使用しており、それほどの目新しさも感じなかった。


 「なるほど! 反応からして、石鹸に関しては既に良いものを使っておられるようですね。でしたら、こちらはどうでしょう?」


 ジャスパーはそう言うと、白い陶器の小瓶の蓋を開けて、その中身を自身の毛深い手の上に垂らす。


 「こちらは液体なのですね」


 「"シャンプー"と申すものでございまして、これは髪を手入れする用の石鹸となります」


 「髪の……!?」


 エーリカはそちらには前のめりで食いつく。


 髪の手入れに関しては、全ての貴族や王族の婦女子が抱える共通の悩みでもあった。


 石鹸で髪を洗うとゴワゴワして固くなり、髪質が悪くなってしまう。


 今は香油に浸して侍女に長時間梳いて貰っているが、もっと気軽な手入れの仕方があればとエーリカでなくとも常々思っていたことだろう。


 「このシャンプーは画期的な商品でございまして、髪についた土や埃、また見えない汚れなどもみるみるうちに落とし、良い香りにしてくれます。また油を使わずとも髪が本来の艶を取り戻し、自然な潤いを保てるようになるのです!」


 「…………!」


 エーリカは、その言葉に聞き入ったあと、ふとそれを売り込むジャスパーの髪の毛に視線を向ける。


 そこまで力説しているくらいなのだから、自分で使ってそれを実感しているはずだろう。


 案の定、ジャスパーの茶色の髪は前回はゴワゴワした髪を無理やり油で固めていたのと違い、今日はナチュラルに透き通って、まるで幼児の髪のようにふわりとしていた。


 あえてそこに触れずに、エーリカ自身に気付かせることでより強く印象に残すつもりなのだろう。


 なんとも小憎らしい演出だが、激しく興味を引かれたのは確かであった。


 ――しかし、ジャスパーはその石鹸の詰め合わせを、エーリカの前に差し出す。


 「……実はこれらに関しましては、我が主より試供品として聖女様に無償で提供するよう仰せつかっております。まず使い心地を試してみて、お気に召されたらご購入下さいとのことです」


 「まあ! それならそうと早く言ってくださればよろしいのに。私をやり込めるために黙っていたなんて、あなたは随分と意地悪ではありませんか?」


 エーリカはそうぷくっ、と頬を膨らませる。


 随分と子供っぽい怒り方だが、エーリカに関しては自身の魅力を理解したうえで、わざとあざとく振る舞っているのだ。


 自身の美しさを武器に、周りの男を魅了する術も十分に心得ていた。


 「申し訳ありません。この商品に対する情熱が先走るあまり、つい説明に熱が入ってしまいまして……。今回、このシャンプーに続き、トリートメントやリンスといった、髪のお手入れ用の石鹸と、それぞれの使い方を説明した紙も同封しておきます。お試し頂いて、これまでとの違いをぜひ実感してご購入を検討くださいませ」


