第94話 極点の魔


 (まずは一本……!)


 ダンはジェットスクリューを加速させながら、まるで体ごと体当するかのように、触手に向かって高周波振動ナイフヴァイブロブレードを振り抜く。


 わずか刃渡り一メートルほどのナイフだが、ダンが体ごとねじ込むように突進して、内部でズタズタに引き裂くように振り回すことで、二メートルほどの太さのある触手がぶつりと千切れる。


 触手の肉は粘着くようにやたらと硬かったが、高周波振動ナイフヴァイブロブレードの前では豆腐のように柔らかかった。


 (次……!)


 ダンは休む間もなくすぐさま別の足に至る。


 見えているのはエンキの潜艦の上部に張り付いた触手だけだが、腹側に潜り込むように本体がしがみついているのは明白だった。


 そしてダンは、槍を持って触手と戦う海精アプカルルをも掻い潜りながら、その化け物の全容を見る。


 それは蛸だった。


 帆船をも触手で真っ二つに出来そうな巨大な蛸だが、唯一ダンの知るものとは違う部分があった。


 まるで人間のような顔をしているのだ。


 人の頭蓋骨のような丸い頭に、ぎょろりと見開いた生気の感じられない目。


 そして本来は口と鼻があるはずの部分から、うぞうぞと白い触手が生えてきている不気味な姿。


 およそ通常の頭足類とは程遠い、生命に対して冒涜的な見た目をしていた。


 (気色の悪い奴だ!)


 ダンは水中用小型採掘ミサイル、ハープーン・ボルトをその化け物の眼球を目掛けて撃ち込む。


 どうもこの化け物に関しては、エンキの創り出したものとは毛色が違う気がした。


 エンキが作る生き物は、確かに奇妙なものが多いが、ここまでゾワリと生理的な不快感を及ぼす悪趣味な化け物ではなかったはずなのだ。


 これには何か別の存在の意思が介在しているような気がしていた。 


 そんなことを考えている間に、ハープーン・ボルトは目標に誘導されて、吸い込まれるように怪物の眼球に突き刺さる。


 そして次の瞬間――ボンッ、とくぐもった音と同時に、怪物の眼球に突き刺った矢じりが爆発した。


 「…………!」


 怪物は言葉もなく触手を大きくうねらせたあと、たまらず真っ黒い墨を吐き散らかして離脱する。


 ただの墨吐きも、このサイズ感でやられると周囲の海域が完全に真っ黒に染まる。


 ソナーを搭載しているダンならともかく、肉眼で補足している海精アプカルルたちでは視界を奪われてしまった。

 

 (そこは普通のタコと同じか! 厄介なやつめ)


 ダンはヘルメットの中で舌打ちをする。


 しかし、脅威はそれだけではなかった。


 (…………!)


 見ると、先ほどまで怪物を攻撃していた海精アプカルルたちが、その墨をすった瞬間、胸を抑えて苦しみだしたのだ。


 どうやら墨の中に毒が含まれているようだ。


 海水に接していないダンにはなんの影響もないが、恐らくエラ呼吸をしているであろう海の異種族たちにはかなり効果があったらしい。


 ダンはその毒墨の海域から出来るだけ離れながら、ハープーン・ボルトを構えて周囲を警戒する。


 しかし次の瞬間――広がった墨の奥からズルリと巨大な触手が伸びてきて、毒に苦しんでいる異種族たちを巻き取って、音もなく引きずり込んでいく。


 (……!? まずい!)


 それを見た瞬間—―ダンはジェットスクリューを全開にして、高周波振動ナイフ《ヴァイブロブレード》で次々と触手を切り裂いていく。


 残念ながら何人かは引きずり込まれてしまったが、それでも半分の者たちは救うことが出来た。


 (後ろに下がっていろ!)


