第116話 漁師
「イシュベール、久しいな」
そう言ってジャスパーたちと入れ替わるように近付いてきたのは、
どうやら
「やあ、アダパくん。さほど久しくはないかな? 君と別れたのはつい最近のことだ。……だが、ちょうどよかった。君に頼みたいことがあったんだ」
「頼みたいこと? 我々にか?」
アダパは怪訝な顔で聞き返す。
「ああ、君たちは魚を採るのは得意だろう? 良ければここに出来る港に、今後魚や食べられる海産物を卸してはくれないだろうか? もちろんただではなく対価は払う。私としては地引網なんかで環境を破壊するより、君たちに直接採ってきてもらった方が良いと思っている」
ダンはそう提案する。
大陸南端の沖合には、美しい珊瑚礁の海が広がっている。
ここで地引網なんかを引きずったら、せっかくの珊瑚がめちゃくちゃになってしまう。
珊瑚は魚の産卵や住処にも使われるため、壊してしまうと生態系に甚大な被害を与える。
それなら、生まれついての漁師とも言える
「ふむ……他ならぬイシュベールの頼みだ。別に対価など貰わずとも魚くらいは献上するが」
「いや、そういうわけにはいかない。君たちの忠誠心につけ込むような真似はしたくないのでな。それに、そういう一方的な関係は長続きしない。君たちにも私の作る経済圏の中に入って来てくれたほうがいい」
ダンはそう言って、金貨や銀貨を差し出す。
「君たちが採ってきた新鮮な魚や海産物を、金銭で買い取りたい。君たちは私に莫大な金塊を無償で渡してきた。故にこういうものに余り興味がないのは承知の上だが……」
「あれは"力の子"を倒したイシュベールへの礼の品だ。だが……確かに我々はこういったものには疎い。海で生きていく上で、食べるものや何かに不自由したことはないからな。金や財宝など元々必要ではないのだ」
アダパはそう答える。
確かに海では大抵のものが揃っている。食べるものも海の中で過ごす限り、困るようなこともなかっただろう。
しかし、海だけでは得られないものもあるはずだ。
そう考えたダンは、そこらを歩いていた
「すまんが君、今回持ってきた、マンゴーや干しデーツ、あと酒なんかをいくつか持ってきてくれないか?」
「は、はい!」
ダンの命令を受けて、その若者は慌てた様子で馬車に向かう。
しばらくして戻ってくると、その手に持っている、果実や酒類をダンに差し出した。
「お、お持ちしました!」
「うん、ありがとう」
ダンはそう言って受け取ると、腰のナイフで器用に完熟したマンゴーの皮を剥いて、アダパに差し出した。
「これは海にはないだろう? 陸の恵みという奴だ。ぜひ食べて見てくれ」
「ほう?」
ダンから差し出された果実を、アダパは興味深そうに見たあと手に取る。
そして、まるでサメのように歯の尖った口を開いたあと、マンゴーの果肉を咀嚼した。
「む……! これは、なんとも不思議な味だな。なんというか、安らげるような味だ」
そうマンゴーを食べるアダパからは、割と良い感触で受け入れられているように感じられた。
「甘いものっていうのは海の中にはないと思ってね。君ももしかしたら長い年月を生きる間に何度か口にしたことがあるかも知れないが、今後は金貨や銀貨があれば、こういった地上の恵みも自由に口にすることが出来る。これはお金を求める理由にはならないか?」
「ふむ……」
ダンの言葉に、アダパは少し考える素振りを見せる。
そして次にダンは、半透明の液体の入った瓶を差し出した。
「今度はこれを飲んでみるといい」
「ほう、これは?」
「デーツ酒……いわば酒だな。海には酒もないだろう? 地上の者たちはこういうものを飲んで、嫌なことがあればパーっと騒いで息抜きをしているんだ」
「ふむ……酒か。話には聞いたことはある。だが飲むのは初めてだ。せっかくだし頂こうか」
「もちろんだ。ぜひ味見してみてくれ」
そう言うと、アダパは瓶に入った酒をグイっと一気に飲み込む。
――そして次の瞬間、盛大に吐き出した。
「ぐはぁっ! な、なんだこれは!? 毒か!?」
「おいおい、私が君に毒など盛るはずがないだろう? 今のは一気に飲み過ぎだ。酒は慣れるまで少し時間がかかるからな。最初は少しずつちびちび飲むものだ」
ダンの言葉に、アダパは訝しみながらも、まだ液体の残っている瓶を見やる。
そして、今度は少量だけを口に含んだ。
「ふーむ……地上の者たちの暮らしぶりはよく分からんな。こんなものが美味いのか?」
「ああ、これがなかなかどうして、慣れてくると癖になるんだ。気に入らなかったか?」
「いや……酒というものに興味はあったからな。少しだけ嗜んでみることにしよう。それと、この果実は気に入った。海は豊かだが平和すぎて退屈なこともある。こういった新しいものを受け入れると若い者たちも喜ぶかも知れんな」
アダパのその言葉に、ダンは大いに頷く。
「そう言ってくれると紹介したかいがあったよ。よければ果実や酒は試供品としていくつか持ち帰ればいい。……それで、今後は漁師として魚を供給してくれるということでいいのかな?」
「うむ、元よりイシュベールの望みに抗せるはずもなし。それに労働というのも、我らの過ごす長い時間の慰めにもなるだろう。今後は魚を定期的にこの地に届けることとしよう」
ダンはそれに「そうか」と満足げに頷いたあと、隣で呆然と立ち尽くすイーラに顔を向ける。
「……というわけで、今後は彼らから魚を定期的に買い取るということでいいかな? 海産物や海藻類は干物にも出来るし、この砂漠の気候にはぴったりだろう。自分で食べてもいいし、交易品としても使ってもいい」
「は、はい! あの……あまりに急展開過ぎて。こんなにいっぺんに他の種族の方々と会ったのは初めてなもので……」
そう恐縮するイーラに、ダンは言う。
「彼らも元は、君たちの言う旧き神々……いわばアヌンナキの遺跡を守っていた者たちだ。いわば君の同胞のようなものだな。だから、肩肘張らずに付き合うといい。きっと上手くやれることだろう」
「うむ、御身は
「は、はい! ご存知なのですか?」
突如アダパにそう尋ねられて、イーラは驚きつつもそう聞き返す。
「無論、知っているとも。何代か前の族長のマダナック殿とは親しくしていたことがある。だが、四百年前のクインサの"
「あ、あの! 私たち、その頃の生き残りがもう一人もいなくて……記録も焼失してほとんど残ってないので、過去のことが何も分からないんです。もしよければ教えて頂けませんか?」
「良かろう。少し二人で話そうじゃないか」
そう世代を超えた旧友との再開に、二人はダンを介さずとも話し込む。
ダンは旧交を暖める二つの種族の姿を見ながら、これからのことを考えて目を細めるのであった。
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