第86話 動力作り
「よし、出来たぞ……!」
ダンは薄暗い部屋で一人、何事か呟きながら茶色く薄っぺらい物を握りしめる。
それは"紙"であった。
恐らくこの世界史上初であろう、工業生産された紙。
手触りや強度も悪くない。
色は漂白剤を使っていないのでやや茶色いが、使う分には問題は生じないだろう。
原料はロムールの麦農家から買い集めた"ワラ"であった。
ダンは紙を大量生産するつもりなので、加工の手間が少なくなおかつ簡単に手に入るワラに目をつけた。
紙というのは植物繊維があれば何でも良いので、別に原料は木に拘る必要はなかった。
極端な話バナナの皮でも水酸化ナトリウムで煮込んで、ドロドロのパルプにしてしまえば紙にできるのだ。
日本でも"わら半紙"という言葉が残っているくらい、ワラは非木材の紙の原料としてはメジャーである。
今回生産した紙だけで、断裁すればA4サイズにおいて五百枚相当はできるだろう。
この星では、質の悪い手漉き紙が市場で三枚に付き銀貨一枚ほどで取引されているのを見かけた。
銀貨一枚といえば農民が倹約すれば一日過ごせる額である。
しかしこの"抄紙機"を使えば、わずか半日で五百枚相当のパピルスより上質な紙を量産できる。
子供たちに自由に使わせても、十分に交易に使う分は余るだろう。
「問題は動力だな……」
ダンは一人そう呟きながら、組み上げた抄紙機の電源ケーブルを見やる。
今動力は船に直接繋いで電力を拝借している有り様だが、いつまでもこんな状態ではダンがいる時以外で紙の生産ができなくなる。
基本的に紙の生産は現地人に委託しようと思っていたので、ダンが居なくても自由に動かせる動力が必要だった。
「太陽光か……シリコンとコバルトはあるから出来なくもないが、水車も必要だな」
ダンはそう構想を描く。
基本的にダンの作る工業機械の動力は、全て再生可能エネルギーによって賄うことにしていた。
幸いなことにダンの作る太陽電池は蓄電効率が八〇%を超えており、二、三台も作れば抄紙機を動かすに十分な電力は手に入る。
あとはパルプをかき混ぜる用の水車があれば、効率的に抄紙機を稼働することが出来るだろう。
(水車……そう、水車か。確か
以前
ダンはそう思い立ち、突如
* * *
「――申し訳ありません、代行。実はあれは……我々が持ち前の技術で作ったものではないのです」
郷に降り立って、早速そのことを聞いてみると、返ってきたのは連れない返事であった。
今はロクジの補佐として
「そうでしたか……ではどこの者があれを?」
カラカラと水を掻きながら、スムーズに回る水車を指してそう尋ねる。
「実はあれは北の
「なるほど……ではロクジに話を通したほうが良さそうですね。今奴はここに?」
「いえ、ロクジ様も近頃はたまに顔見せにくるだけで、ほとんど来られることはありません。私たちを信頼して任せて下さっているのでしょう」
「……面倒を丸投げしているだけではありませんか?」
その疑いながらの言葉に、アヤメはクスクスと笑いながら答える。
「今は男衆も真面目に働いてくれていますし、郷の復興も滞りなく済みましたので。それに元々は私たちの問題ですから、ロクジ様をこれ以上巻き込む訳には参りません」
「それでしたら良いのですが……」
ダンは引き下がる。
元々ロクジにこの
「ダン様! いらしていたんですか!?」
そんな時――カイラがダンの姿を認めてこちらに駆け寄ってくる。
先ほどまで忙しく家事に勤しんでいたのか、着物の袖をまくって、額にはほんのり汗が浮かんでいた。
「やあ、カイラ。今日は少し用があってね。私があげた"ササホ"の種は、順調に育っているかい?」
「はい! もう、わさわさーっ、て凄く伸びてるんですよ!? この調子なら来月には刈り入れできるって皆驚いてます!」
カイラの大袈裟な身振り手振りを交えながら説明する様子に、ダンは微笑ましくなりながら頷く。
