第117話 国家の黎明


 その後は集めた人員を総動員して、新たな港町の建設に取り掛かった。


 ドルゴス率いる緑鬼オーク族は、海岸の石を組み合わせて波を打ち消す波止場や堤防を築き始める。


 原始的ではあるが、石材の扱いに長けている緑鬼オーク族の作る堤防は非常に頑丈にできており、十分に海岸線を守る機能を有していた。


 またサンゾウ率いる北の獣人族は、ダンが平らに整地した地面の上に木を打ち立てて、簡単ではあるが木造建築を作り始めていた。


 今回はオーガ族の郷のような和風建築テイストはやめてもらって、ダンのイメージに則って建築物を建ててもらうこととなった。


 その肝心なイメージとは、北アフリカにあるチュニジアのような、純白の漆喰の家が建ち並ぶ街並みである。


 ここはまるでモルジブのようなターコイズブルーの遠浅の海に、黄金色の砂浜と美しい広大な珊瑚礁が遥か彼方まで続いている。


 しかも謎の生物が泳ぎ回る魔性の森の海岸と違って、近くに危険な生物も見当たらないので、リゾート地にするのは最適の土地であった。


 通商の拠点でもあり保養地にもなるとなれば、この港町の価値は計り知れない。開発すれば莫大な利益を生み出すことだろう。


 そして、その肝心な街並みを築く漆喰の原料は、水酸化カルシウム――即ち死んで石灰化したサンゴ礁からも取れる。


 珊瑚礁が間近にあるこの海沿いは、そこらを掘ればゴロゴロといくらでも石灰石が採れるので、手に入れるのも容易かったのだ。


 「皆真面目にやってる中こんなことを言ってはなんですけど……これ遊んでるみたいで意外と楽しいかも知れません」


 漆喰で北の獣人ライカンが組み上げた木造の小屋を塗り固めながら、イーラはそう笑みを浮かべる。


 恐らく粘土で遊んでいるような感覚なのだろう。目に見えて自分たちの住処が出来上がっていくのも、やりがいを感じられるのかも知れない。


 漆喰の作り方は、石灰に水と砂、粘着性のある天然糊を混ぜ込んで、あとは乾燥したワラなどの植物繊維を混ぜて練り上げるだけてある。


 あとは北の獣人ライカン族が組み上げた、木箱のような簡素な家に、練り上げた漆喰をコテを使ってベタベタ塗り重ねていく。


 たったこれだけで、猛暑の中でも涼しく、湿気にも強い優れた漆喰の家が出来上がる。


 実際は言うほど簡単なものではなく、塗り方の技術も習得していないので壁はボコボコである。


 しかし、最初はそれでもいい。


 少なくとも漆喰の作り方と最低限の家の作り方さえ伝授しておけば、材料も揃うしあとは自分たちで技術を育てて行けるだろう。


 技術などそう一朝一夕に身に付くものではなく、時間をおいて成熟していくものなのだ。


 いずれは奇麗で機能的な漆喰の家を作れるようにもなるだろう。


 「イシュベール! 試作品が完成しました! どうぞお確かめ下さい」


 そんな事を考えながら漆喰の家造りを眺めていると、横から黒妖ダークエルフ族の若者たちが駆け寄ってきて、ダンの前にガラスコップを差し出した。


 その薄い青緑色のガラスコップは、ボコボコといびつな形をしており、飲み口が厚く手作り感があった。


 「うむ、早速見せて貰おうか」


 ダンはそれを受け取って、日光に透かして見ながら品物を検分する。


 これは彼らが初めて"吹きガラス"で作ったコップであった。


 海岸線から石灰石が山程採れることに気付いたダンは、この地でガラス作りが出来ることに気が付き、突如としてアナに溶鉱炉と火吹竿を作らせたのだ。


