第140話 新たな闘士


 「お疲れさま、いい試合だったよ」


 闘士の控え室から出てくるイーラを出迎えながら、ダンはそう声を掛ける。


 「坊ちゃま! 本当怖かったですよ。あの斧の人、本気で殺す気で来るんですから!」


 イーラは顔を綻ばせながら答える。


 「剣闘士だからね。でも、冷静に対処してたじゃないか。こちらも安心して見れたよ」


 ダンがそう褒めると、イーラは「えへへ」と照れくさそうに頬を掻く。


 最近は色んな人と関わっている故か、イーラも年頃の少女のようにイキイキと表情が変わってきている。


 良いことだ、とダンは素直にそう思う。


 「いやー! 素晴らしい! 実に素晴らしいぞ! あの観客たちの驚いた顔! 我が人生においてもっとも愉快な瞬間の一つと言えような!」


 その和んだ空気をぶち壊すような大声をあげながら後ろから出てきたのは、まさにホクホク顔というに相応しいほどに上機嫌な、デロスであった。


 「お疲れ様です、デロスさん。どうやらイーラの試合を組むために随分と骨を折っていただいたようで。ありがとうございます」


 「おお、坊っちゃん! なんの礼を言うのはこちらの方ですぞ! イーラ嬢はドレヴァス以来の最高の逸材です! 曲がりなりにも実力者の剣闘士を真っ向から打ち破った女性闘士となると、その人気は天井知らずとなるでしょうな!」


 デロスはそう言って、心底愉快そうに手を叩く。


 しかし、すぐに真面目な顔になって言う。


 「……しかし、それで少し困ったことになりましてな」


 「と、言いますと?」


 「それが、先程の試合でイーラ嬢を恐れて、試合を組んでくれるものが極端に減って来てしまったのです。イーラ嬢は技術も確かで、目にも止まらぬ速さもある。しかも、ウルゴスのプレートアーマーを拳の一発で凹ませたほどの破壊力まで持つとなると、闘士として隙がなさすぎるのですよ。壊されるのを恐れて、戦う前から尻尾を巻いて逃げてしまう者ばかりです」


 「なるほど……それは困りましたね」


 ダンはその言葉に納得する。


 地球でも、強すぎるボクサーは試合をしようにも、他のチャンピオンから断られて試合が中々組めない、なんて事が多々あった。


 負けたら自分の持ってる序列を奪われる上に、女に負けたというレッテルを貼られてしまう。強すぎるイーラと戦うメリットがまるでないことになってしまう。


 しかしボクシングの場合は、相手にファイトマネーを多く支払うことで試合のマッチングを実現してきたはずだ。


 「彼女と戦うだけで賞金を出しましょうか? イーラと試合を組むだけで金貨二千枚、倒せたら金貨五千枚という条件で。資金は僕が出しますから」


 「おお、なるほど! それは良いですな! ではさっそく、その条件で各所に掛け合って参りますぞ!」


 「――その話、本当かい!?」


 デロスがそう言ってその場を立ち去ろうとしたその時、横から女の声が割って入る。


 全員が一斉にそちらを見やると、そこには――踊り子のような露出の多い衣装を纏った赤髪褐色の女が、目を輝かせてダンたちの後ろに立っていた。


 「試合をするだけで金貨二千枚!? おまけに勝ったら五千枚だって!? やるやる! あたいがやるよ! そんな美味しい儲け話出されて、受けない方がどうかしてるって!」


 「"イゾルデ"! そうか、お前が居たか!」


 デロスはその女を見て、我が意を得たりとばかりに手を叩く。


 「失敬、彼女は……?」


 「おお、これは一人で盛り上がって申し訳ない! 彼女は、イーラ嬢が来るまでは唯一の現役女性闘士であった人物で、名を"幻惑のイゾルデ"と言いますぞ。名うての剣闘士で、上位の序列持ちでもありますな!」