「そうかね。最初は収穫することは考えず、ひとまず種を増やすことから始めたら良いよ。一年くらい経てば、田んぼを一面覆い尽くすくらいにはなるからね」
「はい! ……それで、今日はどうしたんですか? 郷の様子を見に来てくれたんですか?」
カイラはキョトンと首を傾げながら尋ねる。
「それもあるんだが……今日は別件でね。水車を作ってもらいに来たんだが、どうやらここではなく北の
「……! なら、私も連れて行ってください! 私なら北の
カイラはふんす、と鼻息荒く言う。
どうやら自信が付いてから、誰かの役に立ちたい欲求が出て来たらしい。
実際はダンが行けば普通に命令するだけで要求は通るだろうが、カイラがいた方が向こうも気持ちよく引き受けてくれるだろう。
それにやる気に水を差すのも難なので、彼女の厚意を受け入れることにした。
「よし、じゃあ一緒に行こうか。私もカイラがいると心強いよ。……そういう訳なので、すいませんがこの子を少し借りて行きます」
カイラの頭に手を置きながら言う。
「はい、どうぞ行ってらっしゃいませ。……カイラ様も、はしゃいで代行にご迷惑をお掛けしてはいけませんよ?」
「もうアヤメさんったら、私そこまで子供じゃありません!」
そう言って、カイラはぷくっ、と頬を膨らませる。
そのやり取りに和みつつも、ダンはカイラを伴って、北の
北の郷は、
正確には日本のそれと多少は違うが、時代にして江戸中期くらいの年代の建築物と酷似していた。
他に比べて、この二種族の郷は完全な森の住人という訳ではなく、どこか別の独自な文明の香りがしていた。
他とは異なるルーツを持っているのかも知れない。
「ふーむ、まさに職人街といった風情だな。大工以外にも色々な職人がいるようだ」
そう言って、ダンは北の
郷の中はいくつも水車を動力とした製材所や職人工房が立ち並び、カンカンと木を打つ音や削る音、また職人たちの怒号が絶え間なく響いている。
桶職人や家具職人、また風呂桶や玩具まで、全て木工を主としたものが店先に並んでいた。
「北の
カイラはダンの隣を歩きながら、まるで自分のことのように誇らしげに語る。
「ほう、鬼族と北の
「はい! 確か大昔に、ここより東にある果ての島国から、私たちは海を渡って共にこちらに移住してきたんだそうです。なのでその頃からの付き合いになるんでしょうか。その経緯までは詳しく知りませんが……」
「――正確には"ホツマ島"と呼ばれる場所ですぞ。我ら北の
そう途中で口を挟んできたのは、他ならぬ郷の長であるロクジであった。
「ロクジ様!」
「一週間ぶりですなぁ、カイラ殿、事前に言ってくださればちゃんと出迎えに参りましたものを」
ロクジはカイラを見て好々爺然とした笑みを浮かべる。
「なんだ、私には出迎えはないのか?」
「……首領様の顔を見ると老骨が軋む音がしますからのう。厄介事を振られる前に身を隠すのは年寄りの知恵というものにございます」
そう言ってロクジはジトッとした目でダンを睨む。その遠慮のない口ぶりに、思わずダンは苦笑した。
「お前は殺しても死なんだろうから老骨の二本や三本折っても大丈夫だ。……ところで、さっきの話だが、詳しく教えてもらって構わんか?」
「それは構いませぬが……何分大昔のことなので儂も詳しくは知りませんぞ? 元々我らはウラの大殿様に仕える密偵……"夜伽衆"と呼ばれるものでございましてな。職人として各国に潜り込んで、有益な情報を伝える仕事をしておったそうなのです」
「ほう、各国、というとそのホツマ島も色んな国に別れておったのだな」
その説明に、まるで戦国時代の隠密のようだとそんな感想を抱いた。
「ええ、そのようですな。それで誠心誠意仕えておったのですが……残念ながらウラ様はホツマ島を統一する最中に弟君に裏切られ、僅かな手勢を引き連れて海を渡って落ち延びるはめになったのです。大恩ある大殿様を裏切るわけには行かず、我らもそれに従ってここまできた、という話ですな」
