第7話 動機

 「ふぁ……?」


 いつもと違う、柔らかな感触とともに目覚めたシャットは、ぐぐぐ、と猫のように伸びをしながら、周囲の状況を伺う。


 ……知らない、天井だ。などというネタを知るはずもなく、シャットは寝ぼけた頭で記憶を整理する。


 そうだった。自分はあの、怪しい人間の家に泊まったんだった。


 寝込みを襲われないよう、寝る前はいつでも動けるよう気を張っていたにも関わらず、気付けば朝まで熟睡してしまっていた。


 それもこれも、このふかふかすぎる寝床が悪いのだ。


 ふと横を見ると、隣で同じように、深い眠りについている妹が見えた。


 口を開けば憎たらしいが、寝ている姿は可愛いものだな、とシャットはそんなことを考えながら、ぷに、とほっぺたを押す。


 「ふぇ……?」


 「ほら、起きなさい。今日は早くに帰って、お母さんのために薬草を摘みに行くんでしょ?」


 シャットがそう言うと、リラはしょぼしょぼと目を擦ったあと、のそのそと緩慢な動作で起き上がる。


 どうも妹は朝に弱く、寝起きは全くと言っていいほど使い物にならない。


 しかし、流石に今日は大事な日であると理解しているのか、自力で身支度を整えた。


 「おあよ……」


 「おはよ。ほら、さっさと行くわよ! 今日は正念場なんだから、シャキッとしなきゃ」


 「うん……」


 寝起きのときだけ素直なリラは、言われた通り顔を洗って、シャットの後ろをのろのろ着いてくる。


 いつもこうだったら可愛いのに、と思いながら、シャットは休憩室の扉を開けた。


 「おや? おはよう。早いじゃないか。昨夜はしっかり眠れたかい?」


 「ええ、それはもうぐっすりとね。……ところでさっきから何かいい匂いがするんだけど」


 シャットはそう言って、鼻をクンクンと動かす。


 「朝食を用意したんだ。今日は結構な距離を歩く羽目になりそうだからね。もちろん、君たちの分もある」


 「その……これだけしてもらっといて何だけど、私たち、何も返せるものなんかないわよ、悪いけど」


 流石に世話になりすぎたと思ったのか、シャットは若干気まずそうに言う。


 「はっはっは! 子供はそんなこと気にしないでいい。……まあ強いていうなら、情報は欲しいから、色々とこの辺りのことを教えてくれると助かるがね」


 「っていうか、ダン、喋り方……」


 リラは眠たいながらも違和感に気付いたのか、そう指摘する。


 「おや? よく気付いたね。実は昨日、君たちと話している途中から、徐々に言葉を聞き取れるようになっててね。まだ発音と接続詞が不安なんだが、上手く喋れているだろうか?」


 「凄い……もうほとんど私たちと変わらない。多分他の人に聞いても、郷の住人と変わらないくらい喋れてると思う」


 「あんた、一日足らずで亜人語を喋れるようになっちゃったの!? どんだけ無茶苦茶なのよ……」


 「私は、こういうことには少し有利な体の構造をしているからね。……まあ、そんなことはいいじゃないか。とりあえず朝食を楽しもう」


 ダンはそう言うと、「ノア」と言ってパチンと指を打ち鳴らす。


 すると、壁際からにゅっ、とロボットハンドが現れ、テーブルの上に朝食を配膳していく。


 「……もう驚かないわよ。あんたのやることに、いちいち反応してたらこっちが疲れるだけだもの」


 「適応してくれたようでなによりだ。さあ、一緒に食べよう」


 「これは……?」


 リラは、椅子とテーブルの上に並べられた、香ばしい匂いを放つ朝食に目をやる。


 「てりやきチキンとチーズのホットサンドだ。デザートにフルーツヨーグルトもある。朝からは少し重いが、今日はかなり歩くから、これぐらいがちょうどいいだろう」


 「いい香り……」


 「この臭い……乾酪かんらくじゃない! あんた、よくも次から次へと、こんな高いもの私たちに出せるわね」


 「大事なお客様に、良いものを出すのは当然だろう? それに、チーズがあるとないとじゃ、ホットサンドの出来に大きく関わるからね。……というか、もう驚くのはやめたんじゃなかったのかい?」