 「…………!」


 ダンは音もなくハンドジェスチャーで伝える。


 声が出せずとも意図は伝わったのか、海精アプカルルたちは、墨が広がる周辺から一斉に退避する。


 そしてダンは、皆とは真逆に墨の中を突っ切るように追跡する。


 視界が悪くともソナーで相手の位置はおおよそ分かっている。あとは連れて行かれた者たちを救出し、止めを差すだけであった。


 ボッ、とモヤを払うように墨が広がった海域を抜けたあと、どろどろと未だに墨を吐き散らしながら、逃げる化け物蛸をダンは時速60ノットで追跡する。


 本来何も見えない真っ暗闇のはずが、捕まった海精アプカルルたちが持つ光る杖のおかげで、かろうじて視認出来ていた。


 そしてダンは、捕まっている者たちの中で、先ほど口付けしてきた人魚の少女が囚われている触手を斬り掛かる。


 全身で体当りするようにナイフを叩き込んで、勢い任せに両断する。そして、更に他の触手へと向かう。


 既に何人かは触手で締め上げられて事切れており、半身が潰されて化け物蛸の餌と化していた。


 残念だが、まだ生きている者だけを選別して、ダンは次々と囚われた者たちを救助して行く。


 「…………!」


 好き勝手に暴れまわるダンを本格的な脅威と見なしたのか、巨大蛸はもはや戦う素振りすら見せずに、墨を吐き散らしながら一心不乱に逃げ惑う。


 ――しかし、ずっと相手を船体から引き剥がしたかったダンにとって、むしろそれは好機であった。


 (ノア! 奴に魚雷を撃ち込め!)


 『了解しました。ただいまより携行魚雷の発射準備に入ります』


 そう言うや否や、ノアは二メートル以上もあるロケット砲を構え、逃げ惑う巨大蛸に照準を合わせる。


 如何に携行型とはいえど、魚雷である以上かなりの大きさな上に、総重量は六百キロを超える、海の中でしか使えない超重量兵器であった。


 弾は一発限りで換えもないが、その分威力は通常の魚雷とほぼ変わらない。


 利点としては、補足してから一分以内に確実に相手を仕留めきれることであった。


 『ターゲット捕捉。発射しました。着弾20秒前、19、18、17、16……』


 ノアが魚雷を発射したあと、淡々とした声でカウントダウンを始める。 


 魚雷は静かに気泡の線を描きながら、レーダーに導かれるまま、まっすぐ逃げ惑う敵に向かっていく。


 そして、魚雷が音もなく相手に接近した次の瞬間――


 『3……2……1……今!』


 ボン! とくぐもった音が海底に響くと同時に、化け物蛸の直ぐ真下で魚雷が炸裂する。


 直接の爆発の威力ではなく、急激に発生したジェット水流によって巨大蛸は真上に巻き上げられ、ズタボロに引き裂かれていく。


 「…………!」


 残りの足も全て千切れ飛んだあと、巨大蛸はほとんど原型も留めぬまま、墨を撒き散らして海底に墜落した。


 周囲には静寂が戻り、まき散らされた毒墨に侵された薄ら黒い海だけが残されていた。


 『……対象の生命反応が消失。戦闘を終了します』


 (ご苦労だった)


 ダンは短く答えたあと、自身も武装を解除する。


 そして、先ほどの巨大蛸に囚われて負傷した、人魚や海精アプカルルたちを保護して、海底に横たえていく。


 こんな高水圧下で更に触手に締め付けられて、助けたところで果たして生きていられるか自信はなかった。


 しかしダンが体を揺すると、助け出した人魚の少女は、辛うじて目を開けて微笑んでくれた。

 

 それにホッとするのと当時に、ダンの肩にすっ、と手が添えられる。

 

 (…………!?)


 驚いて振り向くとそこには――数千にも及ぶ大勢の海の異種族たちが勢揃いをして、全員が一斉にダンに視線を向けていた


 恐らく彼らなりの敬意の表し方なのだろう。その者たち一人一人が、胸に手を当てて目礼しているように見えた。


 その光景にダンが圧倒されていると、先頭に立つ一人の海精アプカルルが、槍である方角を指し示した。


 その先には――先ほどと変わらず、悠然と海底を巡遊している、巨大なウミガメ型の潜艦の姿があった。


 体に張り付いた余計なものを取り払ったおかげか、動きも先程より滑らかで、心なしか元気になっているようにすら見える。

 

 (あそこに行け、と言っているのか。……分かっている、元よりそのつもりだ)


 ダンはそれに軽く頷き返したあと、ジェットスクリューを噴射して、ノアと共にその場を離れる。

 

 眼下で見送る異種族たちの視線を受けながら、ダンは水泡の線を引いて、巨大潜艦――"水の館エアブズ"に乗り込んだ。

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