第139話 無垢なる粛清
「東の方、無所属、自由闘士枠、序列十八位、黒き閃光のイーラ!」
「うおおおおッ!」
前日とは異なり、既にイーラに対して嘲ったり侮ったりする声はない。
一定の実力者として認められた故か、それなりにファンも出来たらしい。
中でも若い男性が多く、可憐な少女が並み居る男たちを拳だけで叩きのめしているのを見ると、応援したくなるのが人情なのだろう。
「西の方、聖堂騎士団所属、自由闘士、序列十二位、疾風のロレンス!」
「きゃああああ!」
そして相手の方も負けじと歓声が上がる。
しかしこちらに関しては男性からではなく、数少ない女性の観客からの歓声であった。
どうやらロレンスはその地位も相まって随分と女性にモテるらしく、当然のようにその声援を受け入れている。
片や男性陣は苦々しい顔でそれを見ていた。
見た目も闘士とは思えないほどに細身な優男で、髪色と合わせて黄金色にメッキされた、無駄に豪華な
それでも序列を持っている以上は、それなりの実力者ではあるのかも知れない。
「聖堂騎士団の方も拳闘なさるんですね。てっきり騎士なら剣を使うものと思ってましたが」
ダンは前日と同じ観客席から、隣のドレヴァスにそう尋ねる。
「所詮は道楽だがな。……正直言って、本当に実力があるかは怪しいもんだ。相手の方が身分が上だから、金を貰って接待でわざと負けたなんてことも闘技場ではよくある。剣闘じゃ一つ間違えばそれでも死にかねねえが、拳闘なら手加減すりゃほとんど無傷でお互い終われるからな」
ドレヴァスはふん、と鼻を鳴らしながら言う。
どうやら特権階級である聖堂騎士にはあまり良い感情は持っていないらしい。
ダンとしても、あんな細腕の若者が本当に闘えるのかというのは少し疑問があった。
「まあ、その点イーラはわざと負けるようなことはしませんよ。そもそもあの娘はそういった事を考えて立ち回れるほど器用じゃありませんから」
ダンがそう言うと、何故か舞台上のイーラがへくちっ、と小さくくしゃみをした。
(さっき誰かが私のことを話していたような……?)
「目突き、噛みつき、金的、その他見苦しい行い全てを禁ずる!」
「……ねえ君、可愛いね」
審判が最低限のルール説明をしている最中、対戦相手のロレンスがイーラに話しかけて来る。
「?」
しかしイーラは当然ながら西大陸語が分からないので、キョトンとした顔で首を傾げる。
ロレンスはその反応を見て何かを察したのか、なるほど、といった顔をする。
「ふむ、こっちの方だったか。"美しい君、あなたと戦いたくない"」
「!?」
今度は
「"あなた、傷付けたくない、美しい人。戦いやめて、私と楽しい夜過ごさない?"」
「…………!」
そうカタコトながらも、ロレンスはイーラを口説く。
イーラも急にそんな事を言われて、つい驚いて何も言えずに黙り込んでしまう。
しかし、ロレンスはその頬がほんのり赤くなっているのを見てほくそ笑む。
ロレンスは実際には実力で上がった訳ではなく、序列十二位だった闘士を金と地位で買収して、その位階に立っているだけの男であった。
なぜ身分のある男がそんなことをするかと言うと、闘技場で上位にいると女性に騒がれるからである。
前日、デロスという怪しげな男が、イーラの対戦相手を駆けずり回って探していたのをたまたま見かけたことでこの対戦が実現した。
女性が自分に靡くのが当たり前の存在だと思っているロレンスは、先日闘技場で見かけたイーラという美しい少女を、どうにかして自分のものに出来ないかと画策していたのだ。
(ふふ……やはりいくら強いと言えど女の子だね。伯爵家の出で、聖堂騎士である私の誘いを断れる子なんていない。卑しい亜人と言えど美しい