「なるほど、それが二つの種族の始まりという訳か。その話は確かなのか?」
「さあ? 儂も死んだ婆さんに寝るときに聞かされただけの昔話でございますしのう。ただ、かつて儂らがウラ様から、
二人の視線を同時に受けたカイラは、キョトンとした顔で自身を指差す。
「……確か、お祖父様はゲン
「しゅ、主従関係だなんて! そんなものは今はもうありません! 北の方々とはお互い協力し合っているだけです!」
ダンの言葉を、カイラは慌ててそう否定する。
「はっはっは! あるいはカイラ殿になら主従を復活させて誠心誠意お仕えする
「ふむ、なるほどな」
ダンはそう言って納得したあと、少しカイラを手招きで呼び寄せ軽く耳打ちする。
それを聞いたカイラは、少し困ったような表情をしながらも、ロクジに向かって言った。
「あ、あの、すいません。ロクジ様、こちらで私たちの郷と同じくらいの水車を十基ほど作っては頂けませんか? 学校のために必要だそうなので……」
「い、今の話の流れでカイラ殿に言わせるのは卑怯ではないですか?」
ロクジは唐突な無茶ぶりに呆気に取られたように言う。
「かつての主人筋からの頼みだし、無下にする訳にはいかんだろう? ひとまず十日後までに一基欲しい。残りも最優先で早く頼むぞ」
「ちょ、ちょっとお待ち下さい! 何故か引き受けた体になっておるのも気になりますが、そもそも無理ですぞ! 時間もそうだが木材が足りませぬ! 水車には
「なんだそんなことか。それならこの魔性の森にはいくらでも生えているだろう?」
ダンはそう言う。
魔性の森にはそれこそ、樹齢千年を越えていそうな巨木がそこらにゴロゴロ生えている。
いっぱい生えているからと言って遠慮無しに切り倒すのは問題だが、木材として必要な分を切り出すくらいは構わないだろう。
「簡単におっしゃいますが、そこまでの巨木を切り倒すのにまた一苦労かかります。それで更にここまで運ぶ手間を考えると……」
「分かった分かった! なら私がめぼしい木を切ってここまで運んで来てやる。お前たちは加工と組み立てだけしてくれればいい。それでどうだ?」
「いや、それだけでは足りませぬ! 木材を使うにはまず乾かす工程も必須。 生木のままではとても使い物になりませぬ。水車に使えるほどの大きな木を乾かすとなると、それだけでまず一年か二年……去年からの仕込みが必要となります。唐突に言われてどうにかなるようなものではありませぬぞ!」
そうビシッ、と指を突き付けて言い放つロクジに、ダンはなるほど、と納得する。
「む、そうか。それは失念していたな。木材の乾燥までは気が回らなかった」
「で、ございましょう? 流石の首領様も時間だけはどうにもなりますまい。今回ばかりはお諦め下さいますよう」
したり顔で言うロクジに、ダンはどうにか出来ないかと考え込む。
その為だけに木材乾燥機を作る、というのは現実的ではない。
この時だけにしか使わないものを、わざわざ作る手間を考えると自然乾燥を待ったほうがマシである。
今回ばかりは諦めるか、と考えたその時――ダンの脳内にふとある考えが浮かぶ。
「いや……ちょっと待て。いい手がある」
「え?」
その言葉に、ロクジは訝しげな顔で聞き返す。
「明日までに条件に合った乾燥した大型の木材を持って来よう。ひとまず大木が四本くらいあれば足りるか?」
「ええええ!? いや、無理でしょう!? どうやってそんな短時間で乾かすと!?」
ロクジの驚く顔に、ダンはニヤリと口元を歪める。
「私にしか出来ない方法でだ。ちゃんと加工の準備をしておけよ?」
そう言い放つや否や、唖然とするロクジを余所にダンはその場を立ち去る。
カイラは置いてかれまいと慌ててダンの後ろに駆け寄ったあと、ペコリと最後に一礼して、二人は北の
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