 「ええ、ありがとう! 今夜早速試してみますわね」


 エーリカはニコニコしながらそれを受け取る。


 タダというのもさることながら、美しさを磨くためのものが手に入ったことを彼女は素直に喜んだ。


 美しさというものはエーリカにとっては、自身の趣味だけではなく政治的にも重要な武器の一つである。


 関わりのある貴族や王族同士の厄介な小競り合いも、エーリカが間に入って笑顔の一つでも振りまけば、あっさり片付くことだってあるのだ。


 彼女は齢十七歳にして、"女性"を武器にした狡猾な立ち回りを身に着けていた。


 「さて、石鹸に関しては次回ご返事頂くとして……ぜひ次の商品の紹介をさせていただければと思います」


 「あら、もう石鹸を頂いただけで私としては終わりでも構わないのですけど?」


 「いやいや! そう言わずにあともう一品だけ紹介させて下さい。必ずや聖女様のお気に召すはずです! 次は、我が主が作った、画期的な菓子にございます」


 「菓子?」


 ジャスパーの言葉に、エーリカは肩透かしを食ったような気分になった。


 どんな画期的なものが来るのかと言えば、たかが菓子では話を聞くかいも無さそうであった。


 そもそも砂糖と小麦の産地であるロムールでは、菓子などそこらに有り触れている。


 焼き菓子など食べ飽きている彼女にとって、今更度肝を抜かれるような菓子が出てくるとも思えなかった。


 「ええ、これはただ食べるのみならず外交や要人へのもてなしなどにも使えるような、洗練されたものでございます」


 「そこまで言うのなら……マリー、お茶を淹れて頂戴」


 「畏まりました」


 エーリカがそう命ずると、壁際で気配を消していたマリーが、ティーセットを持ってお茶のお代わりを注ぐ。


 その間にジャスパーは手持ちの袋から小さな箱を取り出して、それをテーブルの上に置く。


 そして、その蓋を開いてエーリカに差し出した。


 「これは……?」


 エーリカは、黒い板状の奇妙なものを見て首を傾げる。


 「"チョコレート"にございます、聖女様。魔性の森でもつい最近完成したもので、我が主の肝いりの一品でございます。あの方曰く、世界の食文化に革命を起こせる存在とまで言っておられましたよ」


 「そこまで……ではさっそく頂いても?」


 その文言に若干興味をそそられたエーリカは、思わずチョコレートに手を伸ばす。


 「お待ち下さい姫様。毒見をせずにそのような怪しげなものを口にするのは……このマリーめが一旦口にしますので、しばらく様子を見てからにしてくださいませ」


 「あら、失礼ですわよ? マリー。まさかゾディアック様の使いの方が私に毒を盛ろうだなんて」


 「いえいえ、聖女様はこの上なく大切な身の上でございますから、当然の危惧でしょう。それに、こちらとしてもより多くの女性の方からの感想も欲しいと思っていたところです。ぜひマリー殿のご意見も伺いたいですな」


 「では……」


 ジャスパーのその言葉を受けてから、マリーは木箱の中に安置されているチョコレートに手を伸ばす。


 箱の中は何故かひんやりと冷たくなっており、マリーはその構造を不思議に思ったが、今はそれより先に毒見を優先した。


 マリーはその怪しい板切れをパキリと一欠片割って、口に運ぶ。


 到底食べ物には思えない奇妙なものだが、だからこそ愛しい主が口にする前にマリーが毒見しなければならない。


 そして、それを口に入れた瞬間――


 「…………!?」


 「ど、どうなの?」


 思わず椅子から立ち上がりながらエーリカは尋ねる。


 マリーの身を案じつつも、エーリカはその味のほうが気になってしまった。


 その場にいる全員から注目を浴びながら、マリーはそれを嚥下したあと、ほう、と熱っぽい溜め息をついた。


 「……これほど甘美な毒なら、それと知りつつ口にする人もいるかも知れませんね」


 「だ、大丈夫なの? マリー。体の方は……」


 「はい、それにしてもこれは凄いお菓子です! このように濃厚で豊かな甘みは口にしたことがありません!」


 「そ、そう、それじゃあ私も頂くわね」


 そう言って、エーリカもそそくさとチョコレートを口に運ぶ。


 何だかんだと言っても、甘いものが嫌いではないエーリカは、初めて見るお菓子というものに激しく興味をひかれていたのだ。


 ――そして、実際に口にした瞬間、食文化に革命を起こすなどという、大層な文言で紹介されていた理由を理解出来た。


 (これは…………!)


