第67話 現地人と水酸化ナトリウム


 まず第一に食料の安定が最優先。


 これは学校がどうこう以前に、ここ白き館エバッバル付近に住まう避難民全員にとっても喫緊きっきんの課題と言えた。


 魔性の森は確かに豊かな森ではあるが、そこで取れた果実や野菜、獣の肉だけに頼って生きていくにはあまりに不安定すぎる。


 天候や気候、または環境が荒れるだけで一気に食糧難に陥ってしまう。


 まずは生活基盤を安定させなければ学問どころの話ではない。


 「ノア、"マルチプルワーカー"の出動を頼む」


 『了解しました』


 その考えの下、ダンは耕地となり得る土地を見回しながら船の隣に立って命令を下す。


 ノアが答えると同時に、船の後部ハッチが開き、奥から銀色の重機がギャリギャリと無限軌道キャタピラの音を鳴らして姿を現した。


 "マルチプルワーカー"とは、一台でショベルから高架クレーン、トンネル掘削機やレーザー削岩機など、ありとあらゆる状況や環境に対応できる多機能重機のことであった。


 全長十メートルで幅三メートルほどの重機としては平均的であり、見た目は一見ショベルカーのような形をしている。


 しかし、高出力なエンジンと膨大な電力を併用することで、そのパワーは分厚い鋼板をへし折るほどであり、先端はショベルではなく、ハンマーのように黒い鉄の筒が横向きに取り付けられていた。


 元々小惑星資源調査の為に搭載したもので、水中や無重力下、高温の環境にも対応している。


 未開の地においてはこれ以上なく頼りになる存在であった。


 「ダン、どうしたのこれ!?」


 シャットの声を皮切りに、朝っぱらから響く重機の音に、避難民の獣人ライカンたちがゾロゾロと集まってくる。


 「今から畑を作ろうと思ってね。……ノア、マルチプルワーカーの先端を回転刃ロータリーに変えてくれ」


 『了解しました』


 ダンがそう命じると同時に、マルチプルワーカーの先端についたハンマーヘッドが割れて変形し、曲がった刃のようなものが幾つも突き出てくる。


 そしてそれは、耳をつんざくような金切り音を立てて激しく回転し始めた。


 「何この音……!」


 常人より耳が良い獣人ライカンたちには堪えたのか、シャットたちは頭上の尖り耳を抑えながら顔を歪める。


 「もう少し離れておいたほうがいいぞ! 石が跳ねると危ないからな」


 ダンはそう言って獣人ライカンたちを下がらせたあと、ノアに命じる。


 「よし、やれ!」


 その瞬間――


 ギュオオオオオ!


 怪物のような唸りを上げて、マルチプルワーカーが凄まじい勢いで地面を掘り返していく。


 固い木の根っこや大きな岩すらも破砕して土に混ぜ込み、マルチプルワーカーはほんの一分で十メートルほどのうねを一列分あっさり作り上げてしまった。

 

 「う、嘘っ……」


 そのあまりの早業に避難民たちが絶句する中、ダンはまるで綿のようにふかふかになった畑の土をひと掬い手にとって、ザラザラと手のひらに押し広げる。


 そして指に乗せてぺろ、とそれを一口舐めた。


 「……うん、弱酸性のいい土壌だ。これなら立派な作物が育つだろう。ここはジャガイモがいいな。全部で二十列くらいは作っておいてくれ」


 『了解しました』


 そう答えるや否や、ノアの遠隔操作でマルチプルワーカーがゴリゴリと土を削って、次々と畑を作り上げていく。


 ダンは体内に取り込んだものをナノマシンによって分解し、成分や毒素、pH値などを分析できる機能を持つ。


 元々は人体にとって有毒か否かを解析のための機能だが、畑の土壌解析の為に使ったのはダン自身のアイデアである。


 「うるさい……なんの騒ぎ……?」


 そんな中、寝ぐせ頭でショボショボと目を擦りながらリラが仮設住宅から歩いてくる。

 