「ロレンス様! どうかその辺りで。試合前の闘士同士の会話は禁じられております故」
流石に審判も特権階級出のロレンスには強く出られないのか、丁重に断りをいれる。
「分かっているよ。全く……男女の間に口を挟むなんて無粋だね。"愛しい人、あなたを傷付けたくない。開始と同時に棄権して。それで今夜、愛し合おう"」
「…………!」
ロレンスはそう言うと、開始位置に戻って行く。
イーラもそれに何も答えぬまま、開始位置に戻る。
そして互いに向かい合った所で、ジャーン! と開始の合図が鳴らされた。
「試合開始ィ!」
「お断りしますッ!!」
「ぶぴゃっ!?」
開始直後にイーラはダッシュして、思いっきりロレンスの顔面を殴り抜ける。
イーラの速度にまともな反応すら出来なかったロレンスは、もろにその衝撃を受けながら吹っ飛んでいく。
そしてゴロゴロと地面を転がり、天に尻を向けるような無様な姿勢で泡を吹いて気絶してしまった。
「しょ、しょ勝者! 黒き閃光のイーラ!」
「初対面の女性になんてハレンチなことを……私はあなたみたいな軽薄な人はだいっ嫌いです!」
イーラはそう言い放つと、肩を怒らせながら開始位置に戻る。
「はははは! やるな、お嬢ちゃん! 相手が聖堂騎士だろうがお構いなしにやっちまいやがった!」
それを見て、客席のドレヴァスは手を叩いて大笑いしていた。
「試合前に何かボソボソ話していたような……? ノア、唇の動きで何か分かる?」
「映像を解析した結果――相手はイーラに、今夜一晩共にする代わりに負けてくれ、といった内容の交渉を持ちかけたようです」
その言葉に、ダンは呆れて「はあ?」と思わず声が出る。
「なんなのそれ? まるで交渉になってないように聞こえるんだけど……」
「それがそうでもない。聖堂騎士はここでは相当な特権階級だし、その女となればそれなりに贅沢も出来るからな。中には応じる女もいたのかも知れん。女も選びたい放題の立場だから勘違いしたんだろう。馬鹿なボンボンにはいい薬だな」
やけにスッキリしたようなドレヴァスの言葉に、ダンもまあそんなものかと納得する。
そしてそうこうする間にロレンスが丁重に運び出されて、相変わらずイーラは試合場に残っている。
「スッとしたぞー、お嬢ちゃん!」
「ざまあみろ、スケコマシ野郎!!」
今日は前日のように怒号や罵声が飛び交うことはなく、むしろロレンスを殴り飛ばしたことが観客にも受けているようである。
特権階級出身で、女性を食い荒らすロレンスは観客にも嫌われていたらしく、今の一撃で溜飲が下がったようである。
そしてそれに混じって、素直にイーラの戦闘力に気付きつつある声も混じり始めていた。
「なあ……あの女、普通に強くねえか?」
「今の一撃全く見えなかったぞ……」
「だから言っただろ? グランドチャンピオンが推薦した闘士だぞ。女だからって弱い訳がねえって……」
そうボソボソと会話する観客を余所に、イーラは今日も同じ勝利ポーズをして、連戦を要求する。
前回は訳も分からぬままやっていたのが、今回はきちんとその意味を知ったうえで堂々と行っている。
当然、観客からどよめく声が上がるが、前日からの活躍で既に実力が本物だと認知され始めたことで、罵声はほとんど聞かなくなっていた。
そして次の挑戦者が入ってくる。
「西の方! 鉄風傭兵団所属、自由闘士、序列十五位、断頭台のウルゴス!」
「うおおおお!?」
その名前が読み上げられた瞬間、観客からどよめく声が上がる。
イーラの正面から入って来たのは、なんと全身重鎧で武装して、斧を携えた剣闘士だったからだ。
