第93話 世界で最も遠い海
陸地から最も遠い海の沖合を移動しているとのことだった。
ダンの船なら二十分もあれば着く距離ではあるが、現地の文明では到底辿り付けない難所だろう。
その上更に深海二千メートルをゆっくり航行しているという。
普通では辿り着くことは不可能だが、ダンにはそこに向かう手段があった。
『あと三分で目標地点の上空にたどり着きます。ただいまより減速を開始します』
高度三万メートル上空をマッハ20で飛行していたダンの船は、徐々に減速して重力に引っ張られ降下を開始する。
空気抵抗でガタガタと揺れる船内に煽られながら、ダンは出撃の準備をする。
今回は海中ということで、船ではなくダンが生身で突入することとなった。
そっちのほうが的が小さく小回りが効くので、仮に戦闘になっても有利に立ち回れるからである。
船に関しては海洋上で、巨大生物の反応が現れたら魚雷による支援攻撃をしてもらう手筈となっていた。
『着水します。5……4……3……』
ノアのカウントダウンが始まると同時に、船は大きく減速して着水の態勢をとる。
ザバン、と外から大きく波しぶきが上がる音と同時に、船は大きく揺れて海洋上に着水した。
『当該惑星における"
ノアのアナウンスと同時に船は完全に停止した。
どうやらこの真下に、エンキの館があるらしい。
「……よし、出撃しよう。前回と同じように、
『了解しました。直ちに護衛用アンドロイド艤装の出撃準備を致します。武装は如何なさいますか?』
「重火器をありったけだな。海中だし小型武器庫も持ち運べるだろう。考え得る限り最大戦力で向かう」
『了解しました』
ダンは指示を出すと同時に、自身も武器庫に向かって装備を整える。
アヌンナキの館に何がいるのかは分らないが、前回のことを鑑みるに戦闘になること前提で動くべきだった。
ダンは持ち運びできる小型の武器庫にありったけの重火器を詰め込んだあと、自身も個人用の小型のスクリュージェットを背負って固定金具を装着する。
「準備完了しました」
そんな時、ノアがいつもと変わらぬ姿で報告しに来る。
彼女は元々水陸両用であり、密閉性も高いので、深海だろうとなんの問題もなく素潜りで到達できる。
「よし、ここからは私も減圧する。以降の会話は体内通信で行う」
ダンはヘルメットを装着して、プシュン、とSACスーツ内の空気を放出して内部を真空状態にする。
基本体の大部分が機械であるダンにとっては、呼吸というのはそれほど必要なものではない。
故に、深海や宇宙空間などの極限の環境に身を置く時は、予めスーツ内の空気を抜いて密閉しておくのが基本であった。
その分声は出せなくなるが、ノアとは体内通信で繋がっているので問題は生じなかった。
(では、行こう)
『了解しました』
そう短く通信で言葉を交わしたあと、ダンは格納庫から小型武器庫を海中に放り投げ、自身もそのあとに続く。
ケーブルで武器庫と自身のスーツを接続したあと、そのまま真っ暗闇の冷たい海の底に向かって行った。
* * *
『――深度五百メートルを通過。現在の海水温は3℃です』
(ふむ、やはり何もいないな。陸地から遠すぎるから当然か)
ダンはそんなことを考えながら、どんどん海底へ進んでいく。
"ポイント・ネモ"とは、陸地から最も遠い海の中心、『到達不能極』とも呼ばれる難所の一つである。
その場所の特徴として、陸地から遠すぎる故に海に栄養がなく、生き物がほとんど存在していない。
おまけにここは水温も低い、"海の砂漠"とも言える場所だった。
そんな海域でエンキが生命を産み出しているというのは意外だが、むしろそういう環境だからこそ、生物が豊かな環境を求めて全世界に移動していくのかも知れない。
ダンがそんな事を考えていた、その時――
『
ノアからそう頭の中に通信が入る。
(五千以上だと!? 敵性生物か!?)
ダンは一瞬ハープーン・ボルトの安全装置を解除するも、ノアは首を振って否定する。
『いえ、以前に接触した個体……
(なんだと?)