 美味い――いや、美味すぎると言ってよかった。


 それまでのボソボソした食感を、大量の砂糖で誤魔化した焼き菓子とは一線を画す、濃厚で強烈な旨味と甘さ。


 ほんのりほろ苦い味をミルクのまろやかさで包み込んで、砂糖の甘さを引き立てる。


 これなら例え、甘いものが苦手な者でも好んで食べられるかも知れない。


 ――そしてなによりエーリカが驚いたのは、その発展性であった。


 「これは……焼き菓子の生地の中に混ぜ込んでも美味しくなるのではないかしら?」


 エーリカのその言葉に、ジャスパーは我が意を得たりとばかりに手を叩く。


 「……素晴らしい! さすがは名だたる英雄であらせられる聖女様でございます! 一口でこの菓子の真価に気付かれるとは……」


 ジャスパーはそう言うと、もう一つ机の上に箱を取り出す。


 「ここに先程、聖女様がおっしゃった"チョコレートを使った焼き菓子"の完成形の一つがごさいます! こちらも是非ご賞味下さいませ!」


 そうジャスパーが開いた箱の中には、チョコレート色の生地に包まれた、コロっと丸っこい、小さめの菓子が付け合せの果物と一緒に皿に盛られていた。


 「こちら、"フォンダンショコラ"という名の菓子にございます! 名前の由来は我が主しか知りませんが、その味たるやもはや、神の国の食べ物としか思えないほどで……」


 その言葉に、二人はソワソワとしながら目の前の菓子に目が釘付けになる。


 「で、では、また私が先に毒見を……」


 「ちょ、ちょっと待ちなさい! 先程のチョコレートとやらにも何も入っていなかったでしょう? 少し警戒し過ぎじゃないかしら?」


 ティースプーンを伸ばそうとするマリーに、エーリカが慌てて割り込んで言う。


 それは何かそうするべき事情があった訳ではなく、単に自分の取り分が減らされるのが嫌というだけであった。


 「いえ、ことは姫様のお体に関わること! 侍女として、主人の安全に関して妥協するわけには参りません!」


 「うぐっ……」


 しかしマリーにそう正論で返されて、エーリカは渋々引き下がる。


 そして、マリーがフォンダンショコラにティースプーンを差し込むのをジトっと眺めることしか出来なかった。


 「……ちょっとあなた、取り過ぎよ! 半分近く持っていくのはいくら毒見でもやりすぎじゃないかしら!?」


 「これくらいでなければ判別出来ない毒があるかもしれませんから! ……ああ、素晴らしい……なんて濃厚な風味なんでしょう! これはまさに神の世の食べ物かも知れません……」


 そう言って大きな一口をぱくりと食べて、うっとりとするマリーに、エーリカはぐぬぬ、と口惜しそうに歯噛みする。


 歳も近く、幼少から姉妹のように育てられた二人にとって、この程度のじゃれ合いは日常茶飯事であった。


 マリーはエーリカが、どんな立場になろうと変わらず接してくれる、身分を超えた数少ない友人の一人でもあった。


 ――しかしそれはそれとして、食べ物の恨みは別であった。


 「もう良いでしょう!? あとは私の分ですから!」


 エーリカはそう言って引ったくるようにマリーから皿を奪いとる。


 抱え込むように皿を持ちながら、周りを警戒してお菓子を食べる優雅さの欠片もないその様は、もはや聖女ではなく飢えた犬のようですらあった。


 そして、一口食べる度に脳天を突き抜けるような強烈な甘さに、エーリカもうっとりとした顔でため息をついた。


 「ああ……なんたる美味なんでしょう! この口の中でとろけるようなこの味わい。ゾディアック様が、そこまで強く推す理由も分かるというものですね……」


 エーリカはもはや相手に弱みを見せてはならないことも忘れて、普通にお菓子を絶賛してしまう。


 「そこまでお気に召していただけたなら我が主もお喜びになるでしょう! どうぞごゆるりと味わい下さいませ」


 そしてジャスパーは、今巷で聖女と呼ばれている少女の醜態をニコニコと笑顔で眺めたあと、今後五年間のチョコレートの優先取引権と、フォンダンショコラのレシピに金貨千枚の超高額取引を持ちかけたのであった。

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