 「へえ……」


 ダンはそう言って、イゾルデの姿を改めて見やる。


 踊り子のような扇情的な衣装ではあるが、その奥から見える身体は引き締まり、また所々で体に切られたような傷が見えることから、戦士としてのポテンシャルの高さが伺える。


 種族は猫科の獣人ライカンらしく、柔軟で機敏な動きを得意とした戦士だろうということは予測がついた。


 「おやおや、どうしたんだい? そんなにあたいの身体をジロジロ見て。そういうのが気になる年頃なのは分かるけど、坊やにはまだ早いんじゃないかい?」


 そう言って、イゾルデはからかうように下から覗き込みながら、ダンに自身の肢体と谷間を見せびらかす。


 「いえ、すいません……綺麗に引き締まった身体だなと。実際に戦ったらさぞや強そうだと思いまして」


 「ほう? 坊やは見ただけであたいの実力が分かるってのかい? 面白いねえ。男衆に舐め回すように見られるのは慣れてるけど、そんな風に見られるのは初めてだよ」


 「おい! こちらの坊っちゃんはな、ここにいるイーラ嬢のご主人様で、幼いながらに闘士を見抜く目は確かだ! あまり失礼なことを言うもんじゃないぞ!」


 何故かデロスが咎めるように言う。


 どうやらデロスはダンのことを自分と同じ闘技場狂いの同士と見做しているふしがあり、いやに協力的であった。


 「へえ、ここにいるお嬢ちゃんの! さっきの試合見てたよ! まさかあたい以外の女闘士で、あんなに強いやつがいるなんて! ぜひ、仲良しになりたいって思ってたんだよ」


 そう言って、イゾルデはイーラに息を吹きかけながら、妖艶に絡みつく。


 「え、えええ!? こ、困ります! 私、同性同士というのはちょっと……」


 イーラは顔を引きつらせながらイゾルデから顔を背ける。


 「あははは! 冗談冗談、あたいだってそっちの趣味はないよ。だけどさ、仲良しになりたいってのは本当だよ? あのむさ苦しい闘技場の中で、自分と近い歳の女の子が男ども相手に活躍してるのを見ると、話してみたいって思うのも不思議じゃないだろ?」


 「そ、それはまあ、確かに……」


 イーラが納得すると、イゾルデはパッと手を離す。


 「ま、お近づきの印に〜って訳じゃないけど、対戦相手がいないんだろ? だったらあたいとやろうよ。事情は知らないけどさ、上を目指してるんだろ? こっちは金は貰えるし、お互いいい話だと思うんだよね〜!」


 「イゾルデはこう見えて剣闘の序列四位、最上位の実力者ですぞ! この闘技場初の女性闘士同士の戦い! 華やかさも相まって、盛り上がりますなあこれは!」


 デロスはすっかりその気になったのか、熱に浮かされたようにそう答える。


 ダンが見る限り、イゾルデはスピードとテクニックで翻弄するタイプだろう。


 なまじ鎧でガチガチに固めた相手よりも、イーラにとってはやり辛い相手かも知れない。


 「で、でも私、女の人を殴るのはちょっと抵抗が……」


 「おや? 試合でやる前から既にあたいに勝ったつもりかい? さすが今最も注目される闘士様は違うねえ」


 イーラの言葉に、イゾルデはニヤリと笑いながら言う。


 「えっ、あ、あの違うんです。そうじゃなくて……」


 「まあ、躊躇うのも分かるけど、彼女はそう簡単に捉えることは出来なさそうだよ? むしろ、相性的には今のイーラには一番の強敵かも知れないね」


 「ほら! こっちの坊やのほうが良く分かってるじゃないか! あたいも伊達で幻惑なんて呼ばれちゃいないよ。簡単に殴れるものなら、ぜひそうして欲しいね」


 そう言って、イゾルデは何故かダンをだっこして自分の豊満な胸元に埋める。


 「うわっ!?」


 「ちょっと生意気そうだけどよく見たら可愛い顔してるじゃないか! ねえねえ、ちょっとこの坊や貸しとくれよ! あたいとあっちでイイコトしてくるからさ」


 「なっ!? ちょっ……!」


 「――お止めください」


 うろたえるイーラを余所に、先程まで一言も喋らなかったノアが、凄まじい速さでイゾルデからひったくるようにダンを取り戻す。


 そして、両手で囲うように自分の懐中にすっぽり収めてしまう。


 その一連の動きに呆気に取られたのか、イゾルデはぽかん、と口を開けながら言った。


 「姉さん……あんたかなりやるねえ。あたいが反応すら出来ずに取り返されるなんて」


 「坊ちゃまに変なことを教えようとするのはやめてください! まだ子供なんですから!」


 イーラのその言葉に、ダンは内心で「いや、違うだろ」と突っ込んだが、より話がややこしくなりそうなので口には出さないでおいた。


 「おや? だったらどうするんだい? もう二度と大事な坊やに余計なちょっかい掛けられないよう、試合で決着付けるかい?」


 そう挑発的に微笑むイゾルデに、イーラはムッとしながら答える。


 「分かりました……そういうことでしたら受けて立ちます!」


 「よーし、決まり! じゃあ会場はそこにいるロクデナシの爺さんにでも取ってもらいな! その時までに金貨二千枚……いや、五千枚分きっちり用意しときなよ!」


 イゾルデはそう言い放つと、「じゃあね」と言ってその場から颯爽と立ち去る。


 一同はその背を見送る。


 「イーラ、恐らく彼女はかなり手強いよ。スーツがあるからと言って油断しないようにね」


 「わ、分かりました……!」


 ノアに抱っこされながらのダンの威厳も欠片もない言葉に、イーラは真面目くさった顔で頷く。


 「では、私はこのまま受付に行って明日の試合会場を抑えますかな! 女性闘士同士の、しかもどちらも最高峰の実力者同士の対決など、この闘技場の長い歴史においても一度もなかったこと! 明日は満員になるよう、今からでもしっかり話を広めて宣伝して参りますぞ!」


 デロスもそう言って、慌ただしくその場から立ち去っていく。


 残されたダンたち一行は、その勢いに顔を見合わせたあと、ひとまず宿に戻って明日の対策を立てることにした。

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