 ガラスの原料は石英、石灰、ソーダ灰だけで作れる。


 砂漠の砂はそもそも98パーセントが石英であり、溶解すればそのままガラスになる。この土地においてはそれこそ履いて捨てるほど原料が手に入るのだ。


 しかし石英の融点は1700℃と、そのままでは非常に加工が難しい。ソーダ灰を混ぜて結晶を液状化させることで、融点を1000℃まで下げることが出来る。


 そこに石灰を混ぜることで液状化したガラスが固まって、自由に加工が出来るようになるのだ。


 ソーダ灰だけは今回ダンが水酸化ナトリウムから抽出したものを提供したが、本来は海藻灰からでも採取することが出来る。


 砂漠と言えども、見方を変えれば資源に囲まれていると言えなくもないのだ。


 「うん、悪くないぞ。少しガラスが厚いが普通に使えそうだ」


 ダンはそう言うと、近くで作業しているイーラの方に向かい、コップを見せる。


 「これを彼らが作ったらしい。これからの君たちの主要産業にもなるだろう」


 「ガラス……ですか? こんなものが私たちの手で作れる日が来るなんて……」


 イーラは一旦作業の手を止めて、コップを食い入るように見つめる。


 ガラス製品は透明度が高ければ高いほど高級品として扱われており、ソーダ石灰ガラスは、そのままだと鉄粉やアルミの不純物によって青緑色に変色してしまう。


 透過率を上げて無色透明にするには、更に一酸化鉛を添加する必要があるのだ。


 しかし、この砂漠の砂は通常より石英の比率が高く不純物が少ないらしく、添加物がなくてもそれなりに透明で見栄えもいい。


 これなら十分に売り物になるだろうとダンは考えた。


 「ジャスパーくん! ちょっとこっちに来てくれ」


 ダンは近くで他の黒妖ダークエルフ族の若者たちに、商売人の心得を講義しているジャスパーを呼び寄せる。


 「なんだい、旦那?」


 「講義中にすまん。少し意見を聞きたくてな。これを市場に流すなら君ならどれくらいの値段を付ける?」


 ダンはコップをジャスパーに手渡す。


 ジャスパーはコップを受け取って、日の光に透かして見たり、指先で弾いて音を聞いて、出来のほどを調べていた。


 その光景をガラス作り担当の若者たちは、ゴクリと固唾を呑んで見守っていた。


 「……駄目だな。透明なのはいいが、少し形が歪すぎらあ。値が付いて半月銀貨一枚ってとこだな。多分これ、テーブルの上だと斜めで真っ直ぐ立たないぜ?」


 「…………!」


 ジャスパーの評価を聞いて、若者たちはがっくりと肩を落とす。


 まあそれはそうだろうとダンも思った。まだまだ彼らは三日前にガラス作りを始めたばかり。まともなものが出来るほうがおかしいのだ。


 「残念だな。……だが、形さえ何とかすればいい値段は付くんだろう?」


 「そうだな。まともに真っ直ぐ立つコップなら銀貨二枚出してもいいぜ? それより更に周りが薄くて透明度の高いコップならその倍の値段でも売れる。帝国の一流の職人が作ったガラス食器なんかは金貨で取引されることもある。そこらは職人の腕次第ってとこだ」


 ジャスパーの言葉に頷いたあと、ダンは若者たちに向けて言った。


 「だ、そうだ。君たちはまだガラス作りを始めたばかりだ。失敗するのは当然だ。これにめげずに次はもっといいものを作れるよう頑張ってくれ。そうすれば、いずれガンガン稼いで皆にいい暮らしをさせてやれるようになる」


