第14話 暗黒の海から来る者
「大婆様?」
「長老! なぜこんな場所にまで?」
シャットのみならず族長までもが、その老婆を見て驚愕の声を上げる。
「この黒く輝く不思議なお姿……壁画にある、暗黒の海を渡る神と同じお姿じゃ……! 皆の者、何をしておる。平伏せよ!」
老婆はダンの前に膝を折り、手を合わせて涙すら浮かべながら祈る。
「長老、なにをしてるんだ! こいつはただの薄汚い侵入者だぞ!?」
族長は今もなお、ダンを敵視してその顔を指差す。
「この愚か者! 一族を率いる身でありながら、我らの存在意義を忘れたか? 我ら森の子らがあの地を禁域として護るのは、全てはいずれお帰りになる新しき主様の地をそのままお返しするため! 我らの命はこの御方のためにこそあるのだ!」
老婆は自らの杖でバシバシと族長を叩く。
「ぐっ、何をバカなことを……耄碌したか、ババア!」
「耄碌したのはお主じゃ! わしの目の黒いうちは、この方に刃を向けるなど許さんぞ! ……失礼を致しました、我が主よ。どうかこの者の無礼を平にお許しください」
族長に対する時から態度を豹変させて、老婆はダンの前でうやうやしく礼をする。
(……これは一体どういうことだ? この老人は、私のことを何か別の存在と勘違いしているのではないか?)
ダンは頭の中でそう疑念を抱く。
しかし、少し気になるフレーズもあった。
――"暗黒の海を渡る神"。
抽象的ではあるが、どことなく宇宙航海士のことを連想させる言葉でもあった。
もしかしたら自分の今の状況を理解するヒントが、この老婆の語る言葉の中にあるのかも知れない。
ダンがそう深く考え込んでいる合間に、老婆は改めて言った。
「どうでしょう、むさ苦しい場所ではございますが……どうか一度我が家においで頂いて、少しお話をさせていただくことは出来ませぬか? 我ら森の子らに伝わる、御身の再来の伝説のことなどもお話致しましょう」
そう言われて、情報を求めるダンは渡りに船とばかりに頷く。
『分かりました、御老体。ぜひ色々お話を聞かせて下さい』
「もちろんにございます。……それと、シャットとリラ。お前たちがこの御方を郷にお連れしたんだね?」
「うん」
「そ、そうだけど……」
平然としているリラと違って、シャットは怒られると思ったのか、やや萎縮して答える。
「そうかい……なら、お前たちも来なさい。そして、この御方と出会った時のことや、これまで見た光景や経験したことを、この婆によく聞かせておくれ」
そう思ったより優しい口調で言われ、二人もホッとした様子で「分かった」と答える。
「お、おい、どうするんだ?」
「解散せい、わしはこの御方と少し話がある。全てをはっきりさせた後で、お主らにも一から説明してやろう」
そう言ったあと、老婆は「こちらへ」とダンに振り返る。
そして、その場に呆然とした族長たちを取り残したまま、ダンたちを連れてその場を後にした。
* * *
「さて、まずはどこから話したものでしょうか……」
そう言って、老婆は煙管に火をつけながらそう語り始める。
老婆の家は郷の中でも一際大きく、他のもののようなツリーハウスではなく、ごく普通の地面に接した家であった。
内装は豪華で、いろんな動物の骨や鮮やかな民族的な柄が施された布がいくつも飾り付けられている。
そして、老婆の座る高い座席の後方には、大きな本棚と大量の古びた本が並んでいた。
「御身を見下ろす形となって申し訳ありませぬ。何分、婆なものでして、少し高い椅子に座らなければ膝が痛むのです」
『構いませんよ。……それと、失礼はこちらも同じです。やはり被り物をしたままというのは礼に欠けますね』
ダンはそう言ってSACスーツの首元のボタンを押す。
すると――ヘルメットのアクリルの透過部位が正面から持ち上がって、後頭部にかけてカシャカシャと折り畳まれていく。
そして、全てが背面側に収まったあと、ダンの素顔が露わになった。
「おおお……! なんと不思議な鎧でしょうか。それに、まさかご尊顔を拝することになろうとは……」
老婆はありがたがるように手を合わせる。
「初めまして。私はダン・タカナシ。軍人……いわゆる戦士階級です。今はあてもなく放浪者をやっていますがね」
「これはご丁寧に……我が名は"エリシャ"。お助け頂いたエリヤの祖母であり、そしてこの子らの曾祖母でもございます」