どうやら剣闘士とはいっても必ずしも剣でなくとも良いらしい。武器だったらなんでもありなのかも知れない。
「いくらなんでも無理だろ!」
「おい、お嬢ちゃん! 悪いこと言わねえからやめとけ!」
観客からも流石に心配する声が上がる。
見た目可憐な少女であるイーラが真っ二つにされるのを見るのは、いかに血に飢えた観客と言えど胸糞が悪いのだろう。
しかしイーラは、それに臆することなく堂々と剣闘士と対峙した。
「剣や武器、その他の使用はすべて認められる! しかし、降参したあとで相手にとどめを刺すことは認められない! また、観客に害を及ぼす攻撃は全て反則負けとする!」
審判が説明するルールも剣闘用に切り替えられ、殺し合いを前提としたものへと変わっていた。
「……おい、嬢ちゃん」
そんな中、相手のウルゴスがイーラに声を掛ける。
「俺はよ……この斧で誰かをぶった切るのが好きで、剣闘士をやってんだ。今まで散々相手の手なり足なりをぶった切ってきたが……お嬢ちゃんみたいな若い女を切るのは始めてだ。一体どんな感触なのかなあ?」
「?」
ウルゴスは、斧の刃に舌を這わせながらそう脅し文句を言うも、そもそも言葉が通じないイーラにはなんの効果もなかった。
「両者とも、開始位置に戻れ!」
「へっ」
キョトンと首を傾げるイーラに馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、ウルゴスは肩に斧を担いでガシャガシャ音を立てながら下がる。
見た目の戦力差は明らかであった。
ウルゴスは鉄板のような重装甲で武装しており、細身で小柄なイーラでは攻撃を通すことすら不可能。
誰しもがそう思い、これから始まる残酷な処刑から目を逸らそうとする。
「試合開始ィ!」
しかし無情にも開始のドラは鳴らされた。
「まずは……足だぁ!!」
「……!」
ウルゴスはそう叫びながら、躊躇なくイーラの右足に向かって斧を振り下ろす。
(……遅い! そこ!)
しかし、鈍重なウルゴスではイーラを捉えることなど出来るはずもなく、軽くかわされて頬に二発カウンターを受ける。
「ああ? 今なにか、やったかァ!?」
それでなお、ウルゴスは叫びながら無造作に斧を振り回す。
軽いジャブのつもりではあったが、ここまで弾き返されるのはイーラとしても予想外であった。
(手加減は必要ありませんね……全力でいかせてもらいます!)
イーラはそう決意すると同時に、ウルゴスの斧を掻い潜って、懐に向かって直進していく。
遅いとはいえ斧が当たればただでは済まない。パワードスーツは防弾性はあるが、少なくとも身体内部にも衝撃が伝わってくるのだ。
体のどこかに当たれば骨ぐらいは容易く砕けてしまうだろう。
だがそれでなお、イーラは果敢に皮一枚で斧を躱しながら、相手の懐中にズン、と一歩踏み出した。
地面に足がめり込むような強烈な踏み込みと同時に、イーラはその反発力を乗せて思い切り拳を突き上げる。
「はァッ!」
その直後――ガン! と大砲が直撃したような金属音が鳴り響き、ウルゴスの巨体が拳の一撃で持ち上がる。
分厚い甲冑の胸部に拳が深々とめり込み、中のウルゴスの胸骨にもみしり、とひびが入った。
「おごっ……!?」
何が起きたのかすら理解出来ず、ウルゴスは突然訪れた胸の圧迫感と激痛に肺の中の空気を全て吐き出す。
ウルゴスからすれば、突然目の前からイーラが消えたかと思うと、強烈な苦しさと同時に体が浮き上がるのだから混乱の極致であると言えた。
しかしそれにも構わず、イーラは続けて身体を捻転して力を溜めたあと、よろよらとよろめくウルゴスの横顔を回し蹴りで蹴り飛ばした。
「やぁぁぁぁ!」
「おぼぴょっ!?」
ウルゴスは間抜けな声を上げながら、ぐるりと天地逆転して吹っ飛び、頭から地面に突き刺さる。
吹っ飛んだ際に斧を握ったままだったらしく、ウルゴスの利き腕はおかしな方向に折れ曲がり、グニャグニャなタコのようになっていた。もはや二度と斧を握ることは出来ないだろう。
そのあまりの光景に闘技場は一瞬シン、と静まり返る。
――しかし、その直後客席から地鳴りのような歓声が湧き上がった。
「う、おおおお!? 勝ちやがった! 剣闘士相手に!?」
「女のくせになんだあのパンチ力!?」
「……あいつ結構強いやつじゃなかったか?」
「剣闘の序列持ちだぞ! 弱いはずがねえ!」
そう観客たちも口々に興奮した様子で語る。
「勝者! 黒き閃光のイーラ!!」
改めて勝利宣言が下されると同時に、再び客席から爆発的な歓声が上がった。
「いいぞー! お嬢ちゃん!」
「俺は勝てるって信じてたぞッ!」
「馬鹿言え! お前はオルゴスの方に賭けてただろ!」
「さっきの戦いすげー倍率が付いてるぞッ!」
観客たちも興奮しながら、素直にその偉業を称える。
「……やるな」
ドレヴァスもまさかこれほどとは思わなかったのか、純粋に楽しんでいた先程とは打って変わって、真剣な顔でそう呟く。
細身のイーラからあんな規格外のパワーが出るとは流石に思いも依らなかったのだろう。
パワードスーツを着ているとは言え、その性能を存分に引き出しているのはイーラの戦闘センスの賜物である。
「彼女は何より速さで圧倒出来ますからね。落ち着いて対処すれば、ガチガチの重武装で身を固めてる剣闘士はそれほど怖い相手ではありません。イーラには鎧を打ち抜く力もありますし」
「あのお嬢ちゃんの身体は鉄で出来てんのか? 何故あんな細っこい体で、大の男でも出せないような恐ろしいパンチが打てる」
目の前でヘルメットを叩き壊したとはいえ、あれはただの観賞用の装甲が薄い置物でしかない。
しかし、実用に耐えうる重鎧を拳で凹ませたとなれば、ドレヴァスとしてもイーラの力量を意識せざるを得なかった。
「……さて、もちろんそれには秘密がありますが、如何にドレヴァスさんと言えど教えることは出来ません。僕たち仲間内の秘伝みたいなものですから」
ダンがそう言うと、ドレヴァスはちっ、と軽く舌打ちして引き下がる。
(スーツの出力の最大値は着用者の元の身体能力に依存する。彼がパワードスーツを着たら、イーラの比じゃないパワーが出るかも知れないが……まあ、今のところは無理に誘うほどでもないな)
「坊ちゃま、先程の試合の勝ち額が、合計で金貨二万五千枚を超えたそうです。一万枚を超える払い出しは窓口では受付出来ないそうなので、教会の方まで取りに来て欲しいとのことです」
そんなことを考えていると、券売所で投票券を購入してきたノアが、淡々とそう報告してくる。
「分かった。やれやれ……せっかく昨日ちょっと使って減らしたと思ったのに、今度は十倍以上か。ここまであると却って処分に困るんだよね」
「……ったく、金の価値を知らねえ坊っちゃんだと思ったが、そういう奴の所に限って馬鹿みたいに金が流れ込むもんだ。あんま嫌味なこと言って、負けが込んでる奴に刺されないよう精々気を付けるんだな」
そう忠告するドレヴァスに、ダンは「その為にドレヴァスさんがいらっしゃいますから」と笑顔で答える。
その後、三戦目をする予定だったが、先程の試合を見て、拳闘の序列八位の相手が逃げてしまったので、イーラは自動的に一桁に昇格を果たしたのであった。
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