 「……うす!」


 ダンの言葉に、若者たちは闘志に火が付いたように頷き、一礼してその場から慌ただしく立ち去っていく。


 恐らくこれからまた新しい試作品を作りに行くのだろう。


 黒妖ダークエルフ族の若者は、全部で三グループに分けてそれぞれの技術を学ばせていた。


 一つはドルゴスやザンゾウの下で働かせて建築技術を学び、一つはジャスパーや南の獣人ライカンたちの下で商取引を。


 そして、最後の一つのグループにはこのガラス作りを試させていた。


 他と違ってガラス職人には教えられるつて・・がなく、最低限の製法以外は一から技術を確立してもらう必要がある。


 しかしガラス作りに手を上げた若者たちは皆意欲に溢れて、自分たちでなんとかしようという自立志向の強い者が揃っていた。


 この分なら、時間さえあれば良いものを作れるようになるだろう。


 そしてこの若者たちは港町が完成したら、ドルゴスやサンゾウたちに付き従って魔性の森に向かい、そのまま学園に通う手筈となっている。


 技術の伝授も大事だが、この地を長く発展させることを考えると、やはり基礎的な学力は持たせてやりたい。


 「まさか、未来に希望が持てるようになるだなんて……以前では考えられないことでした。今日明日の水にすら事欠く私たちに、イシュベール……いえ、ダン様が光をもたらしたのです」


 彼らが去る姿を見送りながら、イーラは陶然とした顔でダンに向かって言う。


 「いや……随分とここにくるのは遅れてしまった。本来はもっと早く来る事もできた。君たちを余分に長く苦しめてしまったことに関しては申し訳なく思っている」


 「そんな……良いのです。最後には救って下さったのですから。一度は私は、我が一族をこの地に縛り付けた神々を呪い、姿すら分からない貴方様に激しい怒りを覚えました。ですが今は、この命尽きるまでお傍でお仕えしたいと思っています」


 「いや、それは……」


 そう改めて懇願されて、ダンは言葉に詰まる。


 この先、イーラを連れて行くことは考えなかった訳では無い。


 彼女はどうも放っておけない。一人に放逐すると、思い詰めすぎてどこかで壊れてしまいそうな危うさを感じていた。


 しかし現地人を、自身の危険な"巡礼"に巻き込むことにもダンは躊躇いを覚えていた。


 「私などが居ても邪魔なだけかも知れません。お慈悲を賜ろうとも思いません。ですがどうか……お傍に仕えることをお許しいただけませんでしょうか?」


 「…………」


 そう哀願する彼女に、ダンは深く瞑目して考え込む。


 このまま突き放すのは簡単である。普通に断れば、恐らく彼女はダンに従うだろう。


 しかしイーラに関しては、自分の目の届く場所に置いておいた方が、彼女の為にも良い気がしていた。


 「――分かった。君も連れて行くことにしよう。一族の後のことを誰に託すか、今のうちに決めておくといい」


 「ほ、本当ですか!? ありがとうございます! 断られるかと思っていました……!」


 イーラはぱっと花が咲くような満面の笑みを浮かべる。


 「ああ。……だが、付いてくる以上は足手まといのままという訳にはいかない。ちゃんと戦力になるよう鍛え直す。言っておくが、訓練となると私は厳しいぞ? 付いてきたことを後悔するかも知れん」


 「……! いえ、後悔しません! 絶対にお役に立てるよう頑張ります!」


 そう強く言い切るイーラに、ダンは頷く。


 「……まあ、君は既に一度実戦を経験しているから、アヌンナキの遺跡の中での戦いがどんなものか理解出来ているだろう。今後は君にも装備を支給して一端の戦士として扱う。頼りにしているぞ」


 「は、はい!」


 ダンの言葉に、イーラは嬉しそうに頷く。


 いずれイーラは、この地を治める黒妖ダークエルフ族の長となるのだろう。


 そしてこの砂漠の集落に大勢の人々が集まれば、国となりイーラがその女王となる未来もあり得るのかもしれない。


 ならばそれまで傍に置いて、しっかりと人の上に立つものとしての教育を施してもいいだろう。


 ダンはその光景を想像しながら、着々と形を成しつつある港を前に思いを馳せた。

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