第141話 蟻の一穴

 ダンが賭けで勝った分の金貨は、意外にもすんなり支払われた。


 もっとゴネて下手をすれば、よそ者である自分たちにはまともに払われすらしないんではないかという危惧もあったが、教会側としても闘技場の博打は信用を大事にしているらしい。


 しかし、教会でまともに受け取るには喜捨として勝ち額の一割を納めなければいけないらしく、結局ダンに払い戻された額は、合計で金貨二万と四千枚ほどになった。


 窓口にはちょうどエリアスがおり、ノアに会えて嬉しそうに駆け寄ってくるも、その後百キロ以上もある巨大な金貨袋を一人で軽々持ち上げているところを見て、驚きのあまり真っ白になっていた。


 そんなこんなで再び闘技場に舞い戻り、またイーラの試合を見守ることにした。


 「東の方! 無所属、序列八位、自由闘士枠! 黒き閃光のイーラ!」


 「うおおおおッ!!」


 流石に三日目ともなると認知度も上がってきたのか、イーラの登場に割れんばかりの歓声が湧き上がる。


 前日からデロスが今日の試合を触れ回ったおかげか、客席は平日にも関わらず満員であり、凄まじい熱気が漂っていた。


 「西の方! 解放闘士同盟所属、序列三位、自由闘士枠! 鉄壁のジョルダーノ!」


 「おおおおッ!」


 相手方も人気があるのか、負けず劣らず歓声が向けられる。


 ダンの掛けた賞金が効いたのか、イゾルデとの試合の直前に、突如として拳闘士との試合も決まった。


 剣闘士であるイゾルデの前ではいわゆる前座の扱いだが、それでも序列三位なら油断ができる相手ではなかった。


 相手の所属する"解放闘士同盟"とは、いわゆる百勝をして自由を勝ち取った元奴隷闘士の集まりらしく、一人として弱いやつはいないという、強豪集団とも言われていた。


 ちなみに今回以降は、ダンも賭けに参加するのはやめておいた。


 金貨が重くてかさばりすぎるのと、イーラの人気が出てきたこともあって倍率オッズが下がり、リスクとリターンが見合わなくなってきたからだ。


 (体が大きいですね……。攻撃は通り辛いかも知れません)


 イーラは相手の二メートルを超す巨大な体格を見ながらそう分析する。


 小柄のイーラと比べると、まるで大人と幼児であった。


 ジョルダーノは、筋骨隆々で手足も太く、また体の所々に岩のような形状をしたコブがついており、あれが見た目通りの硬さなら、なるほど鉄壁の二つ名も頷けるなとダンは思った。


 「見たことがない種族ですね。あれは一体どういう闘士なんですか?」


 ダンはすっかりお馴染みとなった解説役のドレヴァスにそう尋ねる。


 「あれは恐らく大地巨人アースジャイアントの末裔だろう。かなり希少な種族で、見た目通り馬鹿みたいに硬いし力も強い。……だが鈍重だ。あいつの付けている手甲を見りゃ分かる」


 そう言うドレヴァスの視線の先には、ジョルダーノが身に着けている、肘まで覆った分厚い鉄板のような手甲があった。


 「……なるほど、もう速度は捨てている感じですね。だから"鉄壁"だと」


 「あの防御は俺でもぶち抜くのに苦労するだろうよ。お嬢ちゃんがどうやって攻略するか観物だな」


 「なに、どんな頑丈な大男でも打たれたら必ず倒れる急所があります。イーラにはそれを仕込んでいますので、何とかなるでしょう」


 「…………ホント、何者なんだよお前は一体」


 ダンの明らかに大人びた口調にドレヴァスが呆れている間に、試合開始のドラがジャーン、と盛大に鳴らされる。


 「試合開始ィ!」


 「…………!」


 その合図と同時に、ジョルダーノは自分の身体の前に前腕をガッチリ合わせて、堅固な防御の態勢を取る。


 (速さじゃまるで敵わん……だが、勝てずとも負けないのが俺の戦い方だ。うちの娘と同じ年くらいの子とやり合うのは罪悪感があるが……容赦はせんぞ!)


 (う〜ん……まるで城壁ですね。正面から行くのは骨が折れそうです。でも――別に真っ向勝負する必要はないんですよね)


 イーラはそう判断するや否や、地面を蹴ってジョルダーノに突進する。


 (来たか……!)