 ダンがそう指摘すると、シャットは「そうだったわ……」と言って、椅子に座る。


 「長話で冷ますのもなんだし、さっそく食べようか。いただきます」


 「「今日の糧を与え給うた、我らが森の主よ。御許の身に光あれ」」


 独特の宗教観が鑑みえる食前の挨拶を済ませたあと、二人はホットサンドに口をつける。


 「あつっ! ……でも、凄く美味しい」


 「ほんと……こんな美味しいもの食べたの初めてよ。お母さんが大変なときだっていうのに、あたしたちだけこんな良いもの食べてていいのかしら……」


 「君たちはこれから、過酷な道を歩かなければならないからね。食べられる内に食べておいた方がいい。……というか、お母さんになにかあったのかい?」


 「……!?」


 ダンの言葉に、リラは、来た! と身構える。


 話を切り出すタイミングを伺っていた矢先に、向こうから歩み寄って来てくれた。


 この好機を逃すまいと、リラは意を決して口を開く。


 「……実は、そのことでダンにお願いがある」


 「ん?」


 改まった様子のリラに、ダンは首を傾げる。


 「私たちがこの"禁域"に来たのは、お母さんの病気を治すため。どんな病気にも効く薬草があるって言われて、私たちは郷の掟を破ってまで、この場所に入ってきた」


 「うん、なるほど」


 ダンはコーヒーを啜りながらも、リラの話に傾聴する。


 「……だけど私は、正直そんな話は信じてない。薬草を煎じて飲むだけで、どんな病気も治るなら、薬師も治療師も必要ない。この世に病気の人はいなくなっちゃう」


 「まあ……それは私も同意見だな。この辺りの植物に詳しくはないが、そんな都合のいいものがあるとは思えない」


 やはりこの子は賢い子だな、とダンはリラを見てそう思う。


 「そう。だから私は……ダンにお母さんを助けて欲しい。薬草は無理でも、私はダンなら信じられる。シャットを生き返らせたダンの力なら、きっとお母さんも助けられると思う。だからお願い……!」


 「……! 私からも!」


 二人はそう言って、ガタンと椅子から降りて膝を付き、ダンに向かって拝むような姿勢を取る。


 恐らくこれが、彼女たちなりの頼む態度なのだろう。


 しかしダンは、それを見下ろしながら困ったことになった、とコーヒーを啜る。


 実際、リラの判断は正しい。ダンなら、大抵の病気は治すことができる。


 なぜなら"ナノマシン"があるからだ。


 ナノマシン技術が発達して以降、人類は病気というものをほぼ克服したと言っても過言ではなかった。


 ナノマシンは、生身の人間に注入すると、その宿主のゲノム情報を解析して同化し、癌化した細胞や外部から入ってきたウィルスなどを破壊する、いわば強力な免疫の役割を担ってくれる。


 これにより、ウィルス性や免疫系の疾患に関しては、ほぼ全てナノマシンだけで完結できるのだ。


 しかし、ナノマシン治療も、有用性が確認されたのはあくまで地球のホモ・サピエンスに対してであって、彼女たちのような別種族に対して有効かどうかまでは確証が取れていない。


 下手をすれば、治療のつもりが拒絶反応が起きて、それが原因で殺してしまうことも考えると、なかなか踏み切れないのも事実であった。


 「ダン……?」


 難しい顔で黙り込むダンに対して、リラは不安そうな視線を向ける。


 (しかし……ここで無下に断るのもな。情報提供者として、彼女たちと親交を深めるのも悪いことじゃないし、後々のことを考えると、現地住民との仲は良好にしておきたい……)


 ダンの頭の中に、色々と打算的な考えが巡る。


 (そもそも……この子たちはお母さんを救うために、こんな危ない場所に子供だけで入ってきたんだぞ? そんな子の頼みを断るようじゃ……私は軍人として失格だな)


 最終的にその考えに至り、ダンは結論を出す。


 「分かった。とりあえず私が診よう。ただ、治療の必要がないと判断したら、何もしないぞ。それでいいなら同行してもいい」


 「……!? うん! ありがとう、ダン」


 「その……お母さんのこと、お願いします」


 もう既に助けてもらった体の二人に対して、ダンのほうがプレッシャーに感じて不安を覚える


 (……大丈夫だよな? ナノマシンの機能上、ある程度どんなゲノ厶にも解析して適合してくれるはずだが……)


 そう理屈では大丈夫と理解しつつも、ダンは微妙に味がわからなくなったホットサンドをコーヒーで流し込んだ。

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