第87話 真空乾燥
『—―現在、本機は地上から約四〇〇キロメートルの高度に到達。外気温は摂氏-148.5℃。天候は"晴れ"。宇宙線による通信障害は現在観測されていません』
「そろそろだな」
ノアからの宇宙天気予報のアナウンスを聞きながら、ダンはひとりそう呟く。
今現在、ダンは船に乗って大気圏の超高高度を航行していた。
前日にロクジに啖呵を切った通り、木材を乾かしに来るためである。
船はまだ宇宙航行エンジンが完全には復旧しておらず、地球における重力圏を脱出する"第二宇宙速度"を出すには至らない。
しかし、通常のエンジンでも衛星を打ち上げる"第一宇宙速度"までは出すことが出来た。
こちらの星の重力は地球の0.92倍ほどだったので、むしろ地球よりも簡単に衛星軌道には乗せられると踏んでいた。
地上約四〇〇キロメートル。地球と大気の組成は少し違うが、この高さからほぼ真空状態になるのは変わらないらしい。
ここでは紫外線もオゾン層や大気の減衰がなく、直接恒星の放射エネルギーが降り注いでくる。
空気による冷却作用もないため、日なたに出た際の表面温度は120℃にも達する。
また高真空状態では物体の沸点が低くなり、常温でも水分がどんどん蒸発する。
ここで"天日干し"すれば、とんでもない速度で木材が乾くことは明白だった。
むしろ直射日光が強すぎて焦げたりしないか心配なので、切ってきた丸太には、グラファイト繊維で表面を保護しているほどである。
「この辺でいいだろう。ノア、格納庫の丸太を外に放出してくれ」
『了解しました』
ダンがそう命ずると同時に、格納庫のハッチが開き、丸太が外に放出される。
木材はダンが選んだ、太くてしっかりした長さ十メートルほどのヒノキの大木を四本ほど乾燥させている。
変に捻れず真っ直ぐ伸びて、しっかり目も詰まっている様子だったので、きちんと乾きさえすれば、最高の木材になることは間違いなかった。
水車ではなく風呂に使いたいとダンは思ったほどである。
あられもない方向に飛んでいかないようビットアイで木材を制御しながら、恐らく史上初であろう、衛星軌道上の干し物作業を開始した。
* * *
「ほら、出来たぞ」
次の日、ダンは約束通りカラカラに乾いた木材を四本納品を果たした。
赤外線で内部を調べてみると、含水率は約20パーセント以下。
温度が上がりすぎて割れないよう日陰を調整しながらジリジリ三時間焼いたかいがあって、木材としては極上の仕上がりとなっていた。
「な、なんですとォ!?」
ドン、と目の前に転がる巨大なヒノキの丸太を見て、ロクジは驚愕の声を上げる。
「これだけあれば水車十基分には十分足りるだろ?」
「た、確かに……! い、いやですがお待ち下さい! 一応木材の状態を調べねば」
ロクジはそう言ったあと、周りを取り巻く職人の野次馬たちに向かって言った。
「おい、"サンゾウ"! ちょっとこっちに来い!」
そう呼び掛けるや否や、職人たちの人集りの中から一人の男がドスドスと歩み出る。
「……なんだ、親父殿」
その左目が潰れて顔に傷の入った男――サンゾウはロクジの息子らしく、親と違っていかにも冗談が通じなさそうな厳格な雰囲気を持っていた。
「ちょっと若い衆を呼んで、この木を使えるかどうか調べさせろ!」
「わかった」
そう答えるや否や、サンゾウは若い職人たちを呼び出して、ダンの持ち込んだ木材を木槌で叩いて調べ始めた。
「ふむ、彼は?」
「ああ、息子でございますよ。今は職人衆の棟梁をやらせています。……おい、そっちは若い衆に任せて、お前はこっちに来て先に首領様にご挨拶しろ!」
「へい」
ロクジがそう命ずると、サンゾウは木槌を若い衆に渡してダンの下に向かう。
「……お初お目にかかります、首領様。サンゾウと申します。お噂は親父殿からかねがね」
そして愛想笑いの一つもせずに頭を下げた。
「一体どういう噂なのかぜひ問い質したいところだが……親父より真面目そうで良い男じゃないか。いかにも実直な職人風といった感じだ」
「何をおっしゃる、儂とてやるときは真面目にやっておりますぞ! 抜きどころを心得ておるだけです!」
ロクジは心外だとばかりにそう言ったあと、サンゾウを背中を叩いた。
「まあこやつは冗談の一つも言わん
「うむ。サンゾウ君の見立てとしてはどうだ? あの材木は使い物になりそうか?」
ダンがそう尋ねると、サンゾウは深く頷いた。
「へい、まだそこまで詳しく見てないので分かりませんが……叩いた感じではよく乾いた音がするし、大きな割れもねえ。数年日陰で干した古材には敵いませんが、かなりいい木です。腕がなりますぜ、こりゃあ」
そう言ってサンゾウは、その仏頂面を微かに歪めて笑みを浮かべる。
どうやら典型的な職人気質らしい。それだけ仕事ぶりには期待が持てそうではあった。
「全くこんなもの一体どうやって手に入れたのやら……首領様のすることは理解に苦しみますわい」
「ただ"天日干し"しただけさ。少し近くまで寄ったがね」
ため息を吐くロクジにそう答えたあと、ダンは更に続ける。
「ひとまずこれで水車を頼むぞ。……あと、これは少し先走った話なんだが、この水車が上手く出来たら、また別の北の
「ほう、なんですかな? それは、木材さえ用意してくれるならこちらは構いませぬが……」
その言葉に頷いたあと、ダンは続けた。
「作って欲しいのは"浴場"だ。それも、ただの風呂じゃなく、大勢入れる大浴場になる。私は
「…………!」
「
その無謀な提案にロクジは呆れたように言う。
実際人間の中では
見かけただけで問答無用で斬りかかられて討伐されるのが、
「だからだ。実際に触れ合って彼らの人柄を理解すれば、ちゃんと分かりあえる相手だと理解できる。お前だってそれは分かってるんじゃないのか?」
「それはまあ……ドルゴス殿は思ったより話せる御仁ではありましたが、だからといって人間がそのような場所に来るとは思えませぬぞ?」
「ロムールの姫様の伝手を使えば人間も集客できるだろう。それに、画期的な商品もいくつか投入して何としても成功させるつもりだ。
そう言ったあと、ダンは更に続ける。
「その一環として、サンゾウくんにもぜひ
「…………」
そうダンが尋ねると、サンゾウは厳しい顔をしたまましばらく黙り込む。
しかしやがて、意を決したようにゆっくり口を開いた。
「その仕事は……俺たちの好きにさせて貰えるんで?」
「ああ、木材だけはこちらで用意させてもらうが、中の構造なんかは全てサンゾウくんの好きに作ってもらって構わない。豪勢で洗練されているのも大事だが、何より一度来た人が何度も通いたくなるような、そういう風呂を作って欲しい」
「一度来た人が何度も……分かりました。あくまで水車の出来を見ていただいてからになりますが……任せていただけるならぜひその仕事をお受けしたいです。そんな大仕事前にして尻込みするのは、職人の
そう熱の入った言葉に、ダンは深きながら答える。
「そう言ってくれたら心強い。それまでに私は
「へい、ご満足いただけるよう、全身全霊をもって当たらせていただきやす」
そう頭を下げるサンゾウの目には、大仕事を前にやる気が滾っていた。
どうやら職人魂というものに火が付いたらしい。
ダンはそれに密かな期待を抱きつつも、自身もやるべきことをしなければと改めて気を引き締めた。
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