 「だ、ダンが、一瞬で畑作って……それで、土を食べてて、その……」


 シャットが愕然とした顔のまま、支離滅裂な口調で言う。


 「なんだ、そんなこと……ダンが常識外れなのは今さら……」


 しかしリラのリアクションは冷淡で、目を半開きにしながらふらふらと何故か自宅ではなくダンの船に入っていく。


 「ちょ、ちょっとどこ行くのよ!」


 「二度寝……朝ごはんできたらおこして……」


 そう言ったきり、リラはバタンとハッチを閉めて勝手にベッドを使って寝入ってしまう。


 残された者たちが呆然とする中、ダンは四百平方メートルにもなる大きな畑を作り出し、ドローンを使って種蒔きを始める。


 「明後日には芽が出るだろうだから、それまで手分けしてこの畑の水撒きを頼めるか? 収穫の際には皆にもおいしい野菜を振る舞うから楽しみにしててくれ」


 「…………!」


 その通常ではありえない早さの収穫速度にも、もはや獣人ライカンたちはツッコむことすら出来ず、言われるがままコクコクと頷いた。



 * * *



 住人たちと別れたあと、ダンは今最も必要としている化学物質についてその作り方に思案を巡らせていた。


 それは"水酸化ナトリウム"、現代科学の基礎とも言える物質である。


 自然界には存在せず、食塩水を電解することで初めて作り出すことが出来る。


 これに関しては、今ダンが最も欲している紙、石鹸、重曹、そしてアルミの製造などにも必須であった。


 他にも数多くの工業品を製造するのに必要な物質ではあるが、水酸化ナトリウムを製造するにはそれなりの技術力を要する。


 水銀やアスベストを使って電気分解する方法が最も簡単ではあるが、有害物質を使うだけにそれらの製法は環境破壊や人体に対する影響が大きい。


 この自然のままの美しい星を、化学物質によって汚染したくはない。


 一番効率と環境にいいのは"イオン交換膜法"と呼ばれる方法で、食塩水を塩素と水酸化ナトリウムに電気分解する方法である。


 そのイオン交換膜を作るのにいくつも複雑な化学物質が必要で、用意するのが一番面倒なのだが、ダンに関しては船内にイオン交換膜を使った純水製造装置があるので、それを流用すれば問題はない。


 しかしダンがいなければ水酸化ナトリウムが製造不能になってしまうが、それは追々現地人たち自身が乗り越えるべき課題と考えることにした。


 魚をそのまま与えるよりも、魚の捕り方を教えたほうが後の本人たちのためにもいい。下地となる知識や作り方はしっかり教えるが、そこから先を作り出すのは自分たちの力で成し遂げるべきなのだ。


 そうと決まれば本格的に動き始めるために、ダンは長老の家を訪れて相談を持ち掛けることにした。


 「一つお尋ねしたいんですが……この辺りの人々は、塩に関してはどうやって調達しているんですか?」


 ダンはそう尋ねる。


 もしどこか海辺で製塩でもやっているのなら、質の高い食塩水が簡単に手に入る可能性があったからだ。


 「塩ですか? この魔性の森では、ほとんどの種族が鉱人ドワーフ様から肉や魚と引き換えに岩塩を購入しておると思いますな。あの方たちはよく食べられますので」


 エリシャはそう答える。


 この魔性の森全体を支えられるぐらいなら、それは相当な塩分量のはずだ。鉱人ドワーフ族はかなり巨大な岩塩窟を持っているらしい。


 しかし純粋な塩ではなく岩塩では、ミネラルなどの不純物が多すぎてダンの目的には沿わない。


 やはり海水を精製して作るのがベターだという結論に至った。


 (仕方ない……手間だが少し遠出するか)


 そんなことを考えつつ、ダンは口を開く。


 「そうですか……突然で申し訳ないのですが、私は明日から二日間ほど海に行って来ようと思います。少しの間この地を留守にしますが、一応連絡用のビットアイは置いておきますので、もし何かあったらこれを通して呼んで下さい」