 拳の間からイーラの姿を確認しながら、ジョルダーノは迎撃する拳を合わせる。


 しかしその時、


 (なっ!? 消え――)


 突如として、イーラの姿が掻き消え、ジョルダーノの拳は空を切る。


 ぐおん、と風切り音を鳴らした拳はそのまま勢いよく地面に突き刺さり、深く大地を抉る。


 しかしどれほど威力があろうとも、当たらなければなんの意味も成さなかった。


 イーラは既にジョルダーノの間合いに入る寸前に真横にステップしており、無防備な側面から襲いかかっていた。


 (確か……直撃させるより、軽く掠めたほうが良いんですよね。顎先を払うように、スッと――)


 脳内で教えられたイメージを反芻させながら、ジョルダーノの顎先めがけて拳をガードの隙間に差し込む。


 直撃ではなく、拳半個分を当てて掠めるように。


 そしてスパン、と顎先を打ち抜いた、次の瞬間――


 (なっ……!?)


 突如としてジョルダーノの膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。


 あまりに綺麗に入り過ぎて、ジョルダーノは自分がどこを打たれたのか認識することが出来なかった。


 場内でイーラが一体何をしたか、気付いている者すらほとんどおらず、急にへたり込んだジョルダーノに全員が困惑する声を上げた。


 (わっ……すごい。ダン様の言った通りだ。本当に倒れちゃうなんて……)


 しかしその結果に一番驚いているのはイーラであった。


 ダンからこうすればどんな大男でも簡単に倒れると聞いたものの、その効果には半信半疑だったからだ。


 倒れている相手に追撃は禁止されているため、不思議そうな目でジョルダーノを見ながらその場から離れる。


 「おい、立てるのか!?」


 審判が近付いてきて、ジョルダーノにそう声をかける。


 「あ、当たり前だ! 何、昨日飲みすぎて少し立ち眩みがしただけだ。すぐに――」


 そう言って立ち上がろうとするも、ジョルダーノの膝はガクガクと笑い、今度はそこに尻もちをつく。


 「なっ……!?」


 「おい! 立てないのならそのまま反則負けにするぞ!」


 「ま、待て! なんにも効いちゃいない! まだやれる! まだやれるんだ!」


 ジョルダーノはそう言って膝をバシバシと叩きながら、必死に立ち上がろうとする。


 ――しかし無情にも、膝に力が戻ることはなく、再びその場に倒れる。


 地面がまるでスライムのようにぐにゃりとうねっているように感じられて、ジョルダーノは自分が一体何をされたのか、混乱の極致にあった。


 やがて何度も立ち上がろうとしては失敗するジョルダーノに痺れを切らして、審判は腕を大きく交差させる。


 「ま、待て、俺はまだ闘える!」


 「――勝者! 黒き閃光のイーラッ!」


 ジョルダーノの抗弁も虚しく、そう宣言された瞬間客席から怒号と困惑の声が上がる。


 「審判! 本人がまだやれるって言ってるだろーが!」


 「テメー、なにが鉄壁だ! あっさりやられてんじゃねえぞ!」


 「おい、今何されたのか見えたか?」


 「さあ……顔のあたりで何かやってたような……」


 「あんな簡単にジョルダーノが倒されるなんて見たことがねーぞ!」


 観客席がざわつく中でも、イーラは冷静に次の試合のために、シャドーボクシングで身体を作る。


 その光景を見ながら、ドレヴァスはううむ、と厳しい顔で唸る。


 「顎か……確かに、あそこを殴られると急に足腰が馬鹿になるやつはたまにいたな。あの速さでそれを狙って打てるのは恐ろしいが……」


 「イーラの一番の強みは、目の良さと反応の速さですから。拳半個分ほどを顎に引っ掛けて、スッと綺麗に打ち抜いたんでしょう。あの正確さこそが彼女最大の武器ですね」


 ダンは子供の体で見えていないながらも、大まかに予測して言う。


 イーラは弓を得意とする耳長エルフの種族特性として、狙いを付ける正確さと戦闘のセンスに関しては常人の倍は優れていた。


 身体能力はパワードスーツによって大幅に底上げされているものの、それを余さず正確に使いこなしているのは、間違いなく彼女の実力によるものであった。


 「……俺はお前の歳でそこまで戦闘について語れるほうが恐ろしいがな。金持ちのガキは皆そうなのか?」


 「どうでしょう? 知ったかぶりでものを言ってるだけかも知れませんよ?」


 ドレヴァスの言葉に、ダンは肩をすくめながらはぐらかす。


 それを余所に、肩を落としながらジョルダーノが引っ込むと同時に、新たに入った者を見て、場内がにわかに沸き立った。


 次こそ、待ちに待った本日のメインイベントだと誰しもが理解出来たからだ。


 「――西の方! 解放闘士同盟所属! 序列四位、自由闘士! 幻惑のイゾルデ!」


 「うおおおおおッ!!」


 場内の歓声に答えて、その艶めかしい肢体を見せびらかすようにくねらせたあと、イゾルデはイーラに向かって挑発するような眼差しを向けた。

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