ダンは思わず聞き返す。
それはそれで奇妙な話であった。
今日この時、ここに来ることをダンは誰にも告げていない。ダンがここを訪れることを、
だというのに、示し合わせたようにタイミングよくやってくるのは、彼らの持つ『予言の力』なるもののおかげだろうか。
「キュウゥゥゥゥーーッ!」
始めて聞いたときと同じ、あのイルカのエコーロケーションのような声が響くと同時に、真っ暗闇のはずの周囲が、ぼんやりと明るく照らされる。
見るとそこには、
レーダー上でしか確認できなかった彼らの姿が、光によって露わになる。
一つ一つは小さな灯りでも、数千も集まれば周囲は明るく照らされ、暗黒の深海がまるで満点の星空のように視界が開かれた。
見ると彼らは、
その場に海に住まう者たち全ての種族が集結していると言っても過言ではなかった。
(水先案内をしてくれているのか?)
ダンがそんなことを考えながら深海を目指していると、人魚の少女の一人が近付いてきて、ヘルメット越しに頬に口付けしていく。
(……なるほど、祝福してくれてるといったところか。やる気の出るシチュエーションじゃないか)
ダンはそれに軽く手を振って答えながら、更に深海を目指していく。
いつの間にか大所帯になり、大勢を引き連れながら、ダンは深海2000メートル付近にまで到達した。
既に海水温は2℃で安定し、水圧も200気圧にまで上がる。
これは一平方センチメートルに200キロの荷重が掛かっているのと同じであり、人間なら到底耐えきれない水圧である。
しかし、誰一人として脱落する者はいない。
ダンはSACスーツの性能で1000気圧まで耐えられるよう設計されているので余裕はあるが、いくら海の生き物とはいえ、ここまで彼らが耐えられるのは驚きであった。
『深度1800メートルに到達。海底付近に、巨大な熱エネルギー反応を探知しました。全長1200メートル。およそ10ノットでゆっくり海底を移動しています』
(居た……!)
ノアのアナウンスと同時に、ダンは眼下で砂煙を上げながらゆっくり動く、目的の対象物を見て、そのあまりの巨大さに圧倒される。
スケール感の分かりづらい海中においてなお、海底面を覆い尽くすほどの巨大なサイズ。
それは"ウミガメ"であった。
真っ暗闇の深海の中にぼんやりと赤い光を放ちながら、そのウミガメ型の巨大潜艦は、ガコーン、ガコーン、と音を立てながら、ゆっくり周囲を旋回している。
この星全ての生命を創り出すのなら、これくらいの大きさは必要だろうと、納得させるだけの迫力はあった。
それを眼下に眺めながら、ダンはよし、と覚悟を決めた。
(もう見送りは十分だ。これ以上は危険だから帰ってくれ)
ダンはそう言う意味で、後ろから着いてきている
しかし、その時――
オォァァァァァァ……!
(…………!)
エンジン音の反響なのか、それとも鳴き声なのかよく分からない音を響かせながら、その巨大潜艦はもがいて何かを振り払うように大きく腕をはためかせる。
――そして、ウミガメ型の腹の下から、ズルリと何かが這い出してくるのが見えた。
それは"触手"てあった。
潜艦のサイズ感からすると小さく見えるが、冷静に比較するとその触手だけで100メートルはありそうな長さであった。
そんな伝説のクラーケンのような生物が、エンキの潜艦に取り付いて、動きを阻害していたのだ。
(何だあれは!? あれもエンキが作った生物か!?)
『キュイィィィィーーッ!』
ダンが狼狽えている合間に、
ダンの見送りではなく、これのために着いてきたのだ。
群れのリーダーらしき個体が、ダンに向かって一度だけ頷いたあと、皆に続き果敢にも触手に向かっていく。
あとに残されたダンは、急に目の前で始まった戦闘にどうするべきか考える。
(本来の目的ではない。このまま無視しても問題はないかも知れんが……)
ダンはそう悩む。
確かに問題はないだろうが――少なからず付き合いのある彼らを見捨てて、自分の目的だけを果たすのも、それはそれで後味が悪かった。
(……考えるまでもないな。彼らにはちょっとした借りがある)
『魚雷による支援攻撃を行いますか?』
通信を介して、ノアがダンにそう尋ねる。
(いや、あんな大勢が密集した状態で大型魚雷なんか撃ち込んだりしたら、味方ごと巻き込む上に潜艦にも傷が付く。私が奴を船体から引き剥がし、全員を避難させる。君は携行魚雷を用いて奴を焼き払え)
『了解しました』
ノアの返答を聞くと同時に、ダンは腰元の
(……よし!)
そして静かな気合を入れると同時に、ダンはジェットスクリューをフル回転させて、乱戦の中に突っ込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます