第115話 交易開始


 十日後――。


 黄金色の砂と美しいターコイズブルーの海岸に、突如として巨影が姿を表した。


 ゴゴーン、と金属同士がぶつかる音を立てながら、南大陸アウストラリスの更に南の端に、巨大ウミガメが上陸を果たした。


 驚いたことに水の館エアブズはこの巨体で水陸両用であったらしく、本物のウミガメよろしく、海岸線の波打ち際まで腕を使って這い登ってきていた。


 昇降口は口の中らしく、喉の奥からエレベーターが降ろされて、そこから大勢の森の住人たちが出て来ていた。


 「よう! 旦那じゃないか、久し振りだなあ!」


 その内の一人、ジャスパーが片手を上げながら出迎えに来たダンにそう声を掛ける。


 「なんだ、お前が来たのか? 姫様との交渉もあるんだから、別に代理の者でも良かったんだがな」


 「そう言うなって! すげー金の匂いがしたからよ、代理のやつだけじゃ荷が重いと思ったんだ。それに姫様との交渉はまたひと月後だし、それまでに戻れば問題ねえさ」


 ジャスパーはそう言って肩を竦める。


 今後連絡船は二週間に一度、魔性の森とこちらを往復させることにした。


 今は白き館エバッバルにビットアイの増産パーツを送るために行き来しているが、それが終わったあともしばらくは交易船として使うことにした。


 ゆくゆくは自分たちで船を造らせて交易するのが理想だが、それを出来るまでにある程度時間が必要だろう。


 まずは結果ありきだ。そこそこの生きていくだけの稼ぎがあれば、更なる豊かさを求めて海に漕ぎ出す者も出てくるかもしれない。


 「ヒュー! それにしても懐かしいなあ、この風景。辺り一面砂ばっかだ。一体何が楽しくてこんなところに住んでんのかねえ」


 ジャスパーは北の果てまで延々と続く、砂漠の地平線を眺めながら言った。


 「ほう、一度来たことがあるような口ぶりだな?」


 「あれ? 旦那には言ってなかったっけ? 俺ら南の獣人ライカンは、南大陸アウストラリスから移住してきたんだぜ? ここのクソあっちいカラカラに乾いた環境に嫌気が差してよ。一念発起してカヌーで東大陸アウストラシアに渡ったって訳だ」


 ジャスパーはそうあっけらかんと言う。


 「なんだ、そうだったのか。イーラは知っていたか?」


 「い、いえ、私たちはほとんど外との付き合いがなかったもので……こういった種族の方々は初めて見ます」


 「あんたら、黒妖ダークエルフ族だろ? 知ってるぜ。俺らの爺様の爺様のそのまた爺様の代には結構付き合いがあったらしいぜ。よろしくな」


 「あ、はい。よろしくお願いします」


 イーラは言われるがまま、ジャスパーに差し出された手を取る。


 どうやら過去には少し付き合いもあったらしい。


 ジャスパーたち南の獣人ライカンに北の人間の国との交渉先を教えてもらえれば、上手く交易の渡りが付けられるのではないかとも考えた。


 「今回は彼女が君たちの雇い主だ。衣食住はもちろん、働き手の皆の報酬もしっかり用意してある。これを見るといい」


 そう言ってダンが革袋を開くと、中から金色の光が漏れ出てくる。


 「うおっ! こ、これは……!」


 ジャスパーは、その中身を覗き込んで思わず声を上げる。


 そこには間違いなく、最高純度の金の輝きと、この星の文明レベルではあり得ない、精巧な造形の模様が彫り込まれた金貨があった。


 金貨には何故かアナの独断でダンの横顔が彫り込まれており、それに対を成すように銀貨にはノアが描かれている。


 そして、銅貨には金星と砂漠というこの地の風景が描かれていた。


 最初は自分たちの顔が硬貨になるのは小っ恥ずかしくて作り直させようと思ったが、黒妖ダークエルフ族たちの反応が絶大に良かった為、このまま使用することにした。


 また、銀貨には半月ハーフムーン銀貨という半円型の硬貨も作っており、それにはノアの顔ではなく、月のレリーフが描かれている。


 二枚合わせたら満月になるという仕組みだ。


 銅貨は銀貨の百分の一の価値しかないため、ジャラジャラ大量に持ち運ばなくてはならない状況が出てくる。


 それによる銅貨不足を防ぐため、銅貨五十枚分の半価値銀貨を鋳造した。


 「これの他に銀貨も銅貨も含めて馬車三台分の量を持ってこさせている。金に糸目は付けんからこの地に港湾を築く手伝いをしてくれ」


 「すっ、げえ……! やっぱり俺っちの金に対する嗅覚は間違っちゃいなかったぜ。木材も全部買い取ってくれんだよな?」


 「ああ。運搬費用も含めて木材一本につき銀貨五〜六枚で買い取ろう。……だが、あれは魔性の森全体の財産だからな。お前が利益の一割取るのはいいが、残りは他の皆に配るように」


 「分かってるって!」


 ジャスパーはそう言いながらもホクホク顔で返事をする。


 今水の館エアブズから運び出されている木材でも相当な量に上る。二千本以上になるだろうか。


 あれから取れた利益の一割といえども、相当な量に登るだろう。


 だが、ジャスパーは決して利益を独占する質でもないので、その辺りは安心して任せることが出来た。


 「神サマ!」


 そうジャスパーと話している横で、突如としてドスドスと足音を立てながら乱入してくる者がいた。


 「ドルゴス君じゃないか! 郷のことは大丈夫なのか?」


 「ム……大丈夫! 若イ奴、任セテキタ! 神サマ手伝イ、シタイ!」


 ドルゴスはニコニコと笑いながらダンの手を取る。


 「そうか! 建築について詳しい君たちが来てくれるのは私も嬉しいよ。それと……君はサンゾウ君か。良く来てくれた。君たち北の獣人ライカンの木造建築技術にも、大いに期待している」


 ダンはドルゴスの後ろに控える、サンゾウたちにも声を掛ける。


 「とんでもねえ。首領様にはいつもいい仕事をさせてもらってる。今日はどんなものを作るんですかい?」


 「うむ。今回の雇い主は私じゃなくて、ここにいる彼女でな。黒妖ダークエルフ族たちの使う、港町を作ってやってほしい」


 「よ、よろしくお願いいたします」


 紹介されたイーラは、二人の強面の男を前に恐縮しながら頭を下げる。


 「無論、今回は魔性の森のことではなく君たちは助っ人の立場だ。報酬はしっかり払うし、衣食住の保証もしよう。労働者一人頭、月に金貨二十枚支払おう。君やドルゴスくんのような専門的な技術者には、さらに十枚追加で支払う用意がある」


 「俺は金貨なんか興味ねえんですけど……受け取ったほうがいいんですかい?」


 サンゾウがそう尋ねる。


 「ああ、もちろん。労働の報酬はしっかり受け取るべきだ。この先物と物の交換はできるだけ少なくして、この金貨や銀貨を使って物品をやりとりさせるつもりだからな。既に魔性の森でも硬貨は一部では使われているんだろう? ジャスパーくん」


 「まあ使ってんのはほとんど俺ら南の獣人ライカンくらいだけどよ。今後は俺らも、ロムールから購入した小麦を他所の郷に売り捌く時は、全部金での支払いに統一させてもらうぜ。物でやり取りするのは嵩張るし面倒だからよ」


 金貨を太陽に照らして見ながら、ジャスパーはそう答える。


 ジャスパーには、ロムールから一括で購入した小麦を、馬車を使って各郷に配給する役割を担ってもらっている。


 もちろん無償ではなく、適正価格で売り歩く行商人の役目である。


 各郷でバラバラに購入するよりも、ジャスパーが代表者として大量に買い込んで、売り歩いた方が交渉しやすいし効率的だからだ。


 これまでは物々交換でなあなあで済ませていたらしいが、今後は金銭の取引だけで統一するつもりらしい。


 「まあ聞いての通りだ。ジャスパーくんの言うように、今後は各郷にも金貨や銀貨を介してやり取りする方向で取り組んでもらう。今からでも商取引に慣れてくれ」


 「分かりやした」


 ダンの言葉に、サンゾウは頭を下げる。


 「しかし、これはスゲーな……。こんなピカピカで綺麗な真ん丸な金貨は初めて見たよ。これならロムール金貨一枚以上で売れるな」


 ジャスパーは未来技術で作られた、鏡面仕上げの金貨を前に、ほう、と感心したような声を上げる。


 この星ではまだ金貨の鋳造は手作業で行われており、その出来は職人によってバラバラであり、含まれている金の量もまばらであった。


 歪な楕円形の硬貨がほとんどの為、ダンの発行する1ミリのズレもない真円の硬貨というのは異質であった。


 「そうなのか? 言っておくが使ってる金の量はほぼ同じくらいだぞ。以前にロムール金貨の金の含有量を調べたから間違いない」


 「いやいや、こんだけ綺麗で精巧に作られた金貨だと、美術的価値や偽物が作られ辛い信用的価値も生まれるからな。下手な金貨だと一回鋳潰されて、後で金を少しだけ抜いて、また作り直すみたいなセコイことが出来るが、これはそれをやるのはまず無理だ。自分の資産を守りたい金持ちなんかは、見た目もいいしこの金貨をこぞって欲しがるだろうよ」


 「なるほど……そういう視点もあるのか。さすがは金の専門家だ」


 ダンが心底感心しながらそう褒めると、ジャスパーは「よせやい」と言って鼻を擦る。


 「今後それは"ベール金貨"と呼ぶことになった。ロムール金貨との交換相場レートを調べて、今度報告してきてくれ」


 「あいよ」


 ジャスパーは軽く頷く。


 後にこの予想が当たり、この"ベール硬貨"は世界で最も美しい通貨として巷を賑わすことになる。


 魔性の森には住人たちが持つ硬貨を求めて、ロムールの商人たちが押し寄せるようになる。


 同じ金貨1枚でもそれ以上の付加価値を持って売れるために、商人たちは多少のリスクを負ってでも魔性の森を目指すようになったのだ。


 魔性の森のような僻地で、困難と思われた商人の誘致を、思わぬ形で果たすこととなったのはまだ先の話であった。


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