そう衝撃の事実を告げながら、老婆――エリシャは頭を下げる。
「……!? ご家族だったのか?」
「うん。でも、大婆様の孫とか曾孫って、この郷にたくさんいるしね。あたしたちだけじゃないわよ」
「郷の子供の半分が私たちの兄弟姉妹みたいなもの。だから大して珍しくもない」
二人はそうしれっと答える。
「外から移住を受け入れた氏族以外は、ほとんどが我が身の血族にございます。わしらの代は女衆が少なく、一人の女が複数の夫の子を交代で産み育てることも珍しくありませんでした。あの愚か者の族長……"ラース"もわしの不肖の息子でございます」
その話を聞いて、ダンはなるほど、と感心する。
一夫多妻ならぬ多夫一妻。
地球でも昔はそういったやり方で子供を増やす、少数部族が存在していたが、繁栄のためにそういった手段を取らざるを得なかったのだろう。
血が濃くなりすぎるなどの問題は起きそうではあるが、少なくとも種族が消滅するよりはマシということだろう。
「なるほど。大変興味深いお話をありがとうございます。――それで、本題なのですが、あなた方の言う、暗黒の海を渡る神とはなんなのか、是非お聞かせ頂けるとありがたいのですが」
ダンがそう尋ねると、エリシャは深く頷いて口を開く。
「リラ……あの壁画の写しを取ってきておくれ。シャットも一緒にね」
「ん、分かった」
「……私も?」
「いいから」
そう己を指差すシャットを、リラは無理やり引っ張って家の奥へと連れて行く。
その間、エリシャはダンと言葉を交わす。
「それにしても……我ら森の民以外の者が、我らの言葉を自在に操ろうとは驚きました。……いや、あなた様は神になられようという尊い御方。その程度で驚くのは却って失礼というものですな」
エリシャはそう褒めそやす。
「いえ、これは私があの二人から教えてもらって喋れるようになったものですよ。神などといった大それたものではありませんが、少しは違和感なく喋れるようになったと思います」
「なんと……お見事にございます。もはや郷の者たちと比べても遜色ありますまい。そうですか、あの二人が……あなた様をここにお連れしたことも含めて、後で褒めてやらねばなりませんな」
「是非そうしてやって下さい」
そう会話を交わしている合間に、当の二人は部屋の奥から、テーブル一枚分ほどもある大きな紙を、二人がかりで慎重に運んできていた。
「……ちょっと、なんなのよこの馬鹿みたいな大きさの絵は? こんなの何の意味があるの?」
「いいからさっさと持って歩く。今から長老が、これについて大事な話をするから」
ぶつくさ文句を言うシャットをよそに、リラは淡々とエリシャのもとに向かう。
「持ってきた」
「ありがとうね、二人とも。それじゃあ、あの御方の前に広げて差し上げて」
指示を受けて、二人は言葉通りダンの目の前に絵を広げて置く。
そして、ダンがそれを覗き込んだ瞬間、ハッ、と目を見開いた。
「これは……!」
そこには――宇宙服のようなものを着込んだ人物が、現地人たちを従えて、様々なことを成し遂げていくという一連の物語が、絵巻物のように一枚の絵に表現されていた。
壁画のような平坦な絵柄であっても、それははっきりと分かった。
真ん中に立って、人々を指導している者の姿は、どう見ても宇宙飛行士だった。
半透明の球形なアクリルのヘルメットに、鱗状に折り重なった機械装甲。今のダンの着ているSACスーツに、形も非常によく似ていた。
「驚かれましたか? これは我々森の子たちに伝わる予言の物語を表した壁画にございます。残念ながら本物の壁画は、帝国の人間との争いの最中に焼失してしまいましたが……今はこうして複写したものを代々手入れしながら受け継いでおるのです」
エリシャはそう言うと、絵を指差しながら言う。
「この絵が物語の始まりとなっております。"その者、暗黒の海を渡る方舟を用いて、禁じられし森に降り立つ"、と、我らの中ではそう言い伝えられておりました」
エリシャが指し示した先には、確かに宇宙船らしきものが平坦な絵で描かれ、その横には宇宙服を着た主人公らしき人物が佇んでいた。
しかしその人物は、絵の中で膝をついて天を仰いでいた。
(これはもしかして……遭難を表しているのか? 今の私と同じように……)