 「おお、左様でございますか! ならばその間の留守はわしとロンゾの奴にお任せ下さい。どうかごゆるりと静養されますよう」


 ただの行楽と勘違いしたのか、エリシャはそう言って頭を下げる。


 最近はダンがほとんど不休で働きづめだったので心配をかけたのだろう。あえてそれを訂正することはしなかった。


 「……ちょっとダン! またどこかに一人で出かけるの?」


 そうエリシャと話していたその時—―こっそり外から盗み聞きしていたのか、バタン、と家に乱入してきたシャットが無理やり間に入り込んでくる。


 「ああ、少しばかり気分転換に海に行って来ようと思ってね」


 「海!? ねえ、私たちも一緒に連れてってよ! 前に出かけた時は置いてけぼりだったじゃない!」


 シャットは海と聞いて、親に遊園地をねだる子供のように駄々をこねる。


 前に出かけたときというのはダンがオーガ族の郷に向かったことを言っているのだろう。


 あの時は、とても無関係な子供を連れていけるような楽しい旅行などではなかったが、シャットはそんなことを知る由もない。


 「こりゃ、シャット! わがままを言って首領様を困らせるでない! お前たち子供がいつも傍にまとわりついては、この方の休まる暇がないだろうに!」


 「うっ、だ、だってぇ……」


 エリシャに強い剣幕で怒鳴られて、シャットはシュンと縮こまる。


 普段強気なシャットもエリシャには頭が上がらないのか、叱られて酷く落ち込んで涙目になっていた。


 その姿を見て、ダンは少し心が痛む。


 元々その二日間はやることがない。


 大量の海水を組み上げて食塩水に精製し、水酸化ナトリウムに電解するまでの作業は全自動であり、ダンはその間ずっと待機時間である。


 二日間釣りか読書でもして暇を潰そうと思っていたが、どうせなら子供たちに楽しい思い出を作ってやるのもいいかと考えた。


 「……よし! 今回は特別に一緒に連れて行ってあげよう。どうせ二日間は私も暇だしな」


 「ほ、ほんと!?」


 ダンの言葉に、シャットは勢いよく顔を上げる。


 「ああ、どうせならリラや他のお友達も呼んでくるといい。そのぐらいの空きは船にある。その代わり、ちゃんと言うこと聞いていい子にするんだぞ?」


 「うん! それじゃあ他の子たちも呼んでくる! ありがと、ダン!」


 シャットは目を輝かせながら、エリシャの家を転がるように飛び出していく。


 その背を見送りながら、エリシャははあ、とため息をついた。


 「よろしいのですか? そのようなことで首領様のお手をわずらわせるのは非常に心苦しく思うのですが……」


 「構いませんよ、私もいい気分転換になります。それに学校を開校するのに、子供たちの引率のいい予行演習になるでしょう。どうせならエリシャ殿も一緒に向かわれますか?」


 「いえいえ、わしではとても子供たちの体力について行けませぬ。……そういうことでしたら、フレキ殿を連れて行かれてはいかがですか? 彼も教師となるなら良い経験になるでしょうし」


 エリシャの提案にダンは頷く。


 「確かにそれはそうですね……。では、学校を開校するのはだいぶ先ではありますが、フレキくんの顔見せも兼ねて皆で遠足に行ってきましょうか」


 「それがようございます。どうかお気をつけて行ってらっしゃいませ」


 深々と頭を下げるエリシャに頷きながら、ダンはその場を後にする。


 外に出ると、既にシャットが旅行のことを触れ回っており、白き館エバッバルの前に軽い人集りが出来つつあった。


 そんな中、ダンの姿を認めたリラが、トテトテと眠たそうな目のままかけてくる。


 「ねえダン、シャットが言ってたこと本当? 皆で海に行くって……」


 「ああ、本当だよ。子供限定だがね。リラも来るかい?」


 「うん、わたしも行きたい。でも……」


 「ん?」


 リラはそう言うと、もじもじしながら、何かを言い淀む。


 ダンが首を傾げたまま黙って次の言葉を待つと、リラは口をもごもごと動かしながらも続きを口にする。


 「カイラちゃんも一緒に行きたい……ダメ?」


 「……!」


 珍しくリラがわがままを言ったことに驚きながらも、ダンは快く了承する。


 「ああ、もちろん良いとも。皆で一緒に行こう。オーガ族の郷にも連絡を入れないとな」


 「……うん!」


 そう頭を撫でながらのダンの言葉に、普段は無表情なリラがパッと花が咲くような笑顔を見せる。


 リラは普段は全く手のかからない大人しい子なので、わがままを言ってくれたのはダンとしても安心出来た。


 (……こうなってくるともう、西の郷の子供たちだけに限定する必要はないな。人数を限定して他の郷にも使いを出してみるか)


 ダンはそんな事を考えながら、急遽降って湧いた臨海学校のプランを練り始めた。


 

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