ポーズ的にはどう見ても自分の意志で降り立ったという感じではない。
ダンには、その壁画の中の人物は、途方に暮れているように見えて仕方がなかった。
「……暗黒の海を渡る方舟というのは、確かに私が持っているものと同じもののようです。私たちはそれを"スペースシップ"と呼んでいます。ただ、この描かれている船とは少し見た目が違いますがね」
そうデザイン性の違いを指摘する。
ダンの船は、開拓と資源採取を目的とした円盤型の輸送船である。しかし、絵の中の船は明らかに戦闘に特化した形をしている。
砲門とロケットブースターを搭載した細長い流線型をしており、壁画の平面的な絵でも、宇宙船だとひと目で分かるくらいに細かく描写されている。
ダンはこの壁画を描いた人物は、宇宙船の構造を熟知した高度文明人だと確信した。
「では……これはいかがでしょう? "彼の者はいかなる傷や病をも克服し、無限の命を持つ。また病める者に治療を施し、その命の源を分け与え給えり"。この絵を表した口伝の一節でございます」
エリシャが指差した先には、宇宙服の人物が、床に倒れ伏した病人らしき者に治療を施している絵があった。
「いかなる傷や病も克服……」
その言葉に反応したのはリラであった。
彼女は、ダンと初めて出会った時に、ダンが腹に空いた致命傷の大穴をあっさり治癒しているのをその目で見ている。
また、病める者に治療を施すという一節は、ほんのついさっき見たばかりである。
リラにはもう、ダンが言い伝えの人物にしか見えなくなっていた。
「確かに……私には病気や寿命といった概念はありません。あるとしたら故障や機能停止でしょう。そういった意味では、その伝説は正しいと言えるかも知れません」
ダンは持って回った言い方をする。
「そうよ! それに、お母さんの病気も治療してくれたじゃない! ダンがその伝説の新しい神様って言うなら、納得しかないわね」
今度はシャットがそう嬉しそうに主張する。
シャットは昨日までのツンツンしていた雰囲気も消えて、母親を助けてくれたことをきっかけに、今やすっかりダンに心酔していた。
「こほん……まあ、その、とりあえず話をすべて聞いてから判断するよ。続きを聞かせて頂けますか?」
極端から極端に振れるシャットの性格が少し心配しながらも、それはさて置いてダンはエリシャに先を促した。
「畏まりました。……とはいえ、次が最後になりましょう。"その者は星々を破壊するほどの強大な力を持ち、また、それと同等に創造の力を持つ『新しき神』である。都市を創り、文明を創り、文化を創り出した。迷える民たちはその者の導きによって大いに栄え、暗黒の時代に光をもたらすであろう"。そう伝わっております」
そう老婆が指差した先には、その宇宙服の人物が、獣の耳が生えたものや、頭だけがトカゲのようになった者、翼の生えたもの、緑色の肌をした異形の怪物、そして人間と、多種多様な種族を従えながら、光へと導いていく絵が描かれている。
「これは……」
「我らに伝わる最後の口伝です。我らライカンや、この魔性の森に住まう数多の同胞たちが御身に導かれる姿が描かれています」
老婆の言葉に、ダンは厳めしい顔で考え込む。
(これは一体どういうことだ……? 私に、彼らの指導者となれと言っているのか? それとも、私とはまったく関係のない、ただのデタラメなのか)
そう答えを求めるも、まったくの無関係とも思えなかった。
ただのデタラメにしては、遭難した宇宙飛行士らしき人物、よく似た宇宙服、そして宇宙船という、あまりに今の状況と共通点が多すぎる。
少なくともこれは、いずれここに来る宇宙漂流者に対して、森の民の口を通じて伝えられた過去の人物からのメッセージであるとも受け取れた。
(そんな馬鹿な……しかし、そう考えると辻褄が合うな)
そもそも、ダンがこの星に来た経緯も不自然すぎた。
ワープポータルに入って意識が飛んだ瞬間、気が付いたら瀕死の重症を負ってこの星に不時着していたのだ。
しかし、ワープ事故に巻き込まれて、たまたま送られた先が知的生命体の住む地球型惑星など、天文学的な偶然にしても有り得ない。
地球と同レベルか、あるいはそれ以上の文明を持つどこかの誰かが、ポータルに干渉するほどの強力な信号をこの地から発しているのではないだろうか?
ダンがこの星へと不時着したのは、偶然ではなくどこかの得体の知れない高度文明人の描いたシナリオである可能性が出てきた。
(ゾッとする話だな……。もしそうなら、とんでもないやつがこの星にまだいる可能性があるぞ。敵対はしたくないが……正体は探る必要があるな)
「? どうなされましたか?」
深刻な顔で考え込むダンを見兼ねて、老婆がそう声をかける。
「あ、いや……少し気になることがありまして。……それと、これを言ってしまうとガッカリさせてしまうかも知れませんが、私は別に、この地に来たくて来たわけではないのです」
そう独白するダンに、エリシャは驚いたような顔で尋ねる。
「ほう! それはまた……どうしてですかな?」
「確か最初、迷い人って言ってた」
ダンに代わり、リラがそう答える。
「そう。私は、宇宙……いえ、暗黒の海を航海中に事故に遭い、本来の目的地から遠く離れたこの地に降り立ちました。いわば私がここにいるのはただの偶然で、救世主足らんとして降り立った訳ではないのです。それ故に、私があなたたちの指導者として繁栄させるなどということは正直約束しかねます」
ダンは、更にこう続ける。
「しかし……私は別にあなたたちを嫌っているわけではない。むしろ先に会った二人のこともあり、ライカン族には親しみを感じています。なので協力できるところは協力し、助けが必要なときは互いに手を差し伸べる。そういった良き隣人、友人としての関係を築きたいと考えておりますが、いかがでしょう?」
その言葉を聞きながら、エリシャはうんうん、と大きく頷いてから答える。
「なるほど……そう言った事情がお有りでしたか。我らとしてもそれは望むべくもないこと。ならば今後は、主様ではなくダン殿とお呼びしても?」
「ええ、構いません。むしろ、私としてもそちらのほうがありがたい。どうも私は人に傅かれるのがあまり得意ではないようです」
ダンはその申し出を快く了承する。
そもそも会って間もない人に、いきなり主様などと呼ばれて跪かれるのは、普通の神経をしているなら嬉しいよりも居心地が悪いが先に来るものである。
何よりダンは、現地人に深入りし過ぎず適切な距離感を保つべきと考えていた。
ダンが持つ科学文明の力は、この地ではあまりに規格外過ぎる。
ダンが気まぐれで肩入れした種族は無条件で繁栄し、現地のパワーバランスをめちゃくちゃにしてしまう可能性がある。
それが発端で無駄な争いが起きる可能性がないとは言い切れない以上、関わり方は慎重にすべきだと考えた。
「……正直に言いますと、わしはあなた様のことを、予言に伝わりし暗黒の海を渡りし神であると本気で確信しております。とはいえ、信仰をその対象に押し付けるのは不敬でありましょう。なのでそれは内に秘め、今後は親しき友として接しましょう」
「ええ、色々ご苦労をおかけします。……ところで、この右端のあたりに、何か描かれていた痕跡があるのですが、これについては何かご存知ありませんか?」
ダンはそう言って、右下の隅の辺りを指差す。
そこはほとんど空白となっているが、何か壁画のようなものの端っこだけが、ほんの僅かに描き残されていた。
「その部分は……残念ながら、長い年月の中で壁画部分が風化して、我らの先祖が復元を試みたときには既に大部分が失われておったそうです。ただ……その部分の口伝だけは残っております。"やがてその者は、宇宙の謎を解き明かし、天地万物を従えし神々の王となるだろう"、と」
「宇宙の謎ですか……」
ダンはその言葉に反応する。
本格的な宇宙開拓時代に差し掛かってなお、未だに宇宙には無限に近い謎が残されている。
仮にその謎を全て解き明かしたとしたら、その者は確かに神にも等しい力を得るだろう。
とはいえ、ただの漂流者である今の自分には望むべくもないことだ。
そんな途方もないことよりも今は、自分をここに連れて来て、このような壁画と口伝を残した謎の人物について調べる必要があった。
「……よく分かりました。ありがとうございます。私はまだこちらに来たばかりで、知識に疎いことも多くあります。もしよろしければ、今後ともこちらの常識などをご教示頂ければ幸いです」
「もちろんでございます。御身からすれば汚い寝床でしょうが……今夜はぜひこの家にお泊まり下さい。皆の誤解を解くためにも、ささやかながら宴も開きますので」
その申し出に、ダンも快く感謝を示しながら、その場の会談は終